37.種から学ぶ遺伝の話
枯れて乾いてきた薬草から来年度のための種を取る作業をする季節になって来た。収穫した種は乾かして小さな袋に詰めてどの種か分かるように刺繍をしておく。
12歳から私とファンヌの服を作らされていたお兄ちゃんは針仕事も得意だった。私も真似をしようとするのだが指先がぷるぷると震えて針に糸を通すのが難しいし、縫うときには指にぶっすりと針を刺してしまう。
「いたっ!」
「イデオン、残りは僕がやるから無理をしないで」
「私もできるようになりたい」
お兄ちゃんと同じことができるようになりたいが私とお兄ちゃんは約10歳の年の差がある。できなくても当然だという事実を当時7歳の私は受け止めがたかった。
外はすっかりと寒くなって私とお兄ちゃんの部屋で二人で机について並んで針仕事をする。不格好な刺繍になってしまったがお兄ちゃんは私の頭を撫でて褒めてくれた。
「イデオン、頑張ったね」
「ぬいものもできた方がいいのかな」
「簡単なボタンを縫い付けたり、服の穴を塞いだりするのはできると便利だよ」
思い出したくないことだろうにお兄ちゃんは穏やかな笑顔でそう答えてくれた。私の父が当主代理をしていた時期にはお兄ちゃんは服も充分に与えられず、破れた服を繕って着ていた。成長期のお兄ちゃんの身体は大きくなるのに、身体に合った服が与えられていなかったのも問題だったし、それが清潔でもなく新品でもなかったのもお兄ちゃんはきっと惨めな思いをしたことだろう。
「父が、ごめんなさい……」
「イデオンが謝ることじゃないよ。イデオンは僕を救ってくれたし、今はとても幸せだよ」
お兄ちゃんの笑顔に嘘があるとは思わないが私の両親のことを考えるとどうしても気持ちが暗くなる。ストーブの中で魔術の火が燃えて部屋を暖め、お兄ちゃんの横顔を照らしていた。
「12歳のときイデオンが子ども部屋から脱走してくれなかったら、僕の人生はどうにもならなかったと思うと、本当に感謝しているんだ。自分を責めたりしないで。僕はイデオンといられて嬉しいよ」
針道具を片付けてお兄ちゃんに抱き締められて私は涙が滲んで来てしまった。他の誰に何を言われても平気だと思っているのにお兄ちゃんの前ではどうしても涙もろくなってしまう。
「来年は何を植えようか? ハチドリイチゴの小屋があるから、同じようなものに挑戦してみる?」
「ハチドリイチゴのジャムがおいしくてカミラ先生も気に入ったなら、来年もハチドリイチゴでいいんじゃないかな?」
「イデオン、エディトは乳離れするんだよ?」
「え?」
そういえばエディトちゃんは最近離乳食をもりもりと食べるようになっていた。量が足りないようで最後の一口になると涙をぽろぽろと流しながら食べる様子が可愛いのだが、お乳をまだ飲んでいるエディトちゃんがいずれ乳離れするということが私には全く分かっていなかった。
「ちちばなれって……」
「お乳を飲まなくても食事だけで栄養が摂れるようになるんだよ」
春まではハチドリイチゴのジャムで栄養を取ってもらって、夏からは育った蕪マンドラゴラをスープにして出して、また冬になる頃にはエディトちゃんは乳離れしている可能性がある。
「特に叔母上は当主代理として完全復帰したいだろうから早く乳離れさせるだろうし……その、お乳を出してる間は次の赤ちゃんができにくいって聞いたことがあるんだ」
「次の赤ちゃん!?」
「エディトにも弟や妹が欲しいだろうし」
カミラ先生はエディトちゃんの弟や妹を産むかもしれない。そうなるとお乳を飲ませていては次の赤ちゃんができにくかったり、できても支障があったりするのだと初めて聞かされて私は驚いてしまった。
いつまでも小さい気分でいたエディトちゃんも春の私と同じ誕生日には1歳になるのだ。
「もう一年たっちゃうのか……早いね」
「赤ちゃんの成長は早いよね。ファンヌと初めて会った頃を思い出すよ」
お兄ちゃんと私が出会った頃にはファンヌはまだ1歳にもなっていない赤ん坊だった。それが今は5歳になって一人前に喋って自己主張するようになっている。
ファンヌは私と生まれた月が違うので、私のように学年の一番最後ではなくて一番最初の方の子どもで、次の誕生日で6歳になるが幼年学校の入学はヨアキムくんと同じ再来年だった。そういう学校制度も私はよく理解できていなかった気がする。
