4.不審者の正体は
ニワトリメロンの芽が出る初夏に近付いたころ、お兄ちゃんはエレンさんを呼んで木工の仕方を習い始めた。忙しい学校の合間に板を張って床を作って柱を立てて屋根も作っていく。
面白そうな作業にファンヌも興味津々で手伝っていた。
出来上がったのは屋根付きのウッドデッキだった。これからの季節暑い庭で遊び過ぎると熱中症になってしまう確率の高いエディトちゃんのために作られたものだ。
「前々から畑仕事を休むときに座れる場所があったらいいと思ってたんだ」
「ここに椅子とテーブルを置いたらいいね」
「外用の椅子とテーブルを買ってくれるように叔母上に頼んでみようか」
とりあえずは今まで使っていたベンチを動かしてきたが、ここにイスとテーブルが置かれれば天気のいい日はお茶もできるかもしれない。
「久しぶりにいい仕事をしましたね」
「エレンさん、教えてくださってありがとうございました」
「良いものができて私も満足です」
教えてくれたエレンさんにお礼に冷たいお茶を振舞って私たちは作業を終えて幼年学校と魔術学校と保育所に行く準備を始めた。保育所へは馬車で行くのでシャワーを浴びた後ヨアキムくんとファンヌは急いでセバスティアンさんと「いってきます!」を言って出かけていく。
二人きりになってお兄ちゃんと私はゆっくり学校の準備をしていた。朝のシャワーを浴びてもバスルームのタイルの冷たさが気にならない、今くらいの季節が一番過ごしやすい。
シャワーを浴びた私の髪はまだ少し湿っていた。
ファンヌほどではないが柔らかい猫毛の髪は放っておくとくるくるになってしまうので横で結ぶ。短くすると巻くのが嫌なので伸ばしているが、お兄ちゃんみたいなカッコいいオールバックにできずに前髪を上げるとふわふわと降りて来るのが悩みだった。
髪質が違うのだから仕方がないのだがくるんくるんに巻かないように伸ばした前髪はヘアクリップで横に留めていた。
「お兄ちゃん、このジャケットどうかな?」
「もう暑いんじゃない? こっちの薄手のカーディガンにしたら?」
「そっか。分かった」
服装をチェックしてもらって髪型もチェックしてもらって完璧なコーディネートで幼年学校に行く。幼年学校の校門前に移転の魔術で連れて行ってもらって、お兄ちゃんとハグをして「行ってきます」「行ってらっしゃい」を言っていると、知らない身なりの良い男性から声をかけられた。
「そこの子、もしかして、イデオン・ルンダールくんじゃないか?」
「うちのイデオンに何か用ですか?」
「イデオン……本当にこの子がイデオン」
毅然と立ち向かうお兄ちゃんを押しのけようとするその男性に、私は肩掛けのバッグから大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラを呼び出していた。飛び出た二匹はすぐに異変に気付いてくれて、頭痛と吐き気をもたらす『死の絶叫』をあげる。
「びょえええええ!」
「ぎょえええええ!」
私とお兄ちゃんは魔術具で守られているのでダメージはなかったが、『死の絶叫』を受けて膝を付く男性にお兄ちゃんが私の背を押して幼年学校の敷地内に入れてしまった。
「校長先生に報告して! 不審者がイデオンを攫おうとしたって!」
「分かった! お兄ちゃん、危ないことしないでね!」
マンドラゴラたちを置いてきているのでお兄ちゃんが危ない目に遭いそうになったら助けてくれると信じて私は校長先生の部屋に走って行った。
「校門にふしんしゃがいます! 私をさらおうとしました!」
「イデオンくん、ここにいるんですよ。警備兵を呼びます」
迅速に校長先生が動いてくれたおかげでお兄ちゃんにも危険はなく、『死の絶叫』で蹲っていた身なりの良い男性は警備兵に連れて行かれた。安心してもう一度お兄ちゃんとハグをする。
「魔術学校遅刻しない?」
「校長先生と警備兵さんから知らせがいってるはずだから大丈夫。イデオンが無事で良かった」
「お兄ちゃんも無事で良かった」
お互いの無事を確認し合って私はお兄ちゃんを魔術学校に送りだして、少し遅れて教室に入った。授業は始まっているかと思ったが三年生のエドラ先生は私を待っていてくれた。
「不審者に遭ったのですって? どんな相手でしたか?」
「身なりの良い男性でした。私の名前を知っていました」
「そうですか、イデオンくんが無事でなによりです」
私の無事を確認してからエドラ先生は教室のみんなに声をかける。
「誘拐犯は色んな情報を持って相手を油断させるものです。名前を呼ばれても油断してはいけません。ご両親に事故があったと言って騙そうとする輩もいます。絶対について行ってはいけませんよ。イデオンくんはお兄様がいて助けてくれたから良かったですが、一人で登校している子は、しばらく近所の子と登校するようにしてください」
私のことだけではなくエドラ先生はクラス全員の子を心配してくれている。不審者はルンダール家の子どもだから私を狙ったのかもしれないが、そうでなかったら他の子どもたちも危ない。それをちゃんと分かっていてくれることに私は安堵を覚えていた。
休み時間にダンくんとフレヤちゃんが私に話しかけて来る。
「名前を呼ばれたのか?」
「怖くなかった?」
「びっくりしたけど、お兄ちゃんがすぐにかばってくれたよ」
「これからは校門の中でハグするのね」
「そうだね、フレヤちゃんの言う通りだ」
校門の中は魔術の使える校長先生が入念に結界を張っているので生徒とその関係者以外は入れないようになっていた。校門の中ならば問題はなかったのだが、私とお兄ちゃんがハグをして別れるのはいつも校門より一歩外に出た場所で、そこが移転の魔術で飛んでこれる指標になっている場所だったのだ。
移転の魔術では結界の中に飛ぶことができないので、指標は必ず結界の外の入口の前に魔術的に組み上げられて置かれていることが多い。ルンダールのお屋敷の指標もオースルンドのお屋敷の指標も結界に入る直前の門の前だった。
移転の魔術で飛んで通学するにはやはりそういうところも気をつけなければいけなかったのだ。
新しく気を付けるべきところに気付かせてくれた日でもあったので、魔術学校が早く終わって迎えに来てくれたお兄ちゃんの手を引いて学校の敷地内に入ってもらって「お帰りなさい」と「ただいま」のハグをする。
「今度からしきちないでハグをして『いってらっしゃい』『行ってきます』もしようね」
「ほんの一歩の違いだけど油断してたかもしれないね」
お兄ちゃんはすぐに私の意図を汲んでくれて明日からは移転の魔術でついたらすぐに学校の敷地内に入ることで二人の意見はまとまった。移転の魔術でお屋敷に戻ると、ファンヌとヨアキムくんを乗せた馬車もお屋敷に戻って来ていて、ファンヌとヨアキムくんがセバスティアンさんの手を借りて馬車から降りていた。
「おかえりなさい、イデオンにぃさま、オリヴェルおにぃちゃん」
「きょうはたいへんだったの?」
もう保育所にも話はいっているようだ。それもそうだ、幼年学校で不審者が出たのならばすぐ近くの保育所にも出ないとは限らない。
気を付けるように言われたのだろうファンヌもヨアキムくんも素早く門を潜って中に入っていた。私もお兄ちゃんと手を繋いで中に入る。セバスティアンさんは御者さんと馬車を片付けに行くようだった。
「私の名前を呼んで連れて行こうとしたひとがいたんだ。ヨアキムくんもファンヌも気を付けてね」
「にぃさまをたすけなきゃ!」
「イデオンにぃさま、へいきだった?」
「お兄ちゃんが助けてくれたし、校長先生が警備兵さんを呼んでくれたからなんともなかったよ」
心配してくれるファンヌとヨアキムくんに答えていると、カミラ先生とビョルンさんが玄関で待っていてくれた。仕事が忙しいのに私たちを待っていてくれるとはなんなんだろうと不思議に思っていると硬い表情で告げられる。
「イデオンくんとファンヌちゃんにお客様が来ています」
「私とファンヌに?」
カミラ先生の表情が硬くなるようなお客様とは誰なのだろう。一度部屋に戻って着替えて応接室に行って私は息を飲んだ。
「朝のふしんしゃ!?」
「ふしんしゃなの!? わたくし、たおします!」
包丁を取り出しそうになるファンヌをカミラ先生が止める。
「こちらの方はイデオンくんとファンヌちゃんのお祖父様です」
お祖父様!?
そんな存在がいたことを考えもしていなかった8歳の私だった。
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