8.伝説の武器の変化
ダンくんと話をした週の幼年学校が休みの日にダンくんのお母さんがダンくんとミカルくんを連れてお屋敷に診療にやって来た。ビョルンさんは応接室にダンくんのお母さんを通して聴診器を持ってきてお腹に当てて診察していた。
応接室ではレモンとリンゴの描かれたカップにお茶を用意してもらったダンくんとミカルくんが息を飲んで様子を見守っている。残念ながらダンくんのお父さんは畑仕事を休めなかったのでついてはこれなかったようだった。
「お腹の赤ちゃんは問題なく成長しているようですよ。お母さんも体調が悪いことはないですか?」
「悪阻が少しありますが、身体は元気です」
「無理をしないようにしてくださいね。特に夏場は畑仕事の途中に休憩を挟んで涼むようにしてください」
ビョルンさんの診察の結果を聞いてダンくんもミカルくんも安心していた。ダンくんとミカルくんはお屋敷で勉強をしたり遊んだりしていくかと思ったのだが、畑仕事を手伝うためにお母さんと一緒に帰るとのことだった。
「おれもおにいちゃんになるから、がんばらなきゃ!」
「ミカルは無理するんじゃないぞ。おれがいっぱい頑張るから」
妹か弟か分からないけれど産まれてくる赤ちゃんはこんなにもダンくんとミカルくんに待ち望まれている。それが私にはとても嬉しかった。
子ども部屋に行くとヨアキムくんとファンヌもお兄ちゃんもいなかった。外に出たのか、自分たちの部屋にいるのか。
まずヨアキムくんの部屋を覗いてみると四角い出窓に置かれた歌い薔薇の一輪挿しを眺めながら椅子に座ってファンヌと窓越しに話をしていた。
「ファンヌちゃん、あとでおにわでリンゴちゃんとあそばない?」
「よろしくてよ。おやつのじかんまでにはもどらないとね」
窓越しの会話を二人は気に入っているようである。
部屋の中に窓をつけるという突飛な考えをカミラ先生は受け入れてくれたが、それでファンヌとヨアキムくんが別々の部屋になっても楽しく仲良く暮らせているのならば発案した私もとても嬉しい。
「イデオンにぃさま、どうしたの?」
「お兄ちゃんがいるかなと思って覗いただけ。邪魔してごめんね。お話続けて」
「じゃまじゃないよ。いつでもおへや、あそびにきて」
部屋を移るときには不満そうだったファンヌとヨアキムくんもすっかりとこの部屋が気に入っているようだった。何よりだと微笑ましく二人を見てから私はお兄ちゃんを探しに庭に出た。
お兄ちゃんは庭でウッドデッキの修理をしていた。乾いた木を使ったのだが雨が降って木が反って来たところがあったのだ。そこに足を引っかけてエディトちゃんが転ばないようにお兄ちゃんは板の反りを槌で叩いて魔術で乾かして修正していた。
「ここにいたんだ」
「僕を探してたの? ダンくんと勉強してるかと思ったんだけど」
「ダンくん、畑仕事を手伝うために帰っちゃった」
「お母さんが前みたいに働けないのかもしれないね」
妊娠は病気ではない。
そんなことをカミラ先生が妊娠していた時期に堂々と言う貴族もいた。病気ではないけれどミカルくんを産んだときのお母さんのように命を落としかけるひともいるのだし、妊娠出産は命がけのものだと私にも分かっていた。
実際にカミラ先生も妊娠中に体調を壊してしばらく休みを取った。そのときにお兄ちゃんが当主の仕事をしようとして、私はお兄ちゃんに急いで大人になって欲しくなくて泣いてしまって初めての大喧嘩もした。結果としてカスパルさんとブレンダさんが補佐に来てくれることになってお兄ちゃんは当主の仕事をしなくて良くなったのだが、そのときのことをお兄ちゃんは本当に感謝してくれていた。
「ダンくんが去年も一昨年もうちの薬草畑の世話を手伝ってくれてたよね。今度は僕たちが手伝いに行くのはどうかな?」
「すごくいいと思う!」
「困ったときはお互い様だよね」
お兄ちゃんの提案に私は拍手をして賛成した。
その週から週末には私とお兄ちゃんとヨアキムくんとファンヌは馬車に乗って、横をリンゴちゃんが並走してダンくんの家の畑仕事を手伝いに行くことにした。
