26.お兄ちゃんを探し出せ!
お兄ちゃんが見つからない。
迷い込んだ勉強用のマンドラゴラ畑の中にしゃがみ込んで私は涙を堪えていた。取り囲む大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラと南瓜頭犬が心配そうに私を見ている。
嗚咽が漏れそうになるのを必死で奥歯を噛み締めて我慢する。
ここはどこなのだろう。
もう自分がどこを歩いてきたのかも分からない。
どうしてこんなことになってしまったのか。
話は今日の午前中まで戻る。
週末は魔術学校も幼年学校も休みなのだが、お墓参りに行った翌日のお休みの日にお兄ちゃんは魔術学校に行かなければいけなかった。
「研究課程に入学する書類を出しに行かなきゃいけなくなっちゃった。お昼までには戻るから待っててね」
毎朝の日課である薬草畑の世話も秋が深まって種の収穫や種を乾かしたりする作業が多くなっていた。寒さに強いものはまだ薬草畑に残っているのでファンヌとヨアキムくんがエディトちゃんに水やりの仕方を教えていた。
もう大きな如雨露を持てるようになったヨアキムくんが金魚の描かれた如雨露をエディトちゃんにお譲りしている。
「これでおみずをじゃーってかけるの」
「じゃーじゃーってつちにしっかりしみこむようにかけるのよ」
「じゃー、じゃー」
口で言いながら如雨露で薬草に水をかけているエディトちゃんが可愛らしい。それを応援しながら自分たちも水をかけていくファンヌとヨアキムくんは頼もしい。来年には二人とも幼年学校なのだから大きくなったものだと兄として感慨深く思ってしまう。
そんな私もまだ8歳なのだが、ファンヌやヨアキムくんがいるしその頃は自分はすっかりと大きいつもりでいたのだ。ファンヌもヨアキムくんも身体は小柄で手足が細くて、ファンヌはくるくるの天使のような巻き毛、ヨアキムくんも癖のある黒髪でどこか印象が似ている。姉妹と言われれば納得してしまう可愛さがあった。それにエディトちゃんまで加われば三姉妹だ。
ヨアキムくんが男の子だということは分かっているのだけれど、私でもどっちか分からなくなるくらいヨアキムくんは可愛らしかった。そんな私もどっちか分からないくらい可愛いと周囲から思われているなんて知っても嬉しくない事実は置いておく。
薬草畑の世話を終えてシャワーを浴びて朝ご飯を食べると、私はお兄ちゃんを玄関まで送って行った。
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん。気を付けて」
「行ってくるね」
しっかりとハグをしてお兄ちゃんを送り出して今日は何をしようかと考えながら廊下を歩いて部屋に向かう。窓から差し込む光は眩しかったが夏場の刺すような鋭さはなくなっていた。
「オリヴェルはもう行きましたか?」
廊下の奥の執務室の方からカミラ先生が出て来たのに気付いて私は部屋に入る前に立ち止まった。
「さっき出て行きましたよ」
「どうしましょう……」
困った様子のカミラ先生に私は近付く。カミラ先生は一枚の書類を持っていた。
「どうしたんですか?」
「保護者の署名が必要な書類を昨日オリヴェルから預かっていたのですよ。仕事の書類に紛れて一枚渡し忘れたようです」
「え!? お兄ちゃんが研究課程に入れなくなるんですか!?」
「遅れても構わないとは思うのですが、休日にせっかく行かせたのに悪かったですね」
書類を持って立ち尽くすカミラ先生に私は手を出してその書類を受け取った。しわにならないように二つ折りにして肩掛けのバッグの中に入れる。
「私が届けてきます」
「イデオンくん一人で行くんですか? カスパルかブレンダを……あぁ、そうだった、二人も今日は休暇でした……ビョルンさんを」
「大丈夫です、まな板もありますし」
これまでの自分の身も守れないような私ではなくなったのだ。私にはまな板がある。どうしてまな板なのかだけはどうしても解せないが、それでもまな板が非常に役に立つ武器であることには変わりなかった。
「魔術学校には幼年学校のように結界が張られているのでしょう?」
「それはそうですけど……」
「カミラ先生もビョルンさんとお休みしててください。お腹に赤ちゃんがいるんですから」
エディトちゃんの弟か妹ならば私にとっても弟か妹のような存在になるはずだ。大事な赤ちゃんがお腹にいるカミラ先生の手を煩わせなくても私は立派にお兄ちゃんに書類を届けることができる。
もう私は8歳なのだ。
