5.本当のお祖父様
ケント・ベルマンとドロテーア・ベルマン。両親のことはそうだと知ってはいたが記憶から消そうとしていた。ドロテーアの苗字が本当はベルマンではなくてボールクであったとしても、それも全く興味はない。
私にとって両親とは忘れたい存在だったのだ。ファンヌに至っては完全に忘れている。
「オースルンドのおじいさまじゃないの?」
「違います。ベルマン家のお祖父様です」
「ベルマンってなんだったっけ?」
とぼけているわけではない。ファンヌにとっては3歳からルンダール家の子どもになっているし、ベルマンの名前を聞いたのもほんの数回なのだから完全に忘れていても仕方がないのだ。
残念なことに忘れたかったが私はベルマン家が父の生家であることを覚えていた。
「早くに妻を亡くし、男で一人で子どもたちを育てて来たのです。足りなかったところは多々あると思います。ケントにはドロテーア嬢のことは諦めろ、忘れろと何度も言ったのに……」
身なりの良い男性の髪の色は白髪が混じっているが薄茶色で目も薄茶色で、私とファンヌと血の繋がりを感じずにはいられなかった。
「完全に別れたと言ったから、コーレ・ニリアン様から持ち込まれたアンネリ様との見合いに送り出した結果があれです……。誠に愚息が申し訳ないことを致しました」
膝を付いて謝るベルマン家のお祖父様、ボリス・ベルマンさんは目に涙を滲ませていた。
「天罰かもしれません。あの後、ケントの弟も病気で亡くなってベルマン家には私以外誰もいなくなってしまった。どうか、カミラ様、私の孫を返してはいただけませんでしょうか?」
誠実なひとなのかもしれない。
信頼ができるひとなのかもしれない。
心の底から悔いて悲しんでいるように見えるのだが、私はそれだけにぐるぐると胸の中を複雑な感情が渦巻いていた。
「返してくださいって、イデオンもファンヌもものじゃないんですよ!」
廊下で話を聞いていたのかお兄ちゃんが入ってきて私とファンヌを後ろから抱き締める。抱き締めてくれるお兄ちゃんの大きな手をぽんぽんと叩いて、私は浮かんだ疑問を口にした。
「戻って来て欲しいのならば、どうして両親がつかまったときにむかえに来てくれなかったのですか?」
「ケントがドロテーア嬢に指示してアンネリ様を毒殺させたという話を聞いて、会わせる顔がないと思っておりました。ベルマンの家も捜査が入りましたし」
警備兵の捜査の結果、ボリスさんと父の弟さんの事件への関与はなかったとして罰は受けなかったがベルマン家は他の貴族たちから白い目で見られるようになった。それも全てケントの罪なのだと受け止める覚悟でボリスさんはいたようなのだ。
それが去年の終わりに私の叔父にあたるケントの弟が亡くなって、ベルマン家を継ぐ人間がいなくなってしまった。
「イデオンくん、ファンヌちゃん、ルンダール家ほどの裕福な暮らしはできないかもしれないが、できる限りのことはする。戻って来てくれないか?」
訴えかけられてファンヌはお兄ちゃんを見上げた。
「ヨアキムくんはどうなるのかしら? わたくし、ヨアキムくんとおとなりのおへやで、まどでつながっているのよ?」
「ヨアキムくんは連れて行けないかな」
「それなら、いや!」
はっきりと断ってしまうファンヌにボリスさんはがっくりと肩を落としていた。こんなに簡単に決めてしまって良いのだろうか。
お兄ちゃんがいない場所で暮らすことを考えたくはないけれど、私は本来ルンダール家の子どもではないのだ。ファンヌはもうすっかりルンダール家の子どものつもりだが、正当な後継者はお兄ちゃん一人で私たちは養子でしかない。
「僕は……私は、年は離れていますが、イデオンのこともファンヌのことも本当の弟妹と思っていますし、イデオンとファンヌに命を救われました。今更連れて行くと言われても困ります」
「オリヴェル様……お許しください。私にとってもイデオンくんとファンヌちゃんは孫なのです」
両親に可愛がられた記憶はない。
本当に血の繋がった祖父がいたなんてことは今日初めて知った。
