2.子守マンドラゴラのダーちゃんとブーちゃん
リーサさんに休暇を取らせるのはなかなか難しかった。
「使用人さんも週に一度は休暇を取らせるようにという法がありますし」
「わたくしはそれを希望しておりません。エディト様は今一番目が離せない時期です。それと同時に可愛い時期でもあります。共にいられる時間がわたくしには幸せなのです」
そう言われてしまうと言葉に詰まる私をお兄ちゃんが言葉を添えてくれる。
「リーサさんはこのお屋敷でも古株になってきています。そういうひとが休みをとらないと他の使用人さんも取りにくいでしょう」
「わたくしは乳母であり、替えのきく仕事ではないと誇りを持っております」
「リーサさん、カスパルさんとおでかけ、いやなの?」
そこへ話に入って来たのがヨアキムくんだった。
純粋な黒い目をくりくりさせて問いかける。
「嫌なわけでは……」
「カスパル叔父上のためにも休暇を取ってやってくれませんか?」
「エディト様はどうするのですか?」
「他の使用人と僕とイデオンとファンヌとヨアキムくんが見ています」
そこまで言われてやっとリーサさんの心は動いたようだった。
「それでしたら、次の幼年学校と魔術学校と保育所のお休みに、休暇を取らせていただきます」
やっと色よい返事がもらえて私とヨアキムくんとファンヌは飛び上がって喜んだ。栄養剤を確りと飲ませて綺麗に洗った蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラは先にエディトちゃんに会わせておいて慣らしておく。
「お! おぉ!」
自分が遊んでも良いマンドラゴラが来たことにエディトちゃんは喜びの声を上げてにこにこして近付いて行っていた。大根マンドラゴラも蕪マンドラゴラも自ら歩み寄ってエディトちゃんに抱き締められる。
ぬいぐるみとは違うので硬いし重いので持ち上げることはできないがぎゅっと抱き締めてエディトちゃんはご機嫌だった。
「エディトちゃんのマンドラゴラだよ。おなまえ、なんにする?」
「おなまえ……わたくし、じぶんのマンドラゴラにおなまえつけてなかったわ!」
「ファンヌちゃんのニンジンさんは『ニンジンさん』じゃないの?」
エディトちゃんのマンドラゴラに名前をつける場面になって自分のマンドラゴラに名前を付けていなかったことに気付いたファンヌ。3歳のときからなのでもう3年の付き合いになる人参マンドラゴラは、確かにいつも「ニンジンさん」と呼ばれているのでヨアキムくんの言うように「ニンジンさん」という名前が相応しいかもしれない。
「そうね、わたくしのニンジンさんだわ」
ファンヌもあっさりと納得していた。
「うぉ! あぶっ!」
「なんておなまえがいいかなぁ?」
「ダイコンとカブだから『ダーちゃん』と『ブーちゃん』がいいんじゃないかしら?」
「ダーちゃんとブーちゃん! エディトちゃん、ダーちゃんとブーちゃんだよ」
「だー? ぶー?」
名付けられて大根マンドラゴラのダーちゃんと蕪マンドラゴラのブーちゃんは誇らしげに胸を張っていた。その胸の位置にあたる部分が若干ムキムキしているのはビョルンさんの『マッチョナール』で急速に育てたせいだろう。
ダーちゃんとブーちゃんは歩いては転びそうになるエディトちゃんを二匹で支え、椅子に上りそうになると「びょあー!」と叫んで注意を促していた。
さすが自分たちで子守を志願しただけはある。やる気に溢れた二匹に私とお兄ちゃんも感心していた。
幼年学校と魔術学校と保育所が休みの週末にリーサさんはお休みをもらった。綺麗なワンピースを着て迎えに来たカスパルさんの手を取る姿に見惚れてしまう。
恋をすると女性は綺麗になるというがリーサさんはカスパルさんが夢中になるのも分かるくらい美しかった。その美しさが外見だけではなく芯の強い性格からきていることも分かっている。
子ども部屋に勉強道具を持ってきていたお兄ちゃんと私は、宿題をしながらエディトちゃんとヨアキムくんとファンヌが遊ぶのを見ていた。エディトちゃんの傍にはダーちゃんとブーちゃんが控えている。
「だー! ぶー!」
「びょえ!」
「びぎゃ!」
名前もすっかりと覚えたようでエディトちゃんはダーちゃんとブーちゃんを呼んで追いかけっこをしていた。素早く逃げられるはずのマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃんもエディトちゃんに手加減をしてときどき捕まってくれる。
小さな両腕でしっかりと抱き締めて「つかまえた!」とばかりに誇らしげに笑うエディトちゃんは可愛かった。
「私もマンドラゴラに名前を付けた方がいいのかな」
「イデオンのマンドラゴラも南瓜頭犬も名前はないよね」
「名前を付けるなんて全然考えたことがなかった」
これから長い付き合いになるのだったら名前を付けても悪くはないのだが、私は他のマンドラゴラをカミラ先生のために収穫して厨房に届けたり、エレンさんの診療所に届けたりしている。
お兄ちゃんが捨てられた後に両親を断罪したときに助けてくれたマンドラゴラは薬草市で売ってしまった。そのおかげでビョルンさんがお屋敷に訪ねて来てくれたので無駄ではなかったと分かっているのだが、飼っているマンドラゴラも南瓜頭犬もいつか必要になれば私は薬剤として差し出してしまいかねない。
「名前は付けない方がいいかもしれない」
そんな私に名前を付ける権利はないと思ってしまわずにいられない気持ちをお兄ちゃんは軽々しく否定せずにいてくれた。
貴族はマンドラゴラを愛玩用に飼うのが高尚な趣味になっているようだが、私にとってマンドラゴラや南瓜頭犬は目の前に困っているひとがいたら差し出すべき薬剤の材料としての認識が強かったのだ。
自分のためにジャガイモマンドラゴラがお鍋に飛び込んだ日はとても悲しかったけれど、そのジャガイモマンドラゴラもじゃがバターにして美味しく食べてしまった。
「私にとってマンドラゴラはペットじゃないのかもしれないと思うんだ」
「イデオンがそう思うなら無理に名前を付けることじゃないよ」
そう言ってくれるお兄ちゃんは優しく私は胸が暖かくなるような感覚に包まれていた。
話している間にエディトちゃんは窓際の棚の上に置いてある歌い薔薇が欲しくて棚に登ろうとして失敗して、がたがたと棚を揺らして歌い薔薇の入った一輪挿しを倒そうとしている。倒れて一輪挿しが割れてしまったら危ないと椅子から立ち上がった私とお兄ちゃんより早く、ダーちゃんとブーちゃんが私たちのついているテーブルに駆け寄った。テーブルの上にはお茶の時間に紅茶に入れるハチドリイチゴのジャムが置いてある。
器用にジャムの蓋を開けたダーちゃんに、ブーちゃんが瓶の中に手にあたる部分を突っ込んで真っ赤なハチドリイチゴのジャムを両手に塗りたくる。それを強調するようにダーちゃんがブーちゃんを両手にあたる部分で指し示した。
「うお!?」
「ぎゃむ! ぎゃむ!」
「びゃむ! びゃむ!」
「んまぁ!」
ハチドリイチゴのジャムを見せられて目の色が変わるのはやはりカミラ先生の娘だ。涎を垂らしながらブーちゃんに近寄って、ブーちゃんを捕まえてジャムを舐めさせてもらっている。
部屋中にハチドリイチゴのジャムの甘い香りが充満する。
「エディトのこと、よく分かってる!」
「食いしん坊さんなんだから」
つい笑ってしまった私たちだったが、ブーちゃんとダーちゃんがジャムでエディトちゃんの気を引いている間に歌い薔薇の位置を変えてエディトちゃんの見えない場所に置いてしまった。
ハチドリイチゴのジャムで口の周りが真っ赤になったエディトちゃんのお口を拭いて、水を飲ませるとお兄ちゃんがオムツを見る。オムツを替えている間も暴れないようにブーちゃんは大人しく手にあたる部分をエディトちゃんにしゃぶられていた。
涎塗れになったブーちゃんを洗面所で洗っている間に、エディトちゃんは椅子に座らされてファンヌの幼年学校ごっこに付き合わされていた。
「このもんだいがわかるひと!」
「はい!」
「あい!」
「びゃい!」
ヨアキムくんに釣られて手を上げているエディトちゃんがとても可愛い。ついでにダーちゃんも手を上げさせられていた。
「では、エディトちゃん、こたえてください」
「あだ! だー!」
「はい、せいかいです!」
先生役のファンヌと生徒役のヨアキムくんに拍手されてエディトちゃんは鼻息も荒くダーちゃんを抱き締めていた。
マンドラゴラは子守にも役に立つようだ。
リーサさんが帰って来てから晩ご飯の時間にカミラ先生も交えてその話をするとカミラ先生は興味を持ってくれた。
「ペットを飼うと子どもの情操教育にいいと言いますよね。マンドラゴラもそうなのかもしれません」
「子守のできるマンドラゴラという売り方も貴族にはできそうですね」
そのためにはよく育ったマンドラゴラが必要だが、あまり育ちが悪いときでもルンダール領にはビョルンさんが作ってくれる『マッチョナール』があるので安心だ。
「徒弟制度を含んだ高等学校ですが、施設建設は進んでいるのですがまだ教員の足りない状態ですね」
外から教員を募るのには限界がある。
そこでカミラ先生が提案したのは魔術学校と研究過程のカリキュラムの変更だった。
「これまでは幼年学校と魔術学校と研究課程の教員を育てるカリキュラムがあったのですが、そこに高等学校の教員を育てるカリキュラムを加えたいと思います」
今年度から動き出すこの制度で教員が育つまで、魔術学校では専門課程に入る四年生からの三年間、研究課程では四年間かかる。時間のかかることだがひとを育てることこそ領地を育てることなのだというカミラ先生の言葉が実現するまで私たちはそれを待つことになる。
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