9.ドラゴンさんをカミラ先生が問い詰める
お屋敷に戻った私とファンヌが一番にしたのはシャワーを浴びることではなくてカミラ先生のところに行くことだった。二人とも手には菜切り包丁とまな板を持っている。何も知らないひとが見ればこれからお料理でもするのかと思われるかもしれないが、この菜切り包丁とまな板はそういうものではない。
魔術師であり強い「魔女」と呼ばれる存在であるカミラ先生は執務室に汗びっしょりで走って来た私とファンヌを見て一目で勘付いたようだった。
「それは、伝説の武器?」
「そうなんです、カミラ先生、私にも全く訳が分からないのですが分裂してしまいました」
「リンゴちゃんがつかまりそうになっていて、わたくしがほうちょうでたおそうとしたら、にぃさまがとめたの。そのときにほうちょうのやいばにさわってしまって、おゆびがきれるかとおもったけど、やいばのほうがとれてまないたになってしまったんですの」
「包丁の刃は復元されて、私にはまな板、ファンヌには包丁が残りました」
混乱しているので私もファンヌも相当の早口になってしまっていたがカミラ先生はそれを静かに聞いていて、一言私とファンヌに告げた。
「ドラゴンを呼んでください」
こういう場面を今までにも何回も見たことがある。説明を求めるときにカミラ先生はドラゴンさんを呼ぶ。それ以外でドラゴンさんが必要だったのはファンヌとヨアキムくんが攫われて居場所が分からないときくらいだった。
ドラゴンさんを呼ぶ理由として説明をさせるというのが正しいのか分からないけれど、カミラ先生は私たちの保護者としてドラゴンさんとでも話し合う姿勢だった。
私とファンヌにはドラゴンさんの加護が付いている。ベルマン家のお祖父様、ボリスさんはドラゴンさんと話し合うだけの勇気と度胸があるのだろうか。私たちの保護者となるということはそういう意味合いもあった。
庭のできるだけ開けた場所に出てドラゴンさんを胸の中で呼ぶ。どんな些細なことでも私たちが呼べばドラゴンさんは律義に来てくれた。
大きな影がお屋敷の上を過って降りて来たドラゴンさんにカミラ先生は私とファンヌが持っている伝説の武器、菜切り包丁とまな板を示してみせた。
「伝説の武器は一つではなかったのですか!?」
『使い手が二人おるのも異例だが、こんなに幼いことも異例だ。どちらにも守りが必要だと思って分裂したのやも知れぬ』
「あなたも分かっていないんですか? あなた、本当に伝説の武器の守り手なんですか!」
『武器には武器の意志がある。その意志に従って持ち主を見極めて最良の形になる。それがたまたま今回は菜切り包丁とまな板だったというだけで、しかも使い手が二人おったので分裂しただけで』
説明はしているもののドラゴンさんもどこか納得できていない雰囲気を醸し出している。ファンヌの伝説の武器が菜切り包丁だったというのも納得できていなかったというし、私の伝説の武器がまな板というのも納得できていなかった。その上伝説の武器が二つに分かれたという事実はドラゴンさんでも受け入れがたいことのようだ。
それでもカミラ先生は物凄い迫力で問いかけて来るので黙っているわけにはいかないのだろう。
もしかするとドラゴンさんとは伝説の武器と伝説の武器を使う勇者との中間管理職なのかもしれない。つらい立場なのかもしれないが、私は持っている木のまな板が伝説の武器だとはとても納得できるものではなかった。
「何故まな板なのですか?」
『魔術を防ぐ盾にもなるし、投げれば攻撃にも使える。便利ではあろう?』
「話を誤魔化そうとしましたね。私はどうしてまな板なのかを聞いているのです」
『それは……幼子の記憶にあるのではないか?』
ドラゴンさんが私の方を見て大きな手を私の上にかざす。完全に陰になってしまった私の上に立体映像が映し出される。
あれは確か3歳の頃。お兄ちゃんが私たちの食生活を憂いて初めて厨房に行ったときのことだ。3歳の私なので視界が今以上に低いがお兄ちゃんとマフィンを作ったのを覚えている。そのときにボウルの下に敷いていたのは木のまな板だった。
「え!? これが!?」
『大事な記憶であろう?』
「そうですけど……」