「春の私の生まれ月が学年の一番最後なんだよね」
「そうだよ。ファンヌの生まれ月が学年の一番最初」
「ファンヌは、ようねん学校に入ってすぐに7さいになるってこと?」
「ダンくんと同じだね。ヨアキムくんは冬に7歳になるけどね」
ほんの数日しか違わないのに月末生まれの私と月初め生まれのファンヌでは全く立場が違う。ダンくんと私が生まれ月が丸一年近く違うのに同じ教室にいるのと同じ不思議がそこにあった。
「私は小さくてもしかたないんだ……」
「小さいイデオンも可愛いよ?」
「私は大きくなりたいの! お兄ちゃんより大きくなって……」
いつかお兄ちゃんを抱っこしてあげたいなんて言うと笑われそうで私は黙ってしまった。口を閉じた私をお兄ちゃんは引き寄せて椅子に座ったまま膝の上に抱き上げる。近くに据えられたストーブの熱がじわじわと頬に当たって耳が熱くなる。
「イデオン、遺伝って知ってるかな?」
「いでん?」
「大きく育つマンドラゴラの種は、次の年も大きく育つマンドラゴラが収穫できる。小さめのマンドラゴラの種は、次の年も小さめのマンドラゴラしか育たない」
「それが、いでん?」
ちょうど種の仕分けをしていたので想像はしやすかったが、
他の薬草もだが病気に強いものを掛け合わせてより病気に罹りにくい株を作り出す技術が魔術学校や研究課程で研究されている。その話をされてもよく分からない私にお兄ちゃんはちょっと言いにくそうに私に説明してくれた。
「ドロテーア・ベルマンは小柄なひとだった。ケント・ベルマンもあまり背は高くなくて、中背だった」
「え!? もしかして……」
「僕は身体の大きな父に似たみたいだけど、イデオンの両親は大きくなかったからイデオンが大きくなれなくてもがっかりしないでね」
物凄くがっかりした。
そうなのか。両親に子どもは似ると言うけれど、それは顔立ちだけの話ではなかった。
「他に祖父母が大きくて隔世遺伝ってこともあり得るんだけどね」
「そうだったらいいなぁ」
そうであることを願いつつも私はあまり大きくならないのかもしれないという事実を受け入れなければいけないのかとがっくりしてしまった。
「お兄ちゃんは、いつまで私をだっこしてくれる? いつまで私とお風呂に入ってくれる?」
私は春になれば8歳になるし、お兄ちゃんは冬の誕生日で17歳になる。魔術学校の最高学年になるお兄ちゃんは来年の冬には成人して結婚できる年にもなってしまう。
大人になったお兄ちゃんがいつまでも弟を抱っこしていてはおかしいだろうし、お風呂だって一緒に入っていてはおかしいかもしれない。頭もそれなりに洗えるようになってきたし、私は一人でお風呂に入っても構わないのだがお兄ちゃんとの特別な二人きりの時間がなくなると思うとちょっとだけ寂しい。
部屋でも二人きりなのだが、お風呂の時間は私にとっては特別だった。口に出せない悩みをお兄ちゃんに言ったり、お兄ちゃんの意外な話を聞いたりして誰にも邪魔されない空間で過ごす。
もう8歳になるのだからやめなさいと言われれば仕方がないと諦めなければいけないのだが、カミラ先生もビョルンさんもその辺には関与してこなかった。
「イデオンが嫌じゃないならいつまででも」
「私がきめていいの?」
「僕はイデオンとお風呂に入るのも、イデオンを抱っこするのも特別な感じがして好きだよ。イデオン、僕にしか抱っこされないでしょう?」
そうなのだ。
ファンヌが私よりも小さいというのもあるが、大人が抱っこする対象はいつもファンヌやヨアキムくんで、私ではなかった。私は歩けるし平気だとずっと思っていたのだが、お兄ちゃんはそれに気付いて私をよく抱っこしてくれる。
お兄ちゃんだけが私が全幅で甘えられる相手なのだ。
「気付いてたんだ……」
「僕にとってイデオンは特別だもの」
額を合わせるようにしてくすくすと笑うお兄ちゃんは最初にあった頃よりもずっと大きくなっているけれど、根本は何も変わっていない気がする。
私とファンヌのために子守を申し出てくれて、食べ物を変えるように厨房に言ってくれて、服を縫ってくれて、抱っこしてくれる。
お兄ちゃんとのこんな時間がずっと続けばいいのにと私はお兄ちゃんと笑い合いながら思っていた。
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