23.ヨアキムくん、5歳の悩み
ヨアキム・アシェルくん、5歳。
2歳のときからルンダール家に引き取られてファンヌとずっと一緒に暮らしているヨアキムくん。性格は大人しくてお花と可愛いものが大好きでファンヌのことが大好きな男の子。
初めの頃は上手く甘えられなかったけれど今は甘えてくれるし不思議に思ったことをたくさん聞いてくれる。
ヨアキムくんの部屋に呼びだされた私は何を話されるのか分からなかった。ヨアキムくんがファンヌと一緒じゃないときに話をするのは初めてかもしれない。
部屋の壁にあるテーブルから椅子を持ってきて机に寄せて、ヨアキムくんが机に備え付けの椅子に座って、私がテーブルから持ってきた椅子に座る。高さがヨアキムくん用に合わせてあるのでちょっと椅子の座面が高くて脚がぶらぶらした。
「ぼく、ひとりでおきがえできるようになったし、くつもたってはけるよ」
「ヨアキムくんは保育所でいっぱい練習したんだね」
「オムツもしてないし、よるもおてあらいにいけるようになったの」
「すごいと思うよ」
「イデオンにぃさま、ぼくは、ようねんがっこうのいちねんせいになれる?」
幼年学校の先輩としてヨアキムくんは私にそのことを確認したかったようだ。自分の身の回りのことができるのは大事だが、幼年学校はこの国の義務教育なので全員が行くように推奨されている。それでも家が貧しくて働かなければいけなくて行けない子もいるのだが、ヨアキムくんはそれに当てはまらない。
「ヨアキムくんは6歳になって来年の春になったら幼年学校に行けるよ」
「ファンヌちゃんもいっしょ?」
「一緒だよ。ミカルくんも」
二年と半年前には私と幼年学校に入学するのだと思い込んでいたファンヌとヨアキムくんは、来年の春にようやく幼年学校に入学できる。ファンヌとは誕生日がひと月違いで二歳違いだが、学年は三つ違うことになるようだった。
「おなじきょうしつにかよえるの?」
「幼年学校は一クラスだから同じクラスだよ」
「ようねんがっこうは、ほいくしょみたいに、おひるねしないってほんとう?」
「お昼寝はしないよ。お昼ご飯の給食を食べたら、お昼休みがあって、その後は勉強だよ」
「ほいくしょで、ようねんがっこうにいくじゅんびで、おひるねがなくなったの」
保育所では夏休み明けから来年幼年学校に入る子どもはお昼寝がなくなったのだ。それでヨアキムくんは急に幼年学校に興味を持ち始めたようだった。
「ウサギさんのポーチはもっていっていい?」
「私の肩掛けバッグは勉強道具を持って行くのに使ってるよ」
「リンゴちゃんはいっしょにいける?」
リンゴちゃん?
一番聞きたかったことはそのことのようでヨアキムくんは黒い目で真剣に私を見つめている。小さな拳が膝の上でぎゅっと握られていた。
「リンゴちゃんは無理かなぁ」
「ポーチにいれても?」
「リンゴちゃんをポーチに入れないで!?」
ときどきヨアキムくんはこっちがびっくりしてしまうような発想をする。
「イデオンにぃさまやファンヌちゃんはマンドラゴラをバッグにいれてるでしょう?」
「マンドラゴラとリンゴちゃんを一緒にしちゃだめだよ? リンゴちゃん、前も嫌がってたでしょう?」
初めてヨアキムくんがウサギのポーチをもらったときにリンゴちゃんを中に入れようとしてファンヌに止められていた。あれと同じことをヨアキムくんは繰り返すつもりだったのだろうか。
「だめなの……?」
しょんぼりとしたヨアキムくんになにかいい考えはないかと私は知恵を絞る。
「送り迎えの馬車にリンゴちゃんも並走してもらうようにする?」
御者さんが気を付けてくれればリンゴちゃんが危ない目に遭うことはないだろうし、ファンヌは肉体強化の魔術を使えて伝説の武器も持っていて、ヨアキムくんは呪いの魔術が使える。二人がいれば危なくはないだろうという判断にヨアキムくんは納得したようだった。
「リンゴちゃんにおくりむかえ、してもらうんだね」
「それなら寂しくないよね。その後リンゴちゃんは保育所でエディトちゃんと遊べばいいし」
私の提案にヨアキムくんは納得したようだった。
部屋を出て行こうとする私にヨアキムくんが手を繋いで廊下に出る。
