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お兄ちゃんを取り戻せ!  作者: 秋月真鳥
一章 お兄ちゃんのために両親を引きずりおろします!
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19.青い目の家庭教師

 泣き腫らした顔でも、早朝に起きて、薬草畑に行くのは変わらない。思い出すと涙が出て来るのは私だけではなく、ファンヌも同じようで、目は腫れて真っ赤で、洟を垂らして、涙を零しながらも、今日の水やりを終えた。疲れ切って心も消耗していたので、リーサさんが雑草抜きと害虫駆除の前に止めてくれる。


「今日はお疲れですし、一度お部屋に戻って休んでから、昼間に続きをしましょう」

「ひるまはっ、あついから、あまりそとにでてはいけないって、あにうえが……あ、あにうえ……あにうえぇ、ふぇっ」

「にぃたまぁ、びぇぇ」


 泣き出してしまう私とファンヌを、リーサさんが優しく部屋に連れ帰ってくれる。どんなときでも、お兄ちゃんは私とファンヌの健康を第一に考えてくれた。

 シャワーを浴びてさっぱりして、食欲はなかったが、朝食をもそもそと食べて、ベッドに倒れ込む。心配と悲しさで眠れなかった分、眠気が襲ってきて、私は枕に顔を埋めて泣きながらうとうとと眠り始めていた。ファンヌも自分のベッドに大の字で転がって、「ぶえええ」と泣きながら眠りかけている。


「ルンダールのお子様方は、随分とお寝坊さんのようですね」


 部屋に入って来た人物に、リーサさんの背筋がまっすぐに伸びた。まだ魔術を習っていない私でも分かるくらいに、その人物は魔力に溢れていた。

 黒い艶やかな長い髪を一つに纏め、青い穏やかな瞳を眼鏡の奥に隠した、長身でスレンダーな女性。誰かと似ている気がしたが、誰か分からない。

 眠たくて、泣き腫らした目を擦ってベッドから起きると、その人物は柳眉を寄せて、私とファンヌを見つめる。


「泣いていたのですね……可哀想に」


 使用人も、パーティーに来ていた貴族も、両親も、気軽に使う「可哀想」という言葉。それには若干の棘や、皮肉、嫌がらせが混じっていることが多く、私はそれを確かな味方と分かる人物の口から出たものしか信用しない。

 しかし、その人物の口から出た「可哀想」は、酷く痛々しく、重い響きをしていた。スヴェンさんが言ったときに心に響いた「可哀想」以外で、こんなに薄っぺらくない言葉を初めて聞いた気がする。


「イデオンくん、ファンヌちゃん、前の家庭教師から、一年近く教えても単語の一つ読めない子たちだと聞いています。勉強が大嫌いで部屋を走り回るとも」

「は、はしりますよ! ファンヌ、べんきょうなんかしないよね」

「ちない! じぇったい、ちないもん!」


 唇を尖らせて、精一杯悪い顔を作って、私たちは家庭教師からそっぽを向く。私たちの様子を見て、家庭教師はくすくすと笑っていた。


「なんて可愛らしい……こんな子たちが傍にいて、オリヴェルも幸せだったでしょう」

「あにうえのことを、よびすてに……あなたは、だれですか?」

「今は内緒です。私もあなたたちが信頼できるか分からない。あなたたちも私が信頼できるか分からない。あなたたちに試され、あなたたちも私に試される期間なのです」


 試して良いと、この家庭教師は言っている。

 ただ、誰もが「様付け」をしていたお兄ちゃんを、呼び捨てにしていたのが気になる。それも、両親のように棘のある言い方ではなくて、慈しむように、暖かな声音だった。


「私はカミラ。カミラ先生とでも呼んでもらいましょうか」


 前の家庭教師は、私たちがあまりにも勉強をしなくて、成果を上げられなかったので、辞めさせられた。次に来た家庭教師は、私たちに自分のことを試して良いと言っている。

 ファンヌと顔を見合わせて、「かけっこだ!」と部屋を走りだすと、長いスカートも気にせずに、家庭教師は素早く駆け寄って私を捕まえて脇の下に腕を入れて抱き上げ、続けてもう片方の腕でファンヌも捕まえてしまう。


「うそっ!?」

「ちゅかまった! にぃたま、どうちよ?」


 どうやら、肉体強化の魔術を使ったようで、あっさりと私とファンヌは家庭教師に掴まってしまった。


「か、かみつく?」

「めーよ! にぃたま、オリヴェルおにぃたんが、ひとにかみついちゃ、め! っていってたの」


 ひとの口の中は雑菌がたくさんで、子どもの歯は鋭いので皮膚を破ってしまいかねない。危険だから噛み付いてはいけないという、お兄ちゃんの教えがあるので、噛んで逃げることはできなかった。

