30.国王陛下姉妹
遅めの晩御飯を食べてお風呂に入ってパーティーから戻ったらすぐに寝られるように準備しておくようにとカミラ先生からは言い渡されていた。部屋のお風呂は広かったのでお兄ちゃんと一緒に入る。
髪を洗ってもらうのは向日葵駝鳥と青花のシャンプーでこんなところにも使われているのだと私は沈んでいた気持ちが少し浮き上がった。
ルンダール領の特産品として領地を豊かにしようと考えた向日葵駝鳥の石鹸とシャンプー開発。それが今や王都の王城の客人のための棟にまで置いてある。ルンダール領の存在感をここでも示せた気がして誇らしかった。
バスタブにいっぱいに貯めたお湯に入ると肩まで浸かる。バスルームは冬なのでタイルも冷えて冷たかったがお湯の中に入るとその温かさに肌がぞわりとするような独特の感覚があった。洗い終えたお兄ちゃんもバスタブに入る。
「イデオン、僕の傍を離れちゃダメだよ」
「それは私のセリフだよ」
お互いに言い合って笑い合う。
バスルームには声がよく反響した。
お風呂から出て髪を乾かして盛装に着替える。お兄ちゃんとお揃いの夜空を思わせる光沢のある青紫のスーツ。ソックスガーターが上手く付けられないのをお兄ちゃんが膝を付いて付けてくれた。
準備が整って廊下に出るとカミラ先生もシックなチャコールグレイのドレスを着ていてビョルンさんも同じチャコールグレイのスーツを着ていた。ビョルンさんの腕に手を添えてカミラ先生が歩き出す。私はお兄ちゃんと手を繋いで、ファンヌとヨアキムくんが手を繋いでその後ろを歩いて行った。
お披露目のパーティーは立食形式で食べ物や飲み物をテーブルから自由に取って良いのだが、晩御飯でお腹がいっぱいだった私たちは特に何も必要としていなかった。
国王陛下の前に挨拶に行くと宰相が名前を読み上げる。
「ルンダール領ご一家です」
「ようこそ、王都へ。オリヴェル殿、成人おめでとうございます」
一番奥の豪華な椅子に座っている華奢な少女がアンドレア国王陛下だった。すぐそばにセシーリア殿下が控えている。
「ノルドヴァル領ご一家到着されました」
「この度は遠路はるばるようこそ」
「スヴァルド領ご一家の到着です」
「いらっしゃいませ。ゆっくり楽しんでください」
儀礼的な挨拶が続いているが鋭い国王陛下の菫色の瞳はお兄ちゃんを見据えている気がする。参加する四公爵家と王族の挨拶が終わるとそれぞれが自由に行動してよい時間になったようだった。
国王陛下は疲れた様子で飲み物を受け取ってグラスから飲んでいる。
「ルンダール家のイデオン様ですね。わたくしはノルドヴァルの遠縁のものにございます。うちの娘は本当に可愛くていい子なのです」
「あだー」
え!?
まさかこんな時間にエディトちゃんと同じくらいの小さな女の子を連れて来る貴族がいるなんて思わなかった。涎を垂らしているその子は明らかに眠そうで機嫌が悪い。
「うちの娘の方が年齢的に釣り合うでしょう! わたくしはスヴァルド領の領主の親戚です」
「おにぃたん、だぁれ?」
こっちは2歳くらいの女の子!?