自信満々で言う私にカミラ先生も納得してくれて馬車の手配をしてくれた。
「何かあったら魔術具で私やビョルンさんを呼んでくださいね?」
「分かりました!」
元気いっぱい出かけようとする私にヨアキムくんとファンヌが近寄って来た。エディトちゃんもマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃんを抱えて子ども部屋から出て来る。
まずい、大人数になると収拾がつかなくなる。
「行ってきまーす!」
「イデオンにぃさま?」
「にぃさま、どこいくの?」
「いおにぃ?」
問いかけにカミラ先生が答えている間に私はさっさと玄関から出て庭を横切って用意されていた馬車に乗ってしまった。
「御者さん、よろしくおねがいします」
馬車はがたごとと揺れながら石畳の道を走りだす。窓の外では街路樹が紅葉し、はらはらと枯れ葉が道に落ちていた。幼年学校に行くのと全く違う道、違う場所。
幼年学校は街の真ん中の方にあるが魔術学校は逆で少し外れた高台にあるようだった。幼年学校よりも堅牢で高い門のある入口に馬車が付くと、私は御者さんに手を借りて馬車から降りた。休日なので広い校庭には誰もひとがいないかと思ったら、球技のようなものをしているひとたちがいたり、校庭を走っているひとたちがいたりする。
お兄ちゃんに聞けばすぐ分かるのだがお兄ちゃんがいなくて、そのときの私は魔術学校に部活動というものがあることを知らなかった。お屋敷に早く帰ってくるためにお兄ちゃんが部活動に入っていなかったのだから話題にあがるはずもない。
「お休みでも生徒さんはいるんだ」
不思議に思いながら私はお兄ちゃんを探すためにそばにいた球技を終えて汗を拭いている女性の生徒さんに声をかけてみた。
「研究課程の書類を出す場所はどこですか?」
「研究課程の? どこかな……研究課程の校舎だっけ?」
「え? 教務課じゃないの?」
「ゼミに直接行くんじゃないっけ?」
集まって来た球技をしていた生徒さんたちが口々に違うことを言う。これは情報を聞く相手を間違えたかもしれない。
「ありがとうございます、校舎の中で聞いてみます」
「あ、そっちの扉開いてないわよ」
「え!?」
「今日はお休みだから、裏の扉しか開いてないの」
情報を得るためにはまず裏の扉に辿り着かなければいけない。ショックを受けつつ裏の扉を探して私は校舎の周りを歩き出した。開いていない扉に手をかけても開く気配はない。
ここではないのだと自分を落ち着かせながら開いている扉をひたすらに探す。
太陽は高く昇り始めて私の影が短くなる。
お兄ちゃんはお昼までに帰ると言っていたからもう帰っていてすれ違ってしまったらどうしよう。
不安になる私は時計も持っていなかったので時間を知ることもできない。
校舎の周囲を回っていたらどこか入れる場所があるだろうと思っていた私を足止めしたのが研究用の薬草畑だった。
校舎の周囲をぐるりと回りたいのにそこを抜けなければどうしても先に進めない。
歩いて行けば抜けるだろうと脚を踏み入れたが、枯れた葉っぱにほっぺたを叩かれてびくりと震えが走った。涙が滲んできそうになる。
「お兄ちゃん……どこぉ……」
泣き声を飲み込みながら私はその時点でカミラ先生かビョルンさんを呼べばよかったのだ。そうでなくても魔術具でお兄ちゃんと通信もできた。それなのに意地になって私は魔術具を使わなかった。
せっかくの休日で赤ちゃんもできて休んでいるカミラ先生とビョルンさんの時間を邪魔したくない。お兄ちゃんに一人で来られて偉かったと褒めて欲しい。
そんな気持ちのせいで私は助けを呼べなかった。
薬草畑は広くてどこをどう歩いたか分からなくなってくる。木の根っこに足を引っかけて転んだ私は土の上に座り込んでしまった。私の危機を察知して肩掛けのバッグから大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラと南瓜頭犬が出て来てくれるがそれが私の感情の堰を切ってしまった。
「ふぇ……おにぃちゃーん! うぇぇーん! どこぉー!」
大声で泣き出すと目の前の畝が動き出してマンドラゴラたちが出て来る。土塗れのマンドラゴラが元気づけるように私の周りを回っているが、なにも問題は解決していない。
お兄ちゃんが見つからない。
8歳の私は情けなくも号泣していた。
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