15.引き裂かれた兄弟
「おにいちゃん、おとうさまのおなまえ、おしえて?」
「僕の父上? 名前はレイフだよ。でもなんで?」
問いかけられて私は、アンネリ様の遺品を探しに行ったことを話した。
「アンネリさまのものには、『アンネリ』っておなまえ、かいてあるでしょ?」
「それで、父の遺品に名前が書いてあると思ったんだ」
「ちがうの? わたしのものには、ぜんぶ、おなまえかいてあるよ?」
字が読めるようになった私は、着ていたシャツを捲って、縫い付けてある名前を見せる。寄ってきていたファンヌもスカートを捲って、裾に縫い付けてある名前を見せていた。
「ファンヌ、オムツが丸見えになるから、恥ずかしいよ」
「め?」
「見せてくれてありがとう。そうか……大人は自分のものに名前を書かないんだよ」
教えてくれたお兄ちゃんに私はショックで立ち尽くした。まだ4歳の世界は狭い。自分が中心に回っていて、お兄ちゃんも教科書やノートに自分の名前を書いていたから、誰もが自分のものには自分の名前を書いているのだと思い込んでいた。
「僕の教科書は魔術学校で他のひとと間違われないためだし、ノートだって提出するときのためだよ。大きくなると自分のものに名前を書かなくても分かるようになるし」
「そうなの!?」
愕然と立ち尽くしてしまった私に、お兄ちゃんは何かを思い付いたようだった。私とファンヌを片手ずつで抱っこして、お兄ちゃんの部屋のアンネリ様のロケットペンダントを置いてある棚の前に、連れて来てくれる。
ロケットペンダントからは立体映像で、まだ結婚前の若いアンネリ様が微笑んでいた。
「呪いには痕跡が残るって言ったよね」
「うん、こんせきがのこるってきいたの。こんせきって、あとってことだよね」
「そうだよ。魔術も同じ。誰がかけたものか、はっきり痕跡が残る。大事なものに盗難防止の魔術をかけている貴族は多いから、ある意味、名前を書いているのと同じになるね」
アンネリ様の遺品にはアンネリ様の魔術の痕跡が、レイフ様の遺品にはレイフ様の魔術の痕跡が残っているとお兄ちゃんは話してくれた。
魔術の痕跡が残っているものに、更に上から呪いをかけられたら、その痕跡も残る。どれくらい遺品があるのか分からないし、呪いの影響力がどれほど広かったのか分からないが、全てを完全に処分してしまうのは不可能。
外に流れて犯罪の証拠となるくらいならば、父親が全て倉庫で眠らせているというのも意味が分かる。
「おなまえ、かいてた」
「おまなえ?」
「おなまえ。まじゅつをじぶんのものにかけるのは、おなまえをかくのとおなじなんだって」
幼い考えを笑ったりせずに、次の知識へと繋げてくれるお兄ちゃんのおかげで、私は4歳にしては非常に賢い部類の自信があった。これだけ聡明なお兄ちゃんの弟なのだ、賢くないはずはないと信じ込んでいた。
けれど、年相応に心配なこともある。
口に出そうとすると目が潤んで、涙が零れそうになるのを、お兄ちゃんはベッドに腰かけて、私とファンヌを膝の上に乗せて、撫でてくれていた。
「ちちうえが、アンネリさまをころしたんだとしたら、ちちうえは、はんざいしゃなの」
「そうなってしまうね……」
「はんざいしゃのむすこのわたしと、むすめのファンヌが、ここにいることはできなくなるよね?」
父親を断罪して、お兄ちゃんの地位を取り戻すことは、私とファンヌとお兄ちゃんが引き裂かれることにも繋がって来る。魔術学校も病弱だと噂を流されて、どうなるか分からない状態のお兄ちゃんを助け出したいのだが、父親の罪が発覚すれば、その子どもである私とファンヌもルンダール家に残ることはできないはずだった。
「ずっと言っているよ。イデオンとファンヌは、血の繋がりはないけど、僕の可愛い弟と妹だって。イデオンとファンヌがどれだけ僕の心を救ってくれたか分からない。旦那様と奥様が追い出されることになっても、僕はルンダール家の当主になったら、絶対に二人を連れ戻す」
