17.数少ない協力者
自分よりもずっと年上で、穏やかなお兄ちゃんが、私を抱き締めて泣くとは思わなかった。涙を拭いて、薬草を受け取ったお兄ちゃんの青い瞳は、まだ潤んで涙の膜が張っていた。
部屋の中に入れてもらって、薬草をどうするかについて、私とお兄ちゃんは話し合う。
「こっちの薬草は新鮮なうちに売りに出さなきゃいけないし、乾いてもう売りに出せる薬草もあるし……」
「わたしはおみせにはいけないから、どうしよう」
「どうしようね……」
協力者と言えば、リーサさんとスヴェンさんとセバスティアンさんくらいで、その中でもリーサさんは乳母として屋敷の外に出るのを禁じられているし、セバスティアンさんとは頻繁に会うことができない。
「スヴェンさん」
「スヴェンさんが仕入れをするときに、薬草市場に寄ってもらって」
「わたしが、おかねをうけとって、おにいちゃんにとどける」
「完璧だ、イデオン」
二人で思い付いた計画で、どうにか薬草の取り引きが出来そうで、ほっとしたところで、お兄ちゃんは私を膝の上に乗せた。ベッド脇の灯りだけで、部屋の中は薄暗く、お兄ちゃんの表情が良く見えない。
「僕がいなくなっても、イデオンは僕を覚えていてくれる?」
「おにいちゃん、いなくならないで」
「僕もイデオンやファンヌから離れたくないよ」
ぎゅっとお兄ちゃんに抱き付くと、お兄ちゃんも私の小さな体を抱き締めた。じっとしていると、どくんどくんとお兄ちゃんの心臓が鳴っているのが伝わってくる。
「死んだらひとはどうなるんだろう……」
「おにいちゃん、しんじゃうの?」
「死にたくはないけれど、旦那様と奥様はそれを望んでいる気がする」
このまま、お兄ちゃんを病気だと言い続けて、両親が何をしようとしているか、幼い私にも薄っすらと分かっていた。お兄ちゃんがアンネリ様のように殺されてしまったら、私は両親を許すことはできないし、私も生きていけないだろう。
「おにいちゃん、しなないで」
「イデオンとファンヌに、あの薬草畑を譲るよ。秋には種を収穫して、次の季節に備えるんだ」
「いなくなるようなことを、いわないで」
「僕も、怖い……これからどうなるのか、とても怖い」
震えているお兄ちゃんは、大人のアンネリ様ですら毒殺されたのならば、体は大きいがまだ子どものお兄ちゃんなど、簡単に両親が亡き者にできると気付いているのだろう。
「できるだけ、まいにち、おにいちゃんのところにくるの」
「睡眠時間を削ったらだめだよ?」
「おひるねするから、だいじょうぶ」
少しでもお兄ちゃんが怖くないように、お兄ちゃんに危険が迫らないように、寂しくないように、毎日来ると約束して、私はコップに入った薬草と、干して乾かした薬草を持って部屋に帰った。
乾かした薬草は紙に包まれていて、スヴェンさんへのお手紙も入っている。
翌朝も早起きをして、リーサさんとファンヌと薬草畑に行った。
リーサさんにバケツに水を汲んでもらって、日が昇る前に水やりを終えてしまう。虫の駆除は、素手で触ると危ないのでリーサさんにファンヌが教えて、私はぷちぷちと薬草を収穫した。
ベッドの下に紙を敷いて薬草を隠して、朝ご飯を食べて、家庭教師がやってくるのを待つ。今日は大人しく椅子に座っていた。
「イデオン様、勉強する気になったのですね。この絵が分かりますか?」
「わからなーい」
「なーい」
今日は私が勉強ができないとアピールする。
リンゴの絵を指さす家庭教師に首を振ると、ファンヌも真似をして首を振る。
「こっちはどうですか?」
「なにかなぁ?」
「なぁにぃ?」
犬の絵を指さす家庭教師に、分からないふりを続けていると、家庭教師は苛々してきたようだった。
「これは、リンゴ、これは、犬です!」
「むずかしーい」
「むちゅかち」
頭を抱えた家庭教師は、諦め気味に私を見た。
「旦那様はイデオン様に家を継がせたいと仰ってるけど、この様子では無理でしょうね」
小さな子どもだから意味が分からないと思って漏らしたのだろう。
その一言を、私はしっかりと聞いていた。
私に家を継がせる。それはつまり、お兄ちゃんを廃嫡させることに繋がる。
家の乗っ取りは許されていないし、社交界で白い目で見られるから、お兄ちゃんは後継者を退かせるために、亡き者にされてしまうのではないだろうか。
呆れた家庭教師が部屋を出て行ってから、私は昨日お兄ちゃんに預けられた干して乾かした薬草と、コップに入った新鮮な薬草を持って、厨房に出かけて行った。
厨房でスヴェンさんに会うと、困った顔で素早く厨房の扉を閉める。
「部屋を出たことが、旦那様に知られると大変ですよ」
「スヴェンさん、これ、あにうえから」
手紙と共に薬草を渡すと、スヴェンさんは真面目な表情で読んでいた。
「オリヴェル様の薬草畑の薬草を私がお金に換えればいいのですね」
「それを、わたしがあにうえのところにもっていきます」
「……オリヴェル様はこれからどうなるか分からない。逃げるときのためにも、資金は必要でしょう。分かりました、協力します」
お兄ちゃんが逃げる。
その発想はなかった。
この屋敷から出て、まだ13歳のお兄ちゃんが一人で暮らしていけるとは考えていなかった。しかし、幼年学校を出たら働きに出るのがほとんどで、魔術学校には働きながら通ったり、お金が貯まってから通ったりすることも、一般の家庭では珍しくないということを、スヴェンさんが教えてくれた。
「貴族育ちのオリヴェル様には厳しいかもしれませんが、命を奪われるよりも良いでしょう」
スヴェンさんに言われて、私はそういう手もあったのかと理解した。
お昼寝をして、夜にはお兄ちゃんの部屋に行く。
扉をノックすると、お兄ちゃんは私を待っていてくれたようだった。
「食事も部屋の前に置かれて、誰とも接することができないようにされてしまった。イデオン、来てくれて嬉しいよ」
「だれも、こないの?」
「重病だからうつってはいけないと言われているらしい」
お兄ちゃんはこんなに元気そうなのに、屋敷の中では重病ということになっている。元気だったのが急に弱って死んでしまったアンネリ様を思い出して、私は息を飲んだ。
「のろい、だいじょうぶ?」
「今のところは、食べ物や着るものに呪いはかけられてないみたいだよ」
アンネリ様の死に疑惑を抱いてから、お兄ちゃんは呪いに対する感知の魔術を特に入念に習得していた。食事は摂らなければ死んでしまうので、食べないわけにはいかないが、呪いがかかっていないかはきちんと調べているという。
食べ物や着るものに呪いはかけられていないということで安心して、私は昼間のスヴェンさんとのやり取りを話した。
「スヴェンさんはひきうけてくれるって。おにいちゃん、おかねをためて、ここから、にげだすの?」
「そのことも考えてはいるんだ」
この御屋敷を逃げ出してしまう方が、命を狙われずに済むし、自由になれるので、お兄ちゃんにとっては良いのかもしれない。しかし、そうなるとお兄ちゃんは自分の食事も、着るものも、住む場所も、自分で探さなければいけなくなる。
魔術学校に通って、研究課程まで進んで、薬草学者になるというお兄ちゃんの夢は、潰えてしまう。
お金を貯めてから魔術学校にもう一度入り直したとしても、魔術学校の先生たちはお兄ちゃんの顔も名前も知っているから、ルンダール家のオリヴェルが生きていることを両親に伝えるかもしれない。
「僕は生まれてこなかった方が良かったんだろうか……」
悲しいお兄ちゃんの呟きに、私はお兄ちゃんの身体にしがみ付いた。
「おにいちゃんがいなかったら、わたしもいきていけない。おにいちゃんがわたしとファンヌをかわいがってくれて、わたしはしあわせになったの。おにいちゃん、そんなこと、いわないで」
「ごめんね、イデオン……イデオンがいてくれて良かった」
抱き締め合う私とお兄ちゃんは、4歳と13歳。
世間の荒波で揉まれるには、あまりにも幼すぎた。
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