20.エディトちゃん覚醒
それは子ども部屋でのことだった。
涼しい風が通る魔術で冷やされた部屋でファンヌとヨアキムくんはお絵描きをしている。それを見ながら私とお兄ちゃんは刺繍をしていた。夏休みもそろそろ終わりに近づいて秋になる。秋になれば薬草畑の種を収穫して来年用に袋に分けて収納しなければいけない。
今年はお兄ちゃんは魔術学校の最高学年で卒業試験と研究課程の入学試験があるので、勉強の時間がとれるように袋の刺繍を先にやっておこうと二人で針と糸を持ち出した。
縫物に慣れているお兄ちゃんの針運びは滑らかなのだが、私は指を刺したり違う場所に糸が行ってしまったり糸が絡んだり全然順調ではない。糸が絡むたびにお兄ちゃんは私の針を手から取って、丁寧に糸を解してくれていた。
穏やかな午前中のひととき。
悲鳴が上がったのはそんなときだった。
「きゃー!? エディト様ー!?」
畑仕事の後で疲れて朝ご飯を食べたらベッドで休んでいたエディトちゃんが起き出したのを見に行ったリーサさんの悲鳴。素早く針を針山に刺して私とお兄ちゃんは立ち上がった。
ファンヌとヨアキムくんもクレヨンと紙を投げ捨てて駆け付ける。
「エディトちゃん、大丈夫!?」
「何が起きたんですか!?」
白いカーテンで区切られた子ども用のベッドの方に行けばエディトちゃんがベッドの脇にしゃがみ込んでいた。
「う?」
私たちが来たのを見て振り返る。
エディトちゃんはベッドの下に隠れたブーちゃんを掴みだすために、片手でベッドの足を掴んで持ち上げていたのだ。もちろん全部持ち上げているわけではなくてベッドの四つの端の一つを上に持ち上げているだけなのだが、子ども用のベッドと言っても頑丈でかなりの重さはあるはずだった。
「ぶー、みっ!」
「エディト様、手を挟みます。気を付けて」
ベッドの四つの端っこの一つを持ち上げたエディトちゃんにリーサさんは青ざめて下ろすように促しているがブーちゃんだけでなくダーちゃんもベッドの下に入り込んでしまったのでエディトちゃんはますます高くベッドを持ち上げる結果になってしまう。
「イデオン、マンドラゴラを呼んで!」
「分かった。出てきて!」
「びゃい!」
「ぎょい!」
「ぎゃわん」
小型で軽いのでいつも持っている肩掛けのバッグから呼べば大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラと南瓜頭犬が飛び出て来る。
事態を見てすぐに察した三匹はエディトちゃんのダーちゃんとブーちゃんに呼びかけた。
「びゃ! びょびょえぎょえ!」
「びょえ! ぎょぎょぎゃぎゃう!」
「びゃうん! びゃうん!」
呼ばれてびくりと震えたダーちゃんとブーちゃんは大人しくベッドの下から出てきてエディトちゃんに捕まえられた。エディトちゃんは満足してベッドから手を放すとどすんと音がしてベッドの脚が元の位置に落ちて来る。
「きゃー!? 挟みませんでしたか?」
「りぃ?」
自分が何をしたのか分かっていないエディトちゃんは不思議そうに、叫ぶリーサさんを見つめていた。
「そしつがありますわね」
「ファンヌちゃんみたい!」
ファンヌとヨアキムくんは無邪気に喜んでいるがこれはそんなに簡単な問題ではない。私とお兄ちゃんはすぐにカミラ先生を呼んできた。
「エディトちゃんがベッドを持ち上げたんです」
「魔術の気配を感じました。エディトもファンヌのように無意識に肉体強化の魔術を使えているようです」
「エディトが……!?」
「さすがカミラ様の娘ですね」
緊迫した私とお兄ちゃんとカミラ先生の会話の中、ビョルンさんだけがおっとりと笑ってエディトちゃんを抱き上げている。その間にダーちゃんとブーちゃんは正座させられて私の大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラと南瓜頭犬に説教されていた。
「びゃびゃびゃ! びょえ! ぎょぎょぎょえ!」
「びょー! びゃーびゃー! ぎょえ!」
「びゅわん、びゅわん!」
エディトちゃんが危険に晒されるような場所に入ってはいけないと言い聞かされているのだろうと言葉は通じないが私には分かる気がする。先輩マンドラゴラの説教をダーちゃんとブーちゃんは神妙な表情で聞いていた。
あれ? 私、マンドラゴラの表情が分かるんだっけ?