「おにいちゃん」
嬉しくて出る涙もあるのだと、その日私は知った。泣きながらお兄ちゃんの胴に抱き付く私の髪を、お兄ちゃんは優しく撫でていてくれた。
日差しが日増しに強くなって、魔術学校が夏休みに入る頃に、急に両親が子ども部屋に現れた。嫌な予感がしていたが、薬草畑から戻った私とファンヌとお兄ちゃんは汗だくで、両親など放っておいてシャワーが浴びたくてたまらなかった。
「こんなに暑いのに外で遊ばせていたの? イデオンとファンヌが体調を崩したらどうするの?」
「魔術も教えていないようだし、やはりオリヴェルは信用ならないな」
「イデオンが部屋を抜け出しているみたいじゃないの。これだから、オリヴェルとは接触させたくなかったのよ」
どうやら、私が部屋を抜け出したことを告げ口した使用人がいるようだった。廊下で私を嘲笑った使用人かもしれない。それで、両親は遂にお兄ちゃんを私たちから引き離そうと動き出したのだ。
乱暴にお兄ちゃんを引きずって連れて行こうとする父親に、私とファンヌが片足ずつしがみ付いて、邪魔をして止める。
「これからはわたくしたちが、あなたたちの養育をちゃんとみてあげますからね。家庭教師を雇ってあげるわ」
「やぁの! あにうえ、いーの!」
「完全に懐柔されているようだな」
「いままで、ほうっておいて、よくわたしたちのまえにでてこられたものですね!」
しがみ付いている足を振って私とファンヌを引き剥がした父親は、お兄ちゃんの腕を掴んだまま、床に尻餅をつく私とファンヌを覗き込む。
「美味しいものを食べさせて、良い服を着せてやろう? おもちゃも買ってやるぞ?」
「いやー!」
「いりません! わたしたちをほっといて!」
拒否する私とファンヌを止めたのは意外な人物だった。
「イデオン、ファンヌ……言うことを聞いた方が良い」
「あにうえ!?」
「貴族社会で、僕はイデオンとファンヌを守ってあげられない。イデオンとファンヌに充分な暮らしをさせてあげられない」
「いいえ、あにうえは、わたしたちにたくさんのことをしてくれました」
「僕は……イデオンとファンヌを幸せにはできない」
諦めた表情のお兄ちゃんに、夢で見たお兄ちゃんの死に顔が浮かぶ。
生きることをお兄ちゃんは諦めてしまったのかもしれない。
「いやー!」
「あにうえ!」
どれだけ抵抗しても私は4歳で、ファンヌは2歳。お兄ちゃんが部屋に押し込められるのを見ていることしかできなかった。
甘ったるい声で母親が立ち尽くす私とファンヌに話しかける。
「オリヴェルは病気なのよ。お前たちにうつったら困るでしょう?」
「あにうえはびょうきなんかじゃない!」
「おまえ、やーの!」
ビシッと指さして、ファンヌが毅然と母親に宣言する。これまで「お前」などという言葉を使われたことがなかったので、嫌な言葉だとすぐに覚えてしまったようだ。
あくまでも言うことを聞かない私とファンヌに、両親は怒りを露わに怒鳴り付ける。
「二度とオリヴェルと会うことは許さない!」
「オリヴェルは病気なの。もう会えない。魔術学校も休ませるわ!」
このひとたちは、どれだけお兄ちゃんに興味がないのだろう。魔術学校が今夏休みで休みだということも知らないのかもしれない。
「可愛いイデオン、ファンヌ、良い子にしておくのよ?」
甘ったるい声で囁かれても、私もファンヌも怖気しかしなかった。今まで一度も私たちの面倒を見たことがないくせに、今更何を言いだすのか。
この日以来、お兄ちゃんは部屋に閉じ込められることになってしまった。
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