20.ハチドリイチゴの受粉問題
しばらく前から気付いてはいたのだ。
小屋の中でハチドリイチゴは育てられている。小屋の天井や周囲には金網が張り巡らされていて、入口以外から中に入ることは難しい。
それはつまり蜂の侵入も防いでしまうということだった。
ミツバチが花粉を運ばないとハチドリイチゴは実をつけないのだ。
そのことに気付いてはいてもどうすればいいか経験のない私とお兄ちゃんとダンくんはビョルン先生に頼ることにした。
「ミツバチを養蜂家から借りてきた方が良さそうですね」
「ミツバチをかりられるんですか!?」
養蜂家というものを知らなかった私はミツバチが貸し出される事実に驚いてしまった。
「室内栽培ではミツバチの貸し出しは盛んに行われていますよ」
「ようほうかって?」
「ミツバチを飼って蜂蜜を集めるのをお仕事にするひとたちです」
説明してもらって養蜂家の意味も教えてもらって、私とお兄ちゃんとダンくんはビョルンさんにミツバチを借りてもらうようにお願いした。小さな小屋の中でも蜂が飛び回るのでその期間はダンくんと私しか入らないようにして水やりはお兄ちゃんの魔術で手早く済ませることになった。
借りて来られたミツバチの巣箱からは蜂がぶんぶんと飛んでいて怖かったが、これがなければハチドリイチゴは育たないのだと覚悟して設置してもらった。
「自然な状態じゃなくて育てるのも難しいね」
「ミツバチがかりられるなんて思わなかった」
お兄ちゃんと話しながら朝の作業は終えて部屋に戻る。ハチドリイチゴの世話をすることができなくなったヨアキムくんとファンヌは先に部屋に帰っていた。
シャワーを浴びてさっぱりしている二人に私とお兄ちゃんもシャワーを浴びることにする。
「ダンくんもシャワー浴びて行ったら?」
「おれは帰るまでに汗だくになるから」
断ってダンくんは家に戻って行った。ハチドリイチゴの世話のために通ってきてくれているがダンくんは家にミカルくんを置いてきている。両親は仕事で忙しいのでダンくんがミカルくんを見るしかない。
連れて来てもいいと言っているのだが、ミカルくんはこの時間まだ眠くて起きられないようだった。
ファンヌとヨアキムくんは朝早く起きて畑仕事をして、昼ご飯の後にお昼寝をして起きて来るのが習慣となっている。ミカルくんは朝ゆっくり起きてくる代わりにお昼寝をしないのが習慣になっているようなのだ。
個々の家のことだから仕方ないし、そのうちミカルくんも起きられるようになるだろう。収穫のときにはミカルくんに手伝ってもらうとして、今はミカルくんの生活習慣を乱すようなことは考えていなかった。
「ファンヌとヨアキムくんも幼年学校に入る前にはお昼寝をしないように生活リズムを整えないといけないね」
お兄ちゃんの言葉にファンヌとヨアキムくんが目を丸くした。
「ほいくしょではおひるねしていいのよ?」
「ようねんがっこうは、おひるねないの?」
保育所の生活が自分の生活の中心となっている二人は幼年学校も同じようだと思っていたようだった。
「ようねん学校ではおひるねはないよ」
答えると二人はきりっと表情を引き締めた。
「おひるねしません」
「ねないの」
急にそんなことを言って大丈夫なのだろうか。
私の心配をよそに心を決めた二人はリーサさんに宣言しに行っていた。
「わたくし、もうおひるねしません」
「よー、ねない!」
「眠くなったら言ってくださいね」
「へいきです!」
「だいじょぶ!」
自信満々の二人に不安しかない。
朝ご飯が終わって二人仲良く遊び始めたのを確認して、私はお兄ちゃんと私の部屋に戻った。養蜂という新しい単語を覚えたので養蜂が何たるものなのか書庫から借りて来た辞書と図鑑で調べてみる。
「ミツバチをすばこで育てる……こんな仕事もあるんだね」
「蜂蜜を作る以外に、農家にミツバチを貸し出して受粉の手伝いをさせてるんだってね。僕も知らなかったよ」
受粉のために蜂を貸し出す方が養蜂家の収入になっているようだが、そもそもルンダール領には農作物や薬草を小屋で栽培したり、温室で栽培したりしている農家の方が少ない。
そのせいで養蜂家は儲けが少なくてそれだけで食べていけない状況にあるようなのだ。私たちが巣箱を借りた養蜂家も農家と兼業でやっていた。
「温室を作るせつびがないって、ビョルンさんは言ってたよね」
「ルンダール領に温室のある農家が増えたら、季節を関係なくマンドラゴラを育てられるようになるけど、温室の維持にはお金がかかるからなぁ」
二人で調べながら話しているとお昼ご飯の時間になった。
食卓に着いて、エディトちゃんのお乳をあげ終わったカミラ先生が席に着くと全員で食べ始める。どんなに忙しくても食事の時間とお茶の時間は、カミラ先生もビョルンさんもカスパルさんもブレンダさんも同席してくれた。
お兄ちゃんとファンヌとリーサさんと私だけで食べていた時代が遠い昔のように思えていたが、そのときの私はそもそも自分が7年しか生きていないことなど自分中心だったので考えもしていなかった。
昼食を食べ終えて子ども部屋に帰ったあたりからヨアキムくんとファンヌの様子がおかしくなってきた。目が虚ろで一点をじーっと見つめていたり、頭がぐらぐらしていたりする。
これは無理なのではないかと私が声をかけようとするのを、リーサさんが止めた。
リーサさんはエディトちゃんのために床に敷物を敷いてその上にうつぶせに寝かせる。首の据わったエディトちゃんはその状態だと頭と手足を持ち上げてしばらく遊ぶことができた。
絵本を持って読みだすリーサさんの元にふらふらとファンヌとヨアキムくんも寄って来る。絵本が三冊目に入ったときには二人は敷物の上で潰れて眠っていた。
「無理をするのはよくありませんからね」
エディトちゃんをベビーベッドに寝かせて、リーサさんがファンヌとヨアキムくんを順番にそれぞれのベッドに寝かせていく。どれだけ言い聞かせてもファンヌもヨアキムくんも5歳と4歳の意地がある。絶対に聞かなかっただろうが、リーサさんはそこも含めて上手に事態を収拾させてくれた。
「さすがリーサさん」
いつから見ていたのか子ども部屋に来ていたカスパルさんがリーサさんを褒め称えていた。褒められてもエディトちゃんが泣いたのでそちらの方にすぐ行ってしまうリーサさんだが、その頬が赤かったのを私は確かに見た。
「養蜂家の方が訪ねて来ているよ」
カスパルさんはそれを教えに来てくれていたようだ。
庭に会いに行けば巣箱を貸してくれた養蜂家の男性が帽子を取って頭を下げた。
「ミツバチをお借りできてとても助かっています」
「ありがとうございます」
お兄ちゃんとお礼を言えば養蜂家の男性は困った顔で相談して来た。
「蜂蜜は庶民には売れ行きが悪く、貴族でも一部のものしか使いません。イデオン様は向日葵