18.消えたお兄ちゃん
お兄ちゃんが閉じ込められても、季節は過ぎていく。
私の前で寂しさや弱音を吐くようになったお兄ちゃんだが、まだ食事や着るものに呪いがかけられていないので、油断していた。
毎朝薬草畑に行って、リーサさんに手伝ってもらって、水やりと雑草抜き、害虫の駆除、収穫を行って、部屋に帰る。朝ご飯を食べて、家庭教師からは逃げ回って、家庭教師が疲れ切って帰ってしまってから、お昼ご飯を食べてお昼寝をする。おやつのお手伝いのふりをして厨房に入って、スヴェンさんから薬草の売り上げを受け取って、前の日に預かっていた干して乾かした薬草を渡して、おやつを食べる。夜になると部屋を抜け出して、お兄ちゃんのところに行く。
毎日そうやって過ごしていると、お兄ちゃんは私が来るのを待っていてくれるようになった。私が来ると嬉しそうに歓迎してくれる。
「おにいちゃんのおたんじょうび、これ、スヴェンさんとつくったの」
小さなケーキを差し出すと、お兄ちゃんは喜んでくれた。
「ありがとう。今年もお誕生日を祝ってもらえるなんて」
「これは、ファンヌから。おきてられないから、おにいちゃんに『だいすき』っていってたの」
「嬉しいよ」
庭でファンヌが真剣に摘んだ花を渡すと、お兄ちゃんはそれをアンネリ様の立体映像の前に飾った。
収穫した薬草が干されて乾くたびに、スヴェンさんに売りに行ってもらっているので、お兄ちゃんの所持金はそこそこの金額になっているはずだった。それでも、それだけで逃げ出して一人で暮らしていくことはできない。
14歳になってもお兄ちゃんは、お屋敷から逃げ出すことの難しさも知っていたし、逃げ出せたとしてもその後生きていけるかという困難も理解していた。
「薬草の種の収穫は上手くいった?」
「しゅるいごとに、ちいさなふくろにいれて、リーサさんにししゅうをしてもらったの」
「それはいいアイデアだ」
どの薬草の種か分かるように、刺繍をしてもらって、来年植える場所が決められるようにしたと告げると、お兄ちゃんは褒めてくれた。
「マンドラゴラはどうすればいいか、わからないの」
「水やりと、雪の日に枯れないように気を付けていれば、何年も育つから、イデオンが収穫できる年まで生きてるかもしれないよ」
「なんさいかな? ようねんがっこうにはいったら?」
「それはちょっと早いかな」
そんなことを話しながらお兄ちゃんと笑い合う。
閉じ込められている生活の中でも、お兄ちゃんは薬草を乾かしたり、調合してみたり、本を読んで勉強したりして、有意義に過ごしているようだった。
「毎晩、イデオンが来るのが楽しみだよ」
「あしたもくるからね」
こんな毎日が続くと、幼い私は信じていたのだ。
春先には裏庭の薬草畑を開墾して、畝を作った。私とファンヌとリーサさんだけでは大変だったが、少しずつ時間をかけてやれば、なんとか仕上がって、種も植えられた。
植えた種に毎朝水やりに行って、育てて、お兄ちゃんの資金をもっと増やそうとしていた矢先のこと。
お兄ちゃんの不自由ながら平和な日常が、突然変わったのは、私の5歳の誕生日だった。毎年のことながら、窮屈な盛装を着せられて、パーティーの席に出された私は、両親から衝撃的な発表を聞いた。
「長らく臥せっていたオリヴェル様が亡くなったのです」
「医師も手を尽くしたのですが、不治の病だったようで」
嘘だ。
昨日の夜も、お兄ちゃんは部屋にいた。
「明日はイデオンのお誕生日だね。何もできないけれど、おめでとう」
おやすみなさいのキスを額にしてくれて、お兄ちゃんはそう言って私を部屋に送り出した。元気だったお兄ちゃんが、急に死んでしまうはずはない。
愕然として立ち尽くす私の周囲で、貴族たちがざわめいている。
「葬儀はどうなさるのですか?」
「病がうつってはいけないので、もう荼毘に」
「そんな! 家を乗っ取りたい誰かが命を奪ったのではないですか?」
「お可哀想なオリヴェル様」
頭がぐるぐるとして、私は気分が悪くなって座り込んでしまった。
お兄ちゃんが死んだなんて信じたくない。昨日の夜まで、お兄ちゃんは元気に生きていた。私のお誕生日を祝ってくれた。
