11.ベルマン家の事情
ベルマン家での暮らしは特に問題がないように思えた。
ボリスさんは私たちと触れ合う以外にルンダール家から任された分割された領地の税収を纏めたり、税金を待って欲しいというひとたちの言い分を聞いたりしていた。そういう働きぶりも普段カミラ先生の執務室を訪ねているのでなんとなくは私にも分かる。
見られているからきちんとしているわけではなく、元から執務室は書類も纏めて本棚に納められて整頓されておかしいところはないように思えた。ボリスさんが仕事をしている間に私たちはお屋敷の中を歩いて噂話を聞いて回った。
このお屋敷にはケントという兄と、年の離れたハンスという弟がいた。10歳年が離れているというからちょうど私とお兄ちゃんくらいだ。
ハンスが産まれるまではケントは自分が跡継ぎになるのだと信じ込んで両親が見ていないところで使用人に悪戯を仕掛けたり、暴力を振るったりしていたらしい。それを厳しくボリスさんが叱ってもケントはどうせこの家は自分のものになるのだと受け入れなかった。
10歳のときに産まれたハンスが自分よりも魔力が強かったこと、また産褥で母親が亡くなってしまったことがケントの暴走に拍車をかけた。幼年学校で悪い連中と付き合って、魔術学校にはほとんど行かないまま卒業してしまい、魔術学校で知り合ったボールク家のドロテーアという女性に入れ込んだ。
ドロテーアは家を継げるだけの魔力を持っていたが、女性だから良い顔をされていないことに不満を持っていてケントを夫にしてボールク家の跡取りになる策略をしていたのだ。
その過程で習得したのが毒の呪いだった。
「その間、ボリスさんは何もしていなかったんですか?」
「旦那様は再三ドロテーア様と別れるように言ったのですが、家を継げないケント様はそれに従わずほとんど家出状態で……」
古株の使用人さんはケントの乳母さんだったという。小さな頃から悪戯に悩まされ、他の使用人さんたちを殴ったり蹴ったりするケントをボリスさんに報告するたびに、酷い折檻を受けたのだという。
「なんでケントはそんなに横柄でいられたんでしょう」
「実は……ケント様のお祖父様がケント様を非常に可愛がっていて、目に入れても痛くないような状態だったのです」
家出していたケントを匿っていたのも盲目的にケントを可愛がる祖父だったという。その祖父が死ぬ前にケントの花婿姿を見たいと懇願して、それを断り切れずにボリスさんはドロテーアと別れたというケントの言葉を信じてコーレ・ニリアンの仲介でケントをルンダール家に送り出した。
「ボリス様はずっと後悔されていました。アンネリ様が亡くなってから何度もケント様に忠告に行こうとして通してもらえず、ずっと手紙を書き続けていたのです」
ドロテーアと再婚してはならないとか、重税を課すのはやめなさいとか、父親の忠告をことごとくケントは跳ねのけた。
「どうか、旦那様にはわたくしが話したとは言わないでくださいませ。去年ハンス様が亡くなってから旦那様は本当に気落ちされて、命を絶たんばかりだったのです。それをわたくしたちが、ルンダールにベルマンの子がおりますと囃し立ててしまって」
叱っても聞かないまま甘やかしてくれる祖父のところに逃げて、戻って来たと思えばルンダール家に婿入りしてアンネリ様を毒殺させて、元付き合っていたドロテーアと再婚したケントは王都で牢の中にいる。
家を継ぐはずだったハンスはケントの罪を気に病んで、元々身体が弱かったのに寝込むようになって去年遂に亡くなってしまった。
そんな状態で命を絶とうとするベルマン家の主人に使用人たちがどうにか気を変えてもらうために私たちの名前を出したのも仕方のないことなのだろう。
「親子関係だけじゃなかったのか。私にとっては曾祖父にあたる方との関係も絡み合っていたなんて」
ケントの乳母さんと話してから部屋に戻って来た私がお兄ちゃんと勉強をしていたダンくんと、ついでにその場にいたミカルくんに報告するとダンくんも難しい顔をしていた。
「おれの祖父ちゃんも祖母ちゃんもいたらしいんだけど、借金をしたときに頼れるような状況じゃなかったからな」
「じいちゃんとばあちゃん、いるの?」
「いたんだってさ。ミカルは会ったことないだろうけど。うちよりも生活が苦しいからとても頼れないって疎遠になってるうちに亡くなったって聞いたよ」
「じいちゃんとばあちゃん、ほしいなぁ」
欲しいというミカルくんはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会うことなく亡くなってしまった意味を理解していないようだった。
話をしていると外に大きな影が過る。
嫌な予感がしていると窓の外から悲鳴が聞こえて来た。
「庭にドラゴンがー!?」
「コカトリスを咥えています! 逃げてください!」
どうしよう!
夏休みにはドラゴンさんが私たちのために食材として魔物を持ってくるのが恒例になっていた。先日カミラ先生に怒られたのが相当堪えたのだろう、まさかのベルマン家に滞在している間に持ってくるなんて。
「ドラゴンさん! にいちゃんにミノタウロスとどけてくれたやつだよね?」
ドラゴンさんの持ってきたミノタウロスの立体映像は渡していたし、ドラゴンさんの話を聞いていたのであろうミカルくんは大喜びで部屋から飛び出していく。ドラゴンさんを見たくてたまらなくて、コカトリスの話が耳に入っていなかったようだ。
「ミカルくん、待って!」
「ミカル、行くな!」
私とダンくんが止めてもミカルくんは聞かずに部屋から出て行ってしまう。
ドラゴンさんが無害なのは分かっているが、咥えているのが恐らくは生きているコカトリスなのである。コカトリスは石化のブレスを使うことで有名だった。
悲鳴を上げて庭にいた使用人さんたちが走ってお屋敷の中に戻って来るのをミカルくんが小さな体で逆流していく。廊下を埋め尽くしそうな使用人さんたちの波に押されて、私もダンくんもお兄ちゃんもミカルくんに追い付くことができない。
「ドラゴンさーん!」
玄関から飛び出て喜色満面で夏草の揺れる庭に出たミカルくんに覆いかぶさる人影があった。
「危ない!」
目の前にはコカトリスを咥えたドラゴンさん。口元でバタバタと動いているコカトリスが縦横無尽に放つ石化のブレスから守ろうと、無邪気に走り出て来たミカルくんにボリスさんはしっかりと覆いかぶさっていた。
ボリスさんの片足に石化ブレスがかかって石に包まれていくのが分かる。
「生きている魔物を持って来ないでください!」
やっと追い付いた私が叫ぶのと、玄関から飛び出たファンヌが抜き払った包丁でコカトリスの首を切り落とすのとはほぼ同時だった。飛び散る血を私の肩掛けバッグから飛び出たまな板が盾のようになって弾いてくれる。
「大丈夫ですか? 怪我はない?」
「お、おれのせいで、あしが!」
「これは大丈夫だから、イデオンくんのところに行きなさい」
ミカルくんを庇って片足が石化しかけて動けなくなっているボリスさんは、責任を感じて泣いてしまったミカルくんを抱き締めて私の方に押し出した。
お兄ちゃんとダンくんが顔を見合わせて頷く。
「これ、うろこ草の葉っぱだ! 蛇に噛まれたときのためにいつも持ち歩いてるんだ」
応急処置にダンくんが鱗草の葉っぱをボリスさんに飲ませている間に、お兄ちゃんは首から下げた魔術具でビョルンさんとカミラ先生を呼んでいた。ビョルンさんが素早くボリスさんの元に駆けつけて足を見て、石化を浄化していく。
「弱っていたので表面だけで済んでいたようです。もう大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。誰も怪我はしていません」
「あなたが危なかったんじゃないですか」
足が治って立ち上がってカミラ先生とビョルンさんに全員の無事を告げるボリスさんは自分の足が石化したことなど計算に入れていないようだった。
「じいちゃん!」
「え? 私のことかな?」
「じいちゃん、おれのことたすけてくれて、ありがとう」
駆け寄ってミカルくんがボリスさんに飛び付く。祖父母が亡くなっていたことを知ったミカルくんにとっては身を挺して庇ってくれたボリスさんの行動は祖父のように思えたのだろう。
「ちょっと、失礼だろ。弟がすみません」
「いや、じいちゃんか……いい響きですね。ぜひそう呼んでくれたら嬉しい」
微笑むボリスさんにケントの乳母さんの言葉が過った。
自分の命も断とうとするくらい気落ちして後悔していたというボリスさん。
それが何かと結び付きそうな気がするのだ。
「前にも言いませんでしたか! 生きている魔物を持ってくるのはやめてくださいと!」
『そなたはおらぬし平気かと……いや、コカトリスは滋養に良いのだぞ?』
「おかげでボリスさんが石化されましたが、その責任はどうとるつもりなんですか?」
『それは……その、すまんかった』
「すまんかったで済みますか!」
何か思い付きそうなのにカミラ先生とドラゴンさんとのやり取りで私はすっかりと思考を乱されてしまったのだった。
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