畑仕事用の薄い長袖の日除けの服を着て、帽子も被って、長ズボンで完全防備の私たちを見て、同じく完全防備のダンくんとミカルくんは驚いていたが感謝して受け入れてくれた。
「助かるよ。おれたちだけじゃ手が足りなくて」
「かあちゃん、あまりしゃがんじゃだめっていわれてるんだ」
特別なときにビョルンさんの診察を受けてそれ以外は街医者のエレンさんのところに行っているというダンくんのお母さん。お腹が大きくなり始めているのでしゃがんだり無理をしたりしないように重々言われているようだった。
「ミカルを産むときにあぶなかったのも、体調が悪いのにギリギリまで畑仕事に出てたからだって言われたんだ」
その時期は当主代理が私の父だったので領民は重税をかけられて生活が苦しかった。体調が悪くて寝込んでいても、起きていられる時間には働かなければ土地を取り上げられてしまうとダンくんのご両親も必死だったのだ。結果としてミカルくんを産むときにダンくんのお母さんは命を落としかけて、物凄い医療費がかかってしまって借金を背負うことになった。
借金を背負っても土地を手放さなかったのは、農地がなくなれば農家は収入がなくなるからだ。借金のカタに農地の権利は奪い取ろうとしたが、それだけはダンくんのご両親は守り通した。
朝からダンくんの家の薬草畑に行って畑仕事をする。雑草を抜き、害虫を駆除し、収穫できるものは収穫していく。
私もファンヌもヨアキムくんも小さい頃から薬草畑に触れて来て慣れているので作業は滞りなく行われた。
向日葵駝鳥の柵の中にはお兄ちゃんが魔術で雨のように水を降らせていく。
お手伝いが終わってお昼ご飯までに家に帰れるように馬車に乗る支度をしていると、土手で雑草を食べていたリンゴちゃんがひとに囲まれていた。
「これがルンダール家の魔物ウサギ!?」
「売れば相当の金になるんじゃないか?」
「肉もしっかりついている」
バンバンと脚を鳴らして抵抗するリンゴちゃんだが、囲まれてしまって身動きが取れなくなっている。後ろ足で蹴飛ばして飛ばしてしまうか悩んでいるようだが、その隙にファンヌが人参のポシェットから菜切り包丁を取り出した。
「リンゴちゃんからはなれなさーい!」
いけない!
ファンヌの身長くらいになっている菜切り包丁は刃物でワイバーンもミノタウロスも仕留めたような業物だ。それを人間に向けてはいけない。
止めようとして手を出した私の手がうっかりと菜切り包丁の刃の部分を握ってしまった。
あぁ、なんてこと!
私は自分の指が切れたのを覚悟した。
指が切れるのは痛いだろうか。今は何も感じないけれど、血が吹き出して倒れてしまうかもしれない。
「にぃさま!?」
「ファンヌ……ダメだって」
ビョルンさんは私の指を元に戻るように縫い付けてくれるだろうか。
気が遠くなりながら勇気を出して見た私の手の中に、まな板があった。
「え? まな板?」
「なきりぼうちょうのはが、とれちゃったの」
ファンヌが持っているのは菜切り包丁の柄だけで私の手にはまな板が握られている。つまりは私の手を守るために菜切り包丁の刃物の部分が取れてまな板になったようなのだ。
「にぃさま、リンゴちゃんが!」
「あ! そうだった! リンゴちゃんにふらちなことをするなー!」
リンゴちゃんの危機だったことを思い出して投げたまな板がリンゴちゃんを取り囲むひとたちの鳩尾に、股間に、額に、的確に当たる。倒れていくひとたちを踏みつけてリンゴちゃんはバンバンと脚を鳴らして私とファンヌの元に戻って来た。
リンゴちゃんは無事で良かったのだが、問題は伝説の武器だ。
ファンヌの手の菜切り包丁を見ていると輝きながら刃の部分が復元して鞘に収まる。私の手に舞い戻って来たまな板も健在だ。
「分裂、した!?」
「イデオン、ファンヌ、どうして二人とも伝説の武器を持ってるの?」
遅れて駆け付けたお兄ちゃんの問いかけに私もファンヌも答えることができなかった。
伝説の武器が分裂した。
そうとしか説明できない。
伝説の武器は一つではないのか。
私は混乱の中にいた。
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