「あにうえは、しんでない!」
「オリヴェル様は息子を可愛がってくれていました。息子が信じたくないのも分かります」
「あぁ、イデオン、可哀想に」
芝居がかった両親の様子が信じられない。
「さわらないで!」
抱き締めようとする両親を突っぱねて、私は走り出していた。子ども部屋の横を通り過ぎて、お兄ちゃんの部屋まで。何度も扉をノックしても、お兄ちゃんは出て来てくれない。
「おにいちゃん! おにいちゃーん!」
泣き喚いていると、セバスティアンさんが追いかけて来てくれて、お兄ちゃんの部屋の扉を開けてくれた。
干していた薬草も、アンネリ様の立体映像を映し出すロケットペンダントも、なくなっている。ベッドはそのままだが、お兄ちゃんの姿はどこにもない。
「おにいちゃん、どこ……」
泣き崩れる私に、セバスティアンさんがそっと耳打ちした。
「旦那様と奥様は、オリヴェル様を捨てておしまいになったのです」
「ど、どこに?」
「今、わたくしたちも手を尽くして探しております。何か情報が入れば、必ずイデオン様にお伝え致します」
アンネリ様を毒殺した両親は、お兄ちゃんまで殺すわけにはいかなかったのだろう。
捨てられたお兄ちゃんは、今どこにいるのだろう。
季節は春だが、もう夜で気温も下がってきている。
よろよろと子ども部屋に帰って来ると、リーサさんとファンヌが私のことを待っていてくれた。ぽろぽろと涙が零れて止まらない。
「あにうえが、しんだって、ちちうえとははうえが」
「オリヴェル様が!? まさか」
「にぃたま?」
3歳になったファンヌの目も、涙が浮かんでくる。夜にお兄ちゃんに毎晩会えていた私と違って、ファンヌは夜は眠くなってしまうので、お兄ちゃんが閉じ込められた夏の日から、ずっとお兄ちゃんに会えていなかった。
涙を流すファンヌを、私が抱き締めると、リーサさんが二人纏めて抱き締めてくれる。
「セバスティアンさんは、すてられたんだって、いってたの……ちちうえとははうえは、あにうえをすてた……」
まだ14歳のお兄ちゃんを捨てるということは、路頭に迷って死んでも構わないということに等しい。特に両親はお兄ちゃんがいつか逃げ出す日を想定して、薬草売買でお金を貯めていたことなど知るはずがない。薬草畑は、お兄ちゃんと私とファンヌとリーサさんだけの内緒だった。
一文無しの成人していない子どもを捨ててしまえば、飢えて死ぬしかない。
「やくそうで、おにいちゃんは、ちょっとはおかねがあったとおもう」
「セバスティアンさんは?」
「さがしてくれてるみたいです。おにいちゃんのおかねがなくなるまえにみつかればいいけれど」
お兄ちゃんはどこに捨てられたのだろう。
すぐに飢えて死ぬということはないけれど、天露をしのげる場所にいるのだろうか。お腹は空いていないだろうか。
心配で涙が止まらない私に、ファンヌも抱き付いてぽろぽろと涙を流す。
「わたしもさがしたい……」
「わたくちも」
「イデオン様とファンヌ様は小さすぎます」
「わたしのあにうえが、しんでしまう!」
混乱してリーサさんに怒鳴ってしまったが、リーサさんは大人の落ち着きで私を宥めてくれた。
「見つかったとしても、オリヴェル様はお屋敷に戻って来られるとは思いません。オリヴェル様を探すのはセバスティアンさんにお任せして、わたくしたちは、残された薬草畑を守りましょう」
「やくそうばたけ……?」
「これから、オリヴェル様にはお金が必要になります。そのために、薬草畑でオリヴェル様の生活を支えるのです」
リーサさんの言うことも最もだった。
私たちはお兄ちゃんを見つけ出しても、お屋敷に戻すことができない。社交界ではっきりとお兄ちゃんの死を宣言した両親が、今更生きていたなどと言えるわけがないのだ。
お兄ちゃんをお屋敷に正当な当主として戻すためには、アンネリ様毒殺の証拠を掴んで、両親をこのお屋敷から追い出してからでないと、危険すぎる。
その日までお兄ちゃんを経済的に支えるために、私たちができるのは、薬草畑で薬草を育てることしかない。
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