 椅子に座らせられて、教科書を広げられた私とファンヌは、ぷいっと顔を背けた。

 ちらっと見えた教科書は、前の家庭教師が用意していたような、1ページにりんごの絵が描いてある下に大きく「りんご」と文字が書かれた、絵本のようなものではない。

 書かれているのは、お兄ちゃんが私に見せてくれたような、薬草学の本だった。


「簡単には勉強してくれないと思っていましたよ。さぁ、これはなんでしょうね」

「びぎゃ!」


 教科書を入れていた鞄から家庭教師が取り出したのは、人参の根っこが手足のように伸びて、顔のある植物だった。


「まんどあごあ! にぃたま、まんどあごあ!」

「ファンヌ、だめだよ」

「あ、ちらない! ちらないの!」


 賢いとはいえファンヌはまだ3歳児だった。本で見せてもらっただけのマンドラゴラ。ずっと薬草畑の奥の畝には植えてあるが、引き抜くことのできないそれの現物を、私たちはまだ見たことがない。

 初めて見た現物のマンドラゴラに、ファンヌが我を忘れて、うっかりと指差して興奮してしまうのも仕方がなかった。

 実際、私も絶対に見ないようにしようと顔を背けていたのに、物凄い勢いでそちらの方を見てしまっていた。


「マンドラゴラを知っているのですね。オリヴェルが教えたのでしょう。この領地では、先代のアンネリ様の統治されていた頃は、マンドラゴラ育成が盛んだったのですよ」

「しらない」

「ちらないもん!」


 顔を背けようとしても、テーブルの上でダンスを踊り始めた人参マンドラゴラに、私とファンヌの視線は釘付けだった。こんなものが裏庭の薬草畑に植えられていたのか。

 土の中でもお互いに「びぎゃ」「びょえ」と話をしているマンドラゴラは、こんなに陽気で楽しそうなのだ。


「マンドラゴラの育成には、栄養剤を使わないと、何年もかかる場合がほとんどです。重税をかけられて、ルンダールの領民は栄養剤を手に入れることができなくなって、マンドラゴラを育てられなくなりました」

「お、おしっこ、いきたいな!」

「わたくちも、おちっこ!」

「行ってらっしゃい。戻って来るまで待っていますよ」


 話の腰を折れば家庭教師をうんざりさせられるかと思ったのだが、全く苛々している様子もない。お手洗いに行って戻ってくると、私は自然と椅子に座っていた。ファンヌも良い子で椅子に座る。

 勢いよく椅子に飛び乗ったせいで、ファンヌはスカートが捲れてカボチャパンツが見えていたが、家庭教師は指摘せずに、優雅な手つきでファンヌのスカートを整えてくれる。


「あいがちょ」

「ファンヌ、こころをゆるしちゃだめ!」

「オリヴェルおにぃたんが、たしゅけてくれたら、おれい、いいなしゃいって」

「そ、それはそうだけど……いもうとを、ありがとうございます」


 幼児のカボチャパンツとはいえ、女の子の下着が丸見えというのは良くない。さりげなく整えてくれた家庭教師に、礼儀だからとお礼を言えば、「礼儀正しいのですね。オリヴェルは、本当にあなたたちに良い教育をしていたこと」とお兄ちゃんが褒められて、単純な5歳児は嬉しくなってしまう。


「マンドラゴラが収穫できなくなれば、税金を払うことが難しくなる。領民の中には、農地を売るものまで出ていると聞きます」

「……カミラせんせいは、このりょうちのひとではないのですか?」

「それも、今話せることではありません。この話を聞いて、イデオンくんとファンヌちゃんはどう思いますか?」


 意見を聞かれた。

 これまでの家庭教師は、私とファンヌに指示を出して、教科書の文字を読めとか、文字を書き写せとか、そういうことばかりしていた。

 文字が読めるか読めないか、それだけを重視していた前の家庭教師とは違う。

 今度は私が家庭教師を試す番だと気が付いた。


「ちちうえは、うえにたつもののうつわではないと、おもいます」


 凛と答えると、家庭教師の笑みが深くなる。


「セバスティアンさんに頼んで、オリヴェルを探させています。私もオリヴェルが死んだとは信じられなくてここに紛れ込みました。イデオンくん、ファンヌちゃん、私たちは手を組めないでしょうか?」


 セバスティアンさんも、この家庭教師のことを知っている。

 もしかすると味方かもしれないという考えに傾き始めていたが、まだ完全には信頼できない。私はお兄ちゃんを奪われたショックがまだ根強く胸に残っていた。

 差し出された手をじっと睨んでいると、家庭教師は教科書を鞄に片付けて、人参マンドラゴラをファンヌの膝の上に乗せた。


「お近づきの印です。ファンヌちゃんに差し上げます」

「いーの!?」


 小さなファンヌの膝の上で踊る人参マンドラゴラ。


「土から離してしまうと、栄養剤が必要になるので、近々お届けしますね」


 作ることが難しく、高価だという栄養剤を、届けられる家庭教師。

 謎の家庭教師を信頼してよいか、まだそのときの私には判断できなかった。

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