21.夏休みの間に変わったこと
夏休みが終わって幼年学校と魔術学校が始まった。卒業に向けてお兄ちゃんは忙しくなるので行きだけ移転の魔術で送ってもらって、帰りは馬車で迎えに来てもらうことになる。夏休み明けからエディトちゃんもリーサさんと一緒に保育所に入学することになっていた。
「マンドラゴラは置いて行ってください」
「やぁ! だー! ぶー!」
「マンドラゴラは連れて行けません。お留守番です」
「めぇ?」
入学の数日前から何度も何度も行われているリーサさんとエディトちゃんのやり取り。ふわふわのビョルンさん似の麦藁色の髪を揺らして首を振り、カミラ先生似の青い目を潤ませてエディトちゃんはかなり抵抗していた。それでもエディトちゃんは最終的にはマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃんを遊び用に使っている小さな子ども用椅子に座らせた。
「だー、ぶー……いっちぇまつ」
「上手に『行ってきます』が言えましたね。素晴らしかったです、エディト様」
名残惜しそうに何度も振り返って涙ぐんでダーちゃんとブーちゃんを見るエディトちゃんに、ダーちゃんとブーちゃんも椅子に座ったまま手を振り続ける。噛み痕があっても、ときどき乱暴に扱われていても、ダーちゃんとブーちゃんはエディトちゃんをとても大事に思っているのが伝わって来た。
感動しているとお兄ちゃんが準備を終えて私を呼びに来る。
「イデオン、行こうか」
「うん、行こう。ダーちゃん、ブーちゃん、お留守番よろしくね」
手を振るとダーちゃんとブーちゃんはなぜか私には敬礼をしていた。
お兄ちゃんと手を繋いで移転の魔術で幼年学校まで飛ぶと、ちょうどダンくんとミカルくんの馬車も幼年学校に到着したところだった。御者さんからダンくんが手を貸して下ろしてもらってミカルくんに手を振っている。
「ミカル、また帰りにな!」
「にいちゃん、いってらっしゃい!」
「ミカルも行ってらっしゃい」
慣れない様子だが馬車で来たダンくんに同級生が集まって来る。私とお兄ちゃんはいつものように「行ってらっしゃい」と「行ってきます」のハグをして別れた。
「馬車で通学するのって目立つんだな。イデオンの気持ちがちょっと分かったよ」
「恥ずかしいかもしれないけど、気をつけなきゃいけないからね」
貴族の子息となったからにはダンくんには既にお見合いの話が来ているくらいだし、誘拐しようという輩がいてもおかしくはない。ダンくんとミカルくんが平和に暮らすには周囲からは贅沢と思われるとしても馬車での移動は欠かせないものだった。
「おはよう、イデオンくん、ダンくん。ダンくんが貴族になったって本当だったのね」
「嘘ついてどうするんだよ。ニワトリメロンのしゅうかくのときにお祖父様と来ただろ」
「あのときはイデオンくんのお屋敷だったから、貴族がいても違和感なくて」
ころころと笑うフレヤちゃんにどこかダンくんは恥ずかしそうだった。
授業前にエドラ先生が夏休みの間にあったことを私たちに伝えてくれた。
「ダンくんがベルマン家の養子になって、名前がダン・ベルマンになりました。ダンくんはこれからは自分のものにはその名前を書いてくださいね。みなさんもダンくんの家名を覚えてください」
そうなのだ、この国で家名があるのは貴族だけ。それまではただのダンくんだったのが、ベルマン家の養子になってからダンくんはダン・ベルマンになった。
私は元々イデオン・ベルマンでそれがイデオン・ルンダールになったので家名があるのが普通と思っていたが、フレヤちゃんや他の貴族ではない同級生には家名がないのだ。
同じ名前の子もいるのでそういうときにはルンダール領の中でも貴族たちに分割して統治を任せている貴族の家名が呼ばれる。フレヤちゃんならばサンドバリ家の管轄にいるので、サンドバリ統治下の領地にいるフレヤちゃんということになるのだ。
ややこしいので領民全部に家名を与えたらいいのにと考えるが、それほど簡単な問題ではないようだ。
来週末の収穫祭の件についてもエドラ先生は教えてくれた。
「出店を出したいひとは申請をしてくださいね」
ニワトリメロンを売るつもりだったから私は帰りに申請書をもらうことにした。休み時間にはダンくんとフレヤちゃんが近くの椅子に座った。
「ニワトリメロン、暑い中の作業中に食べるとすごく体が冷えて助かってるわ」
「おれの母ちゃんもお腹に赤ちゃんいるから、暑いって言ってて、ニワトリメロンなら食べられるって喜んでたよ」
「まだ残ってる? 足りてる?」
「バザーで売ってくれるんでしょう? 買いに行くわ」
「切ったニワトリメロンをその場で食べられたらいいだろうなぁ」
