39.ビョルンさんに悩みを打ち明ける
魔術学校が遅くなるので幼年学校から馬車で帰って来た冬の日。その日はちょうど魔術学校と幼年学校と保育所が冬休みに入る日だった。
マフラーと帽子と暖かな上着を脱いで魔術の火が点るストーブで暖められた部屋に、私はビョルンさんを呼んで悩み事を聞いてもらっていた。
遺伝の話を聞いた日からずっと私の心に引っかかっていたこと。
「ビョルンさんはカミラ先生をだっこできませんよね?」
「私は肉体強化の魔術が得意ではありませんから、カミラ様を抱き上げると落とす可能性があるのでしませんね」
「だっこしたいと思いませんか?」
ビョルンさんは男性だがカミラ先生よりも背が低い。体つきもひょろりとしていて逞しい印象はない。長身で細身だがしっかりと筋肉はついているカミラ先生をビョルンさんは抱き上げることができなかった。
「イデオンくんは抱っこされるのが好きですか?」
「お兄ちゃんに抱っこされるのが好きです。いつかお兄ちゃんを抱っこできるようになりたいと思っていたけれど、私は大きくならないかもしれないって聞いてショックだったんです」
素直に思っていることを全て口にするとビョルンさんは私の薄茶色の髪を撫でてくれた。幼児のときはふわふわだったがそれよりは硬くなっているとはいえ柔らかな猫毛で癖があるのは変わらない。
鏡を見れば分かるのだが私はファンヌに似ている。ファンヌに似ているということは男らしくかっこいい感じではないのだと薄々勘付いている。
ストーブの魔術の火がビョルンさんの横顔を照らす。
「イデオン様はオリヴェル様を抱っこしたかったんですね」
「お兄ちゃんは小さいころにレイフ様とアンネリ様をなくして、だっこされたことがあまりないんじゃないかって思ったんです。だから、私が大きくなったらその分お兄ちゃんを抱っこしたいってずっと思っていました」
私の話を聞いてビョルンさんは穏やかに頷いてくれる。否定されないことで私は安心してビョルンさんに話をすることができた。
カミラ先生もビョルンさんもお兄ちゃんも、私の周囲にいるひとたちは私の言葉を否定したり遮ったりしない。馬鹿にして笑うこともなければ聞いてくれないこともないので、安心して私は誰にでも話ができた。
「抱き上げることは大事ではないかもしれません」
「え?」
「私はカミラ様を抱き上げることができませんが、カミラ様がつらいとき、悲しいとき、悔しいときには、寄り添って抱き締めることができます。大人になると抱っこされて抱き上げられるのはそんなに重要じゃないのですよ。それよりも愛情を持って寄り添い、抱き締めることが大事かもしれません」
愛情を持って寄り添って抱き締めること。
お兄ちゃんの身体は大きいけれど年はまだ17歳だから悩んでいること、悲しいこと、苦しいこと、沢山あるだろう。大人になってもカミラ先生にもつらいとき、悲しいとき、悔しいときがあるのだからお兄ちゃんが成人してもきっと傷付くことはあるのだろう。
まだ7歳の私には想像もつかない大人の世界だが、そこにも悲しみや苦しみやつらさがあるのだ。
そういうときにそっと寄り添って抱き締める。それだったら今の私でも出来そうだった。
「よりそって、だきしめるんですね」
「イデオンくんは、傾聴という言葉を知っていますか?」
「けいちょう、ですか?」
「耳を傾けて聞くこと、もしくは、心を傾けて聞くことです。オリヴェル様が聞いて欲しいときに寄り添って話を聞くだけでも、充分抱き上げているのと同じ効果があるかもしれません」
傾聴。
知らなかった言葉をビョルンさんは教えてくれた。
私はお兄ちゃんを抱き上げられるくらい大きくなれなくてもお兄ちゃんに大好きだと伝えて、お兄ちゃんが今まで抱き上げられなかった分を取り返すことはできるようだ。
「聞いてくれてありがとうございました。そうだんしてよかったです」
「悩みが少しでも解決したのなら、お役に立てて光栄ですよ」
7歳の私にも分かる言葉でビョルンさんはお兄ちゃんを抱っこできないことを悩む私を救い出してくれた。この言葉は後々の私にまで影響を与えることとなる。
「ただいま、イデオン。ビョルンさん、部屋に来ていたんですか?」
「イデオンくんとお話をしていました。椅子をお借りしましたよ」
「どうぞどうぞ。何の話をしたのかな?」
「それは二人の内緒ですね」
帰って来たお兄ちゃんがマフラーと帽子と上着を取りながら部屋に入って来ると、ビョルンさんはお兄ちゃんの椅子から立ち上がった。私も自分の椅子から立ち上がってビョルンさんを部屋の外まで送って行く。
「イデオンくんはオリヴェル様の特別な存在ですからね。それだけはお忘れなく」
「とくべつ……はい!」
