33.ルンダール領への帰還
パーティーが終わる頃には私は眠くて眠くてたまらずに服を着替えるとすぐにベッドに入って眠ってしまった。その間もカミラ先生やビョルンさんやお兄ちゃんは国王陛下とセシーリア殿下と話し合っていたようだった。
「最終的に、イデオンくんが成人したときにセシーリア殿下は全てを決めると仰いました。国王陛下もそれに賛成しました」
「ですから、セシーリア殿下は国王陛下のお傍を離れたくなかったんです。その言い訳として成人するまで時間のある私を使ったわけで」
「セシーリア殿下はイデオンくんにショールを拾ってもらったと仰っていました。そのときに話をして優しく賢い子だと思ったと」
「あー……拾いました」
ショールを拾った話もそういう婚約の話と結び付けられてしまうわけか。さすがセシーリア殿下。私よりも年上で国王陛下を何年も支え続けただけあって頭が回る。
「相当イデオンくんのことを気に入っていた様子でしたよ」
「イデオンは良い子で可愛いから」
お兄ちゃんが沈痛な面持ちで額に手をやっている。カミラ先生も妊娠中だと言うのにあまり寝ていないのか疲れた様子である。
「私のことは大丈夫です。セシーリア殿下も無理強いをなさる方ではありませんし」
「無理やりキスをされたと聞きましたが」
「あ、あれは……えっと……」
どう言えば良いのか分からない私の様子に初めてのキスに戸惑っているように見えたのかカミラ先生が頭に手をやる。本当はギリギリのところで唇は触れていないのだがそれを言ってしまうと婚約が無効になってしまって、セシーリア殿下を困らせることになるのは分かっていたので口が裂けても言えない。
お兄ちゃんだけには言ってしまいたかったが、セシーリア殿下から口止めされているのでどこまで話していいものか私には全く見当がつかなかった。
「イデオンくんはまだ8歳なのに!」
「イデオン、僕がずっと傍にいなかったから」
「カミラ先生、お兄ちゃん、そんなに責任を感じないで。えっと、よく分からないうちに終わってたし」
それは正直な感想なのだがそれだけにお兄ちゃんとカミラ先生を動揺させる。
「やはりセシーリア殿下と国王陛下に叱責されようとも物申さねばなりません」
「叔母上、僕も行きます」
「十年ですよ! 十年後にはセシーリア殿下は他の方と結婚してますって」
「誕生日が来たら九年後だよ」
「お兄ちゃんもそんなにこだわらないで!?」
珍しくお兄ちゃんが拘っている事実に驚きつつも私はセシーリア殿下の企みを知っているだけに二人を止めるしかなかった。
「早くお屋敷に帰りたいよ、お兄ちゃん」
強請るように上目づかいで言えばお兄ちゃんは渋々部屋に戻って荷造りをする。ほんの二日の間に色々なことがありすぎた。
帰る前に国王陛下に挨拶をすると、セシーリア殿下が私に歩み寄って来た。髪の毛を纏めていたピンを外して私の手に握らせる。国王陛下と同じ白銀の髪がさらさらとセシーリア殿下の肩に流れ落ちた。
「身を守る魔術具になっています。装飾部分をイデオン様が使えるように加工してください」
「イデオンには僕……私とお揃いの魔術具があります」
「わたくしからの婚約の証として役に立つこともあるでしょう」
なぜか言い返すお兄ちゃんの厳しい横顔を見つつ、私はそれを受け取った。そこには王家の紋章である純白のドラゴンが描かれている。
「ありがとうございます。大事にします」
これがルンダール家を軽んじて反乱を起こそうとする貴族への抑止力になるかもしれない。それを狙って私が婚約者として十年近い猶予を与える代わりに、セシーリア殿下は私に権力の象徴ともいえる王家の紋章のついた装飾具を渡してくれたのだ。
これは純然たる取引としか思っていない私と、そうは思えないお兄ちゃんとの間でちょっとした認識違いがあったことを当時の私は知らない。
移転の魔術でお屋敷に帰ると早寝早起きの習慣が身に付いていたのを崩されたファンヌとヨアキムくんは眠たそうにしながらも部屋に駆けて行った。エディトちゃんはマイペースに子ども部屋で遊んで、私とお兄ちゃんも部屋に戻る。
「お兄ちゃんは成人したから、私と別の部屋になっちゃうの?」