紹介されても私はどうしようもないので困っているとお兄ちゃんが笑顔で言ってくれる。
「お二人とももう眠そうですよ。お休みになられた方がいいのでは?」
「イデオン様と会うのを楽しみにしていたのです。そうですよね?」
「うぁー!」
「イデオン様の好みの女性に育ちますから」
「ぱぁぱ、ねむぅい」
「今日だけは頑張る約束だろう」
こんな騒ぎに巻き込まれる子どもたちも迷惑なものだ。
私はどちらにも興味がなかったのでファンヌの方に行こうとすれば、ファンヌはファンヌで年上の男性に囲まれていた。
「ルンダール家のお嬢様、わたくしと踊りませんか?」
「いえいえ、私と!」
「わたくし、ヨアキムくんとおどりますの」
あっさりと断ってヨアキムくんの手を取るファンヌにヨアキムくんが頬を染めて目を煌めかせている。私もファンヌのようにできたらいいのに。
柱時計が午前零時を指す頃にアンドレア国王陛下が立ち上がった。
「ルンダール領の次期当主、オリヴェル殿の成人に乾杯!」
それに合わせて配られたグラスを貴族たちが持ち上げる。儀礼的なものでしかないと分かっていたがこんなにあっさりしていて良いのだろうか。
「もうイデオンくんとファンヌちゃんとヨアキムくんは部屋に戻った方が良さそうですね」
「私は平気です」
眠くて欠伸が出そうだったけれど私はぐっと我慢する。ファンヌとヨアキムくんは頭がぐらぐらし始めていた。ビョルンさんが一度下がってファンヌとヨアキムくんを部屋まで送って行く。
その間に国王陛下がセシーリア殿下をお兄ちゃんの方に押し出していた。
「オリヴェル殿に一曲踊っていただくとよろしいのでは?」
「わたくしは……」
「姉上、行ってらっしゃいませ」
送り出しているはずなのに国王陛下の表情は厳しくお兄ちゃんを睨んでいるようだった。おずおずと近付いてきたセシーリア殿下が溜息を吐いてお兄ちゃんに手を差し出す。
「一曲踊ってくださいますか?」
「私は踊ったことがないのですが、それでもよろしければ」
お兄ちゃんに拒否権なんてないのは分かり切っているのに国王陛下はセシーリア殿下をお兄ちゃんの方に押し出した。そのくせ非常に機嫌が悪く気に食わない顔をしている。
「イデオンくん、凄い顔をしていますよ」
そう、きっと私と国王陛下はそのとき同じような不満顔をしていたに違いないのだ。カミラ先生に指摘されても私は唇を尖らせて顔を顰めているのを止められなかった。
大柄で長身のお兄ちゃんは小柄で細身のセシーリア殿下をリードしてゆったりと音楽に合わせて踊っている。細いセシーリア殿下の腰にお兄ちゃんの手が添えられて、大きなお兄ちゃんの手にセシーリア殿下の華奢な白い手が乗っているのが気に食わなくて堪らない。
多分私と国王陛下は同じ気持ちなのだ。
それなのに国王陛下はセシーリア殿下を差し出さなければいけなかった。
「親子ほど年の離れたスヴァルド領の息子にやるよりはルンダールの次期当主に預けたいのでしょうね」
「ノルドヴァル領の子どもたちはまだ幼年学校にも入らない年と聞きますし」
聞かせるように貴族たちが噂話をしている。
四公爵のどこかにセシーリア殿下を嫁がせなければいけない。それならば一番年の近いお兄ちゃんにしようと考えているようだが、本音は国王陛下はセシーリア殿下を嫁がせたくないのではないだろうか。
曲が終わってセシーリア殿下はお兄ちゃんに一礼した。国王陛下の方を見ると豪華な椅子には誰もいない。セシーリア殿下も国王陛下を探しているようで、宰相に話しかけていた。
セシーリア殿下がベランダに出るのに私はこっそりと付いて行った。
「陛下、何をお考えですか?」
「姉上は……幸せになっていいのです。国の贄となるのは私だけでいい」
「わたくしをルンダールに嫁がせるつもりですか?」
姉妹が話しているのを私は植木鉢の陰に隠れて聞いていた。
二人は私に気付いていないようで話を進める。
「姉上は年の近い相手に嫁いで、子を産み、育てる、女の幸せを味わってほしい」
「わたくしはそれが幸せとは思いません」
「王族として生まれた以上、誰かに嫁がねばならないのはお判りでしょう?」
駄々を捏ねるように嫌がっているのに口では逆のことを言う国王陛下をセシーリア殿下が抱き締める。
抱き締められて国王陛下は白い手袋を付けた手でセシーリア殿下の手を押さえた。
「いずれ嫁ぐと仰ったのは姉上です」
「あのときはそう言いましたが、わたくしは……」
「嫁がぬわけにはいかないでしょう?」
王族としての重圧が二人に圧し掛かっているのが見える気がした。
別々になりたくないのに姉を嫁がせねばならない国王陛下。凛とした美しい顔が苦悶に歪んでいるのが感じられる。
「イデオン、こんなところにいたの?」
「あ、お兄ちゃん」
声をかけられて私が振り向くとお兄ちゃんの姿に気付いて国王陛下とセシーリア殿下が弾かれたように離れた。抱き締め合っていた二人の姿を見ているだけに私は切ない気持ちになってしまう。
私がお兄ちゃんを誰にもとられたくないように国王陛下はセシーリア殿下を嫁がせたくないに決まっているのだ。
どうすればいいのか。
解決策はまだ浮かんでいなかった。
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