そんな浮かんだ疑問は置いておくとする。
「この年では制御は難しいでしょうね。性急に魔術具を作りましょう」
「カミラせんせい、わたくしのつかっていたのがあるわ」
「ファンヌちゃん、お譲りしてもらってもいいですか?」
「もとはカミラせんせいからもらったものですもの」
ファンヌが宝物入れを持ってきてその中に入っていた首から下げるタイプの魔術具をカミラ先生は素早く解いてブレスレットに編み上げた。エディトちゃんの腕に着けてほっと息をつく。
「リーサさん、驚かせてしまいましたね」
「ファンヌ様も肉体強化の魔術を使いますが、こんな小さな頃ではなかったのでどうすれば聞いてもらえるか分からなくて」
「今後は魔術具で制御しますので、外さないように気を付けていてください。外したりなくしたりしたら、すぐに教えてくださいね」
「心得ました」
ファンヌのことがあったのでリーサさんも理解はしているようだった。それにしても1歳を過ぎたくらいなのにもう肉体強化の魔術が使えるなんてさすがはカミラ先生の娘だ。
「まっま、ぱぁぱ」
「あまりリーサさんを困らせてはいけませんよ?」
「エディトは可愛いですねー」
「ビョルンさん、お顔が崩れていますよ」
笑み崩れるビョルンさんはよくエディトちゃんを抱っこしているのでエディトちゃんもお父さん大好きで近くに来ると抱っこを強請る。抱き上げられてにこにこしていたがカミラ先生とビョルンさんが部屋から出て行ってしまうと、エディトちゃんは私とお兄ちゃんのところに腕に付けられた魔術具を見せに来た。
小さなガラス玉のついた魔術具はブレスレットになっていてとても可愛い。
「おっ! おぉ!」
「とても似合ってるよ」
「外しちゃダメだからね」
「めぇ?」
つるつるとしたガラス玉の表面を撫でて舐めてみているエディトちゃんはそれが腕についていることに違和感を覚えているようだった。
外さないかハラハラして見ていたが、ヨアキムくんとファンヌにも腕の魔術具を見せに行く。
「うぉ! おぉ!」
「それは、わたくしがつかっていたのよ。いまはヨアキムくんといろちがいのおそろいなの」
「ファンヌちゃんとおそろい」
ファンヌの手首にもヨアキムくんの手首にも作ってもらった魔術具が着けられている。ファンヌがオレンジ色の編み紐に黄色い薔薇の入ったガラス玉、ヨアキムくんが黄色い編み紐にオレンジ色の薔薇の入ったガラス玉の魔術具。
「お! いっと!」
「そうね、エディトちゃんもいっしょね」
「つけてるとまもってくれるんだって」
私たちが外しちゃダメというよりも余程ファンヌとヨアキムくんとお揃いだということの方が効果がありそうだった。その上ファンヌのお譲りなのである。
「ふぁー、よー」
うっとりと魔術具を眺めるエディトちゃんは自分で外す危険性はないように思えた。安心して私とお兄ちゃんはまた刺繍を始める。
「びびょぐぁ、ぎょえ!」
「びゃい!」
私のマンドラゴラがダーちゃんとブーちゃんに説教をしている声が聞こえる。
夏休みも終わりに近づいているが暑さはまだまだ衰えることを知らないような熱気が窓の外から流れ込んでくるのをリーサさんが魔術のかかったレースのカーテンで遮断する。
「そろそろお昼ですから、お絵描きを片付けましょうか」
リーサさんに促されて投げ出していたクレヨンと紙を片付けるファンヌとヨアキムくん。戻って来た大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラと南瓜頭犬にねぎらいの栄養剤をあげて私は肩掛けのバッグに戻ってもらった。
刺繍も切りの良いところで終わらせて糸と針を片付ける。
「んまっ! まんまっ!」
こってりと説教されて項垂れるダーちゃんとブーちゃんを両脇に抱えて、エディトちゃんが食事用のリビングに行こうとしているのをリーサさんが止めている。
夏の穏やかな一日のことだった。
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