「そんなことないよ。イデオンと同じ部屋が良いよ」
大人になったら自分一人の部屋が欲しくなるものかと心配していた私にお兄ちゃんはあっさりと答えてくれた。
「忙しくてお兄ちゃんの誕生日お祝いも買えなかったから、今度一緒に買い物に行こう」
「僕、欲しいものがあるんだけど」
「なぁに? 私で買えるものならプレゼントするよ」
ずいっと顔を近付けられてお兄ちゃんの青い瞳が真剣に私を映していて、私はなぜか胸がどきどきした。お兄ちゃんは何が欲しいのだろう。
「セシーリア殿下から貰った髪飾りを加工しに工房に行くよね? そのときにお揃いのブレスレットを作ろう」
「え!? 魔術がかかってるやつ?」
魔術のかかっている魔術具は、かかっている魔術にもよるが私のお小遣い程度ではとても買えるものではない。貴族が嗜みとして付ける魔術具は特に守護の魔術などたくさんの魔術がかかっているので値段が跳ね上がる。
「叔母上に相談したら作ってくれると思う」
「それじゃ、私からお兄ちゃんへのプレゼントにならないよ」
「お揃いのものを着けてくれることがプレゼントだよ」
そう言ってもらったら作らないわけにはいかない。
それにしてもお兄ちゃんがこんな風に意地になっているところなんて見たことがなかった。いつもお兄ちゃんは穏やかで優しいイメージしかない。
不思議とそれが嫌ではなくて私にだけはこんな顔を見せてくれるのだと思うと嬉しく思えてくる。
「良いよ、ブレスレットでも、アンクレットでも」
「イヤリングも作る?」
「一式作っちゃうの?」
話しているとお兄ちゃんの表情から厳しさが抜けて柔らかくなった。両腕を広げられて私はお兄ちゃんに飛び付く。抱き締められてお兄ちゃんは私と額をぶつけた。
「大好きだよ、イデオン」
「私もお兄ちゃんが大好き」
「ルンダール家を出て行くなんて言わないでね?」
私が5歳、お兄ちゃんが14歳の日にお兄ちゃんはルンダール家を追い出されて一人下町を彷徨った。カミラ先生が来てくれて早くお兄ちゃんのことは見つけられたけれど、両親のことがあってお兄ちゃんをすぐにはお屋敷に戻すことができなかった。
毎日通信具で話はしていたが、お兄ちゃんは寂しかったのかもしれない。
置いて行かれることが怖いのかもしれない。
「私はずっとお兄ちゃんの傍にいるよ」
セシーリア殿下が国王陛下のお傍にいたいと強く思う気持ちは私には痛いほど分かった。大事なひとから離れて結婚しても幸せになれるはずがない。だからずっとお傍にいることを提案したのだが、それに私が利用されてしまった。
気持ちがわかるからこそ、セシーリア殿下には協力せざるを得ない。
帰ってから開かれたお兄ちゃんの誕生日パーティーで、私はたくさんの貴族から挨拶を受けた。
「イデオン様、ご婚約おめでとうございます」
「イデオン様の起こされた事業も順調のようで」
「誠にイデオン様はルンダール領の誇りですね」
国王陛下の姉君のセシーリア殿下と婚約したからこんなに簡単に手の平を返す貴族たちは信用できないと私は半眼で見ていた。
「こんなに幼いのに婚約だなんて、セシーリア殿下は何をお考えなのでしょう?」
「イデオン様、お嫌でしたらお断りして良いのですよ」
そう言ってくれるサンドバリ家の人々やベルマン家の人々、ニリアン家の人々の方がずっと信頼ができる。来ていたダンくんとミカルくんも私に同情の眼差しを向けていた。
「嘘の婚約だから」
「だと良いけど。イデオン、可愛いから女受けしそうだもんなぁ」
「ヤなこと言わないでよ」
ダンくんとこんな場所で話せることを新鮮に思いながら私はボリスさんにも目礼した。
ヨアキムくんの誕生日より前にお兄ちゃんと魔術具を作る工房に行って、セシーリア殿下からいただいた髪飾りを私の髪ゴムに加工してもらって、お兄ちゃんとお揃いのブレスレットを作ることは忘れずにした。
胸に下げたプレート型の魔術具とお揃いで私は青い花、お兄ちゃんは緑の木をイメージしたブレスレットだった。
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