切るときに真っ赤な果汁が飛び散るのが難点だがそれを気を付ければ、ニワトリメロンは氷菓のようにして収穫祭で食べてもらえるのではないだろうか。ダンくんの考えも聞いて私はカミラ先生に相談してみようと思っていた。
帰りに校門まで来ると二台の馬車が停まっている。ベルマン家の馬車とルンダール家の馬車だ。
ベルマン家の馬車にはミカルくんとケントの乳母だった使用人さんが乗っていて、ルンダール家の馬車にはリーサさんがエディトちゃんを抱っこして席にはファンヌとヨアキムくんが座っていた。
「それじゃ、また明日!」
「フレヤちゃん、途中まで乗っていくか?」
「ううん、気を付けてね。また明日!」
挨拶をしてダンくんと私はそれぞれ馬車に乗り込み、フレヤちゃんは鞄を持って歩いて帰っていく。
馬車に揺られているとエディトちゃんが身振り手振りで一生懸命私に何かを訴えかけて来た。
「お! ふぁー、よー、みー! いっと! みー、ばっばい」
「ファンヌとヨアキムくんとミカルくんと一緒に遊んだの? ミカルくんとは今さっきバイバイしたね」
「イデオン様、エディト様の言っていることが分かるんですか?」
「なんとなく」
拙いお喋りでもエディトちゃんは一生懸命伝えようとしている。それを汲むことがこんなにも難しいけれど楽しいことだなんて私は知らなかった。私が幼い頃に拙い喋りでお兄ちゃんに話していたのをお兄ちゃんはこんな風に聞いていたのだろうか。
初めて出会ってから六年経って、私はお兄ちゃんの気持ちが分かったような気がした。エディトちゃんは可愛くて可愛くてたまらない。ファンヌもヨアキムくんも私にとっては妹と弟のような存在として天使のようで可愛いのだが、二人とは年が近かった。その分対抗したり暴走を止めたりする大変さがあったけれど、エディトちゃんとはかなり年が離れているので純粋に可愛いだけの感情でいられる。
エディトちゃんがこんなに可愛いのだ、お兄ちゃんは初めて出会った頃の私を可愛いと言ってくれているのが本当だと実感する私だった。
お屋敷に戻るとカミラ先生に申請書を書いてもらいに行く。
「ニワトリメロンを売るだけじゃなくて、その場で食べられるようにしたいって書いて欲しいんです」
「まだ暑いですしニワトリメロンの冷たさは人気が出るでしょうね。オリヴェルにニワトリメロンの数を聞いて、明日までに書類を準備しておきますね」
「私、ニワトリメロンの数、分かりますよ」
「そうですか、イデオンくん。では、今書きましょう」
お兄ちゃんと一緒に保管庫に入れるときに記録を取ったので覚えていたニワトリメロンの数を伝えて、そのうち何個をその場で食べられるようにして、何個を売るかを決めていく。
「今年も向日葵駝鳥の種の収穫時期になってきました。工場は大忙しですよ」
向日葵駝鳥の種から油を搾ってこれから一年石鹸やシャンプーを作っていくだけの材料を作る。その作業がそろそろ始まるのだ。去年のこの時期に工場が出来上がった向日葵駝鳥の石鹸とシャンプーの事業も順調に進んでいた。
向日葵駝鳥と青花の石鹸とシャンプーは蜂蜜も加えて保湿効果も抜群で使い心地も良く、去年はオースルンド領と王都に売り込んでいたが今年からノルドヴァル領やスヴァルド領にも売り込み始めて、貴族たちがこぞって買っているという。
魔術を高めて呪いを浄化するという効果はやはり魅力的なようだ。
貴族だけでなく魔術具を作る工房からも魔力を高めるために注文が入っている。
「工場の拡張も進んでいます。ルンダール領はますます豊かになりますよ」
私が思い付いた事業がルンダール領を栄えさせていると聞くと嬉しくなってしまう。
カミラ先生が書いてくれた申請書を受け取って部屋に戻ると、お兄ちゃんが帰って来ていた。シャワーを浴びた後のようでバスタオルで髪を拭いている。
「ただいま、イデオン」
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
「それは、バザーの申請書?」
持っていた申請書をお兄ちゃんに見せると目を通してくれる。
「その場でも食べられるようにするんだね」
「そうなんだ。収穫祭は暑いでしょ?」
「また人気のお店になりそうだね」
研修が入っていないのでその日は手伝ってくれるというお兄ちゃんに私は喜んで飛び付く。そこで「お帰りなさい」のハグをしていなかったことを思い出して、私はお兄ちゃんに抱き付いた。
「お兄ちゃん、ハグしてなかったよ」
「何歳までしてくれるかな?」
「ずっとしちゃダメなの?」
「イデオンが良いなら喜んで」
ぎゅっと抱き付くとお兄ちゃんは向日葵駝鳥のシャンプーの爽やかな匂いがした。
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