それで今決断しろと言われる方が無理だ。なぜならそのときの私はまだ8歳なのだから。
様々な感情が入り混じって言葉が出ない私に、カミラ先生がボリスさんの手を取って立たせた。
「急すぎてすぐに決められることではないでしょう。それに私もイデオンくんやファンヌちゃんを実の子どものように可愛く思っています。手放せるわけがありません」
「跡継ぎが必要だから言っているわけではないのです。残された時間を孫と過ごしたいという老いた男の願いはそんなにいけないものでしょうか?」
「もう少し時間をください。イデオンくんは8歳、ファンヌちゃんはまだ6歳なのです。こういうことをすぐに決められるはずがありません」
私の中に渦巻く複雑な思いをカミラ先生は明確に言葉で示してくれる。そのことに感謝しつつ、私は立ち上がったボリスさんの手を取った。
「私はルンダール家で育って、ルンダール家のみんなが家族です。離れることはできません。ボリスさんが急に祖父だと言われてもどうすればいいのか分かりません」
「そうですか……」
「なので、また私とファンヌを訪ねて来てはくれませんか? ベルマン家に戻ることはできなくても祖父と孫にはなれるかもしれません」
私の申し出にボリスさんは涙を流して頷いていた。
帰る前にファンヌがヨアキムくんをボリスさんに紹介する。
「ヨアキムくんよ。おおきくなったらけっこんするの」
「結婚!?」
「ぼく、ファンヌちゃんとけっこんするよ」
小さなカップルに驚いているボリスさんだが手を引いて庭を案内されて目を細めていた。
「ここにぼくのきんぎょさんがいるんだ」
「ヨアキムくんはまいにちえさをあげてるのよ」
「こっちはバラえん。ファンヌちゃんにバラのはなをあげるの」
庭師さんにも挨拶をして薔薇園を見せて回っている様子は確かに祖父と孫に見えた。あんな風に私も自然にボリスさんに接することができるだろうか。
ケント・ベルマンの父親なのだ。警戒心がわかないわけでもない。
ボリスさんが帰ってから私はお兄ちゃんと二人部屋に戻った。冷たい紅茶を飲みながら宿題をしているとお兄ちゃんの方から声をかけて来る。
「イデオンのお祖父様だったなんてね」
「うん、思いもしなかった」
完全に朝は不審者だと思っていたボリスさん。私の祖父だとしても声のかけ方が完全に悪かった。
「イデオンはベルマン家に戻ったら、跡継ぎになれるよ?」
「なりたくないかなぁ。私は大きくなったらお兄ちゃんを補佐するのが夢だから」
それにお兄ちゃんと離れては暮らしたくない。
その言葉は口にしなくてもお兄ちゃんには伝わっている気がしていた。冷たい紅茶を飲むと食道を通ってお腹の中までひんやりとする気がする。
「ベルマン家の当主としてお兄ちゃんを補佐するのもありだけど……やっぱり、ルンダール家を出たくはないなぁ」
国王に認められて私とファンヌはルンダールの養子になった。せっかくお兄ちゃんと一生離れずに済むようになったのにその地位を手放してしまうのはあまりにも勿体ない。
お兄ちゃんが結婚しても弟なら側にいられる。そのときの私はお兄ちゃんが結婚することなど考えたくもなかったけれど、それでも側にいたい気持ちには変わりがなかった。
ボリスさんがルンダール家の定めた領地の法に従って使用人にも休暇を取らせているし、書庫も使わせていると聞いたのはその後のこと。悪いひとではないのだ。そのことは分かるのだがそれがすぐに好意に変わるかは別の話。
私にとっては今はお兄ちゃんが一番で、ファンヌとヨアキムくんも引き離したくない思いが先に立っていた。
これからもボリスさんはルンダール家を訪れるだろう。
あの父の父ということで警戒心がないわけではないが、そのうちに本当にいいひとならば私もボリスさんをお祖父様と思えるかもしれない。
しかし、ルンダール家を離れることは少しも考えられない私だった。
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