「イデオンにぃさま、カミラせんせいのところにいっしょにいって?」
「いいよ。お願い事があるの?」
「そうなの」
手を繋いでカミラ先生の執務室を訪ねるとおやつの休憩の前で仕事をひと段落させたところだった。ブレンダさんもカスパルさんも先におやつのためにリビングに行くのに、カミラ先生とビョルンさんは残ってくれる。
「イデオンにぃさまみたいな、バッグがほしいの」
「来年から幼年学校ですからね。お誕生日はバッグにしましょうか」
「ウサギちゃんがついてるのがいいんだけど」
「分かりました。ウサギちゃんの刺繍をしましょう」
一生懸命小さな手で身振り手振りしつつ話すヨアキムくんにカミラ先生は膝を付いて視線を合わせてくれている。
「あと、うたいバラがさいてるあいだに、うばのおはかまいりにいきたいの」
「枯れてしまう前に見せたいのですね。分かりました、今週末にでも行きましょうか」
手を差し出されてヨアキムくんは両腕を広げた。脇の下に手を差し入れてカミラ先生がヨアキムくんを抱っこする。
「重くなりましたね」
「もっともっとおおきくなりたい」
「一杯食べて大きくなってください」
本当の親子のような会話に私は胸がじんとして目が潤んでくる。
呪いをかけられて悲しい思いをたくさんしたヨアキムくんは今はカミラ先生にも私にも甘えられるようになって、言いたいことを言えるようになってきた。ファンヌの後ろに隠れているだけの子どもではない。
来年からは同じ幼年学校に通うのかと思うと感慨深くなってしまう。
リビングに行くとお兄ちゃんもファンヌも来ていて、リーサさんが椅子に腰かけてエディトちゃんがマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃんを追いかけているのを見ていた。カミラ先生とビョルンさんの登場にエディトちゃんは目標をダーちゃんとブーちゃんからビョルンさんに移す。
飛び付いて抱っこされているエディトちゃんは嬉しそうだった。
「だー、ぶー、いっと」
「おやつの間はダーちゃんとブーちゃんは食卓には上げませんよ」
「めぇ?」
椅子にダーちゃんとブーちゃんと座りたがるエディトちゃんにビョルンさんが注意をする。可愛らしく小首を傾げて問いかけてもエディトちゃんのお願いは通用しなかった。
「ファンヌちゃん、イデオンにぃさまみたいなバッグをカミラせんせいがくれるって」
「わたくしはニンジンさんのポシェットでいいけど、ヨアキムくんはようねんがっこうにいくのにバッグ、ほしがってたものね」
「うばのおはかまいりもつれていってくれるって」
「それはよかったわね」
どうやらファンヌとヨアキムくんとの間に隠しごとはないようである。仲よく喋っているのを聞いていると安心する。
呪いのせいでお花を枯らしたこと、飼っていた犬を死なせたこと、乳母さんを死なせてしまったこと、そんな幾つもの悲しみを乗り越えてヨアキムくんはここにいる。
ヨアキムくんの実家のアシェル家はどうなったのか。
「お兄ちゃん、アシェル家ってどうなったの?」
「今はヨアキムくんの両親のお兄さん夫婦が継いでるのかな? ヨアキムくんが戻ったらヨアキムくんが継ぐはずだけど」
「どういうひとたち?」
ヨアキムくんの実の両親はヨアキムくんに呪いを蓄積させて私たちを害そうとしたような人物である。警戒する私にお兄ちゃんはちらりとカミラ先生を見た。
「一応、信用できるひとたちではありそうですよ」
それならばいいのだけれど。
大きくなってからヨアキムくんとファンヌが結婚すると言ったときに口出しなどされては冗談じゃない。
「そういえば、明日からの二日間、僕、研修旅行に行ってきます」
「え!? 研修旅行ってなに!?」
「特別な薬草を採取しに行くのに連れて行ってもらえることになったんだ。一泊二日だから、一日だけ泊って来る感じかな」
お兄ちゃんが研修でいない。
それが一泊二日でも私には長く感じられる。
急に知らされたお兄ちゃんの不在に私は動揺していた。
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