続いて浮かび上がったのはカミラ先生との初めての栄養剤作りだった。あのとき私は5歳でファンヌは3歳だった。まな板の上でファンヌが棒を振り上げて薬草を潰している。肉体強化の魔術がファンヌに使えることが分かった瞬間でもあった。
割れたまな板が立体映像の中で大きく映し出される。
『大事な記憶なのであろう? 兄と妹との記憶。それが伝説の武器にまな板という姿を取らせた』
「良い話風に纏めないでください! まな板なんですよ!」
『そんなに責められても、我も武器の形状には関与できぬ!』
声を荒げたカミラ先生にドラゴンさんは悲鳴のような声を脳内に響かせてしょんぼりと俯いてしまった。
そうだったのか、私にとってまな板は厨房での思い出であり、お兄ちゃんとファンヌとの大事な繋がりだった。といって納得すると思ったら大間違いだ。
やっぱり解せないものは解せない。
それでもこれ以上ドラゴンさんを責めても仕方がないのでドラゴンさんには祠にお帰り願って、私とファンヌはシャワーを浴びて着替えて昼食の席に着いた。先にシャワーを浴びて着替えて待っていたお兄ちゃんとヨアキムくんに聞かれる。
「どうだったの?」
「叔母上お怒りだったみたいだし、ドラゴンさんも呼ばれてたみたいだけど」
「私もよく分かんない」
私の伝説の武器がまな板になった理由をお兄ちゃんに説明しても、やっぱりお兄ちゃんもよく分からない顔をしていた。ヨアキムくんだけが「イデオンにぃさま、オリヴェルおにぃちゃんのこと、だいすきだね」と納得している。
理解はできないけれど私の武器がまな板でそれがファンヌの武器と分裂してしまったことは少しだけありがたいことでもあった。
「これなら私も自分の身くらい守れるようになるね」
なんならお兄ちゃんの身も守れるかもしれない。8歳の私の弱い力で投げたまな板も伝説の武器の効果で速度と角度と威力が補正されて、的確に狙った相手の急所に角をぶつける。ベンノ・ニリアンに呪いをかけられそうになったときに大きくなって遮ってくれたように盾としても使える。形状がまな板ということだけはどうしても受け入れがたいが、伝説の武器としての性能は優秀だった。
「イデオンは無理に戦わなくていいんだよ」
「それは分かってるけど、身を守らなきゃいけないことがあるかもしれない」
せっかくなのでここで私はカミラ先生とビョルンさんに許可を取っておくつもりだった。
「夏休みにボリスさんのお屋敷に行きたいんです。数日間一緒に暮らしてみて、本当にお祖父様と思えるかを試してみたいんです」
「イデオンくんだけですか?」
「僕とファンヌとヨアキムくんがいれば安心だし、寂しくもないし、ボリスさんの色んな面が見られるかと思っています」
カミラ先生の問いかけにお兄ちゃんが言葉を添えてくれる。
逡巡するそぶりを見せてカミラ先生は声を潜めた。
「ボリス・ベルマン氏に悪い噂はありませんでした。妻の亡くなった後に息子を育てていたけれど、跡継ぎに選ばれなかった兄が魔術の才能の高いボールク家の娘に惚れて、両方から大反対をされて挙句にああなったと話は聞いています。ですが」
そこで言葉を切ってカミラ先生は眉を顰める。
「本当のところは何も分かりません。ケント・ベルマンを育てた相手というだけで私はボリス・ベルマン氏を疑っているところがあります」
家庭の中で何が起きたかを知ることはとても難しい。どこで親子関係がねじ曲がったのか、どこでケントがあんな最低最悪の犯罪者に堕ちて行ったのか、表面から見て分かるものではない。
それだからこそ私はボリスさんの懐に入ってみようと考えるのだ。
「幸い、まな板ですが伝説の武器は私の元にもあります。まな板なのは解せないですけど、それでも高性能ですし、何かあれば戦えて、ドラゴンさんも呼べます」
「見極めて来るのですね。嫌なものを見るかもしれませんよ?」
見えるのが綺麗な光景だけではないことをカミラ先生は貴族社会でずっと生きているのでよく分かっているだろう。忠告を受け止めて私はカミラ先生に改めてお願いをした。
「夏休みにお兄ちゃんとファンヌとヨアキムくんと、ボリスさんのおやしきに行かせてください」
「分かりました。連絡をしておきましょう」
覚悟の上での私の言葉をカミラ先生はきちんと受け止めてくれた。
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