18.イデオン、驚愕の事実
冬にはお兄ちゃんは18歳になって成人する。魔術学校はまだ卒業しないし、研究課程にも進むからすぐに当主になるわけではないが、成人した四公爵家の子どもは王都でお披露目のパーティーが開かれると聞いた。
「カミラ先生、私、心配なんです」
「イデオンくんは本当にオリヴェルのことを考えてくれていますね」
お兄ちゃんが部屋で勉強している間に私はカミラ先生の執務室を訪ねて相談をしに行っていた。ルンダール領の貴族ですらカミラ先生がいるのにコーレ・ニリアンに煽られて反乱を起こしかけたり、エディトちゃんのお披露目パーティーではヨアキムくんに乳母さんを殺したと吹き込んだり、嫌なところばかり目に付くのだ。カミラ先生が保護者として同行するとしても私はお兄ちゃんが王都に行くのが心配でたまらなかった。
「お見合いの席が用意されていたらどうすればいいんでしょう?」
「私がぶち壊しますから大丈夫です」
「お兄ちゃんが嫌なことを言われたらどうすれば」
「私が守ります」
「カミラ先生の見てないところでお兄ちゃんに何か吹き込むひとがいたら」
気が気でない私の話をカミラ先生は真剣に聞いてくれる。
「オリヴェルも子どもではなくなるのですからそんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「お兄ちゃんには戦う術がありません」
私が一番気にかかっているのはそのことだった。
伝説の武器として認めたくないけれど私にはまな板がある。ファンヌには菜切り包丁がある。ヨアキムくんは呪いの力がある。肉体強化も攻撃の魔術も得意ではないお兄ちゃんは、実は防御もそこそこの能力しかなかった。
何が優れているのかと言えばお兄ちゃんは薬草学と医学に優れている。薬草を育てるための栄養剤に魔力を込めたり、呪いを解いたり、怪我や病気を緩和させたりする魔術には非常に才能があるのだが、攻撃系の魔術は全く才能がなかった。攻撃と防御に長けていて「カミラがいれば軍隊はいらない」とまで言われる「魔女」のカミラ先生とは全く逆なのだ。
せめて防御や身を隠す魔術が優れていればいいのだが、それも人並みでしかないお兄ちゃん。
「私が付いていくことはできないでしょうか?」
「イデオンくんが、ですか?」
「ほ、ほら、私、お兄ちゃんがいないと眠れないですし!」
「初耳ですね」
「そういうことにしておいてください!」
基本的にカミラ先生やお兄ちゃんに嘘を吐いたことがないので私の嘘はバレバレである。夜通しのパーティーでお兄ちゃんが知らない御令嬢に誘われて闇の中に消えていく。考えただけで嫌な気分になってしまう。
「はなしはききました!」
あ、一番聞かせちゃいけない子に聞かせてしまった。
バーンと執務室の扉を開いてファンヌがヨアキムくんを連れて入って来た。これはまずいのではないだろうか。
「オリヴェルおにぃちゃんのききなのね! わたくし、おうとへまいります!」
「今日じゃないからね?」
「そうなの? それじゃ、いつ?」
「どこから聞いてたの?」
途中から中途半端にしか聞いていなかったらしいファンヌに聞けば、ヨアキムくんが図鑑を一緒に読んで欲しくて私を探しに部屋に行ったらいなくて、執務室にカミラ先生を訪ねてきたところ、お兄ちゃんがお見合いをさせられるかもしれないという私の言葉から聞いていたらしい。
「おうとで、オリヴェルおにぃちゃんがおみあいをさせられるんじゃないの?」
「ぼく、ふこーなれ! するよ?」
「ヨアキムくん、それはダメだからね」
見合い相手に呪いをかける気満々のヨアキムくんを止めつつも、本心ではそれもいいかもなんてちょっと思わなくもない私は酷いのかもしれない。
カミラ先生が椅子から立ち上がった。
「こういうことはオリヴェルに内緒で話すことではないでしょう」
「で、でも……」
「イデオンくん、オリヴェルに本当の気持ちを話してみたら良いと思いますよ。オリヴェルはイデオンくんを特別可愛く思っていますからね」
促されて私はカミラ先生に執務室から送り出されて部屋に戻った。アイスティーを飲み干したグラスに氷だけが残っていてガラスの表面に水滴がたくさんついて机に滴っている。
「何か飲み物を持ってこようか?」
勉強の手を止めてお兄ちゃんが私が戻って来たのを確認してグラスを手に取った。
「フルーツティーがいいな」
「厨房にお願いしてみようね」
グラスを廊下にいた使用人さんに渡してフルーツティーを頼むお兄ちゃん。フルーツティーが運ばれて来るまで私は大人しく椅子に座りながらどうやって話を切り出そうか考えていた。
使用人さんがお盆に乗せてフルーツティーの入ったボトルと氷の入ったグラスを持ってきてくれる。机の上にグラスを置いてお兄ちゃんがグラスの中にフルーツティーを注いでくれた。
オレンジに桃にベリーにレモンの入ったフルーツティーのボトルから、ころりとベリーが一個転がり出てグラスの中に入った。冷たいフルーツティーを一口飲んで私は両手でグラスを持って中身を見つめる。ふよふよとベリーが冷たく甘い紅茶の中に浮かんでいた。
「お兄ちゃん、成人したら王都でお披露目があるんでしょう?」
「そうみたいだね。僕も初めてだからよく分からないけど、叔母上もカスパル叔父上もブレンダ叔母上も、成人の際に呼ばれたみたいだよ」
「カミラ先生は一緒に行ってくれるだろうけど、私、お兄ちゃんが心配なんだ」
思っていることを素直に口に出すとアイスティーを飲んでいたお兄ちゃんがグラスを置く。嚥下した瞬間に喉仏が動いてお兄ちゃんは大人なのだと感じてしまう。
「何が心配なのかな? 僕が研究課程に進むことは叔母上から国王陛下に報告されていて、すぐに当主になるように命じられることはないよ」
そういう心配もあったはずなのに私は全く違うことを考えていたことに気付く。なんでお兄ちゃんがお見合いをさせられたり、嫌がらせをされたりすることばかりに気を取られて、そういうことに気付かなかったのか。
自分が酷く子どもっぽくて情けないような悔しいような気持になる私が話し出すのをお兄ちゃんはゆっくりと待っていてくれた。アイスティーのグラスの中で氷が溶けて音が鳴る。
「私はお兄ちゃんがお見合いの席に無理やり連れて行かれたり、エディトちゃんのお披露目のときのヨアキムくんみたいに嫌な言葉を吹き込まれたりするんじゃないかって思ってた」
「イデオンは優しいな」
「研究課程のこと、考えてなかったんだよ?」
「それは決定事項だったからじゃないの?」
私の中でお兄ちゃんが研究課程に進むことは決定事項だった。だから考えなかったのだと優しいお兄ちゃんは言ってくれる。
そう言われればそうなのかもしれない。
「私も王都に一緒に行けないかな?」
「え?」
「お兄ちゃんを、守りたいの!」
まだ8歳で頼りないかもしれないけれど私には伝説の武器がある。まな板だというのがどうしても解せないがそれでも威力を補正して角度を調整して速度を増して的確に攻撃できるし、大きくなって盾としても使える。まな板なのに使えるということがますます納得できないが今はそのことは置いておく。
「イデオンは、無自覚だから困るよね」
「へ? 私、なにかした?」
「お見合いの話、僕よりもイデオンの方が多いんだよ」
「え、えぇー!?」
それは初耳だった。
成人の近いお兄ちゃんの方がお見合いの話は多いと勝手に思い込んでいたが、お兄ちゃん曰く私の方がお見合いの話は多いらしい。
「向日葵駝鳥と青花の石鹸の事業を起こした子だって噂は王都にもオースルンド領にもノルドヴァル領にもスヴァルド領にも届いていて、そんな子なら婿に欲しいって引く手数多なんだからね」
「うそー!?」
全然知らなかった。
もうすぐ18歳になるお兄ちゃんよりも8歳の私の方が引く手数多だったなんて。
「ルンダール領の当主になるから僕は家を離れられないけど、イデオンは婿入りができる立場だから色んな貴族の家が欲しがってるんだよ」
「そんな……危機感がなかったのは、私!?」
驚愕してしまった私にお兄ちゃんは優しく言う。
「王都に一緒に来ても良いと叔母上も言うと思うし、僕も本当はちょっと怖いから一緒にいて欲しいよ。でも、気をつけなきゃいけないのはイデオンの方なんだからね」
その上、自分の父親の生家であるベルマン家に親友を養子にさせた知恵ものとしても私の名前は轟いていると聞いて私はげっそりしてしまった。
人間、自分のことは意外と分からないものである。特に当時まだ8歳の私はお兄ちゃんしか視界に入っていなくて自分のことすらよく分かっていなかったのだった。
「お、お兄ちゃん、怖い!」
思わずお兄ちゃんに抱き付いた私は、お兄ちゃんを守るよりも守られる気配がひしひしとしていた。
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