私にとってお兄ちゃんが特別なように、お兄ちゃんにとっても私が特別に見えているようだった。ほこほこと幸せな顔で自分の机に戻るとお兄ちゃんにほっぺたを両手で挟まれる。外から帰って来たお兄ちゃんの手は冷たくて、私は飛び上がってしまいそうになった。
「ぴゃー!? つめたい!」
「イデオンのほっぺたは暖かいしもちもちしてて触り心地がいいな」
「もう、お兄ちゃんったら!」
もちもちとほっぺたを揉まれても嫌ではないのはお兄ちゃんだからだろう。
本当は私はお兄ちゃん以外に抱っこされるのも触られるのも好きではないのだ。
「3さいか4さいのたんじょうびのパーティーで、父が私をだっこしたの」
「そんなことがあったの? 初めて聞くね」
「ふくがひっぱられて、からだにくいこんで、持たれたばしょも力まかせで、すごくいたくていやだった」
普段は着ない盛装を着せられていたせいもあったがとても窮屈だった上に、それを引っ張るようにして抱き上げるのだからとても痛くて嫌な思い出としてしか私には残っていない。
お兄ちゃんやリーサさんは脇の下に手を入れて私が両手を上げてちゃんと抱っこされる体勢にならないと抱き上げなかった。私もそういうときには準備ができているのでお兄ちゃんやリーサさんの身体にしがみ付くことができるし、痛くもなくて楽なのだが、父は私の意志など関係なく荷物でも持ち上げるように私を持ち上げたのが不快だった。
「あれから、お兄ちゃん以外のひとにだっこされたくないって思ったんだ」
「イデオンが僕にしか抱っこされないのは気付いてたけど、そんなことがあったんだね」
「自分でもあまりおぼえてなかったし、いしきしてなかったけど、いやだったみたい」
お兄ちゃんに対して言うとお兄ちゃんは両腕を広げてくれる。そこに飛び込んだらぎゅっとハグをされた。まだ外気の名残のあるお兄ちゃんの身体は冷たかったけれど、ぴったりとくっ付くとすぐに暖かくなる。
「イデオンが嫌って言うまで、僕がずっと抱っこしてあげる」
「私もお兄ちゃんをだきしめてあげる」
「僕を?」
「うん、悲しいときやつらいときは言ってね。私がだきしめてあげるから」
この腕が短く小さくてもお兄ちゃんを抱き締めることはできる。そのことをビョルンさんが教えてくれた。
「じゃあ、落ち込んだときにはお願いしようかな」
「いつでもいいからね」
二人で話しながら洗面所で手を洗っておやつを食べにリビングへ行く。ソファの縁に手をかけてつかまり立ちをしていたエディトちゃんがテーブルの上の一輪挿しの歌い薔薇の歌に合わせてオムツでぷっくりしたお尻を振って踊っていた。
可愛いなと思って見ているとエディトちゃんの手がソファから離れる。
その場にいた全員が息を飲んでエディトちゃんを見ていた。
ふるふると震えながら一人で立ったエディトちゃんが一歩足を踏み出そうとする。
「あっ!」
残念ながら初めの一歩が出ないまま、エディトちゃんはその場に尻もちをついて、すぐにはいはいの姿勢になった。しゃかしゃかと高速はいはいでテーブルまで行って、またつかまり立ちをして歌い薔薇を見て踊る。
「もうちょっとであるけそうだった」
「あとちょっとだったね」
手に汗を握って見ていたヨアキムくんとファンヌは残念そうだったが、エディトちゃんが歩けるようになるのも近いだろう。
「エディト、おやつにしますよ」
「う!」
おやつの言葉に反応してエディトちゃんがカミラ先生のところにはいはいでやって来る。脇の下に手を入れて抱き上げて、カミラ先生はエディトちゃんを赤ちゃん用の椅子に座らせて手を拭いてあげていた。
今日のおやつはハチドリイチゴのジャムで作ったムースと紅茶だった。鮮やかな赤い色のムースは艶々としてふるふると震えて美味しそうだ。スプーンで一口掬って食べると甘酸っぱさが口に広がる。
まだスプーンを使えないエディトちゃんは大きなお口を開けてビョルンさんに食べさせてもらっていた。その間にカミラ先生がムースを食べてしまって授乳の準備に取り掛かる。
「冬休みはカスパルとブレンダはオースルンド領に帰って年越しをするようですが、オリヴェルとイデオンくんとファンヌちゃんとヨアキムくんはしたいことがありますか?」
紅茶を飲んで問いかけるカミラ先生にヨアキムくんが小さなお手手を上げた。
「うばの、おはかまいり!」
「それは良いですね。アンネリ様と兄上のお墓参りにも行きましょう」
「さむくて、さびしいとおもうの」
「綺麗なお花を持って行くと良いかもしれませんね」
お墓参りに行きたいというヨアキムくんの案にみんな賛成して話は終わった。カスパルさんがリーサさんをオースルンド領に誘っている姿を見かけたけれど、「わたくしにはエディト様の乳母という仕事がありますから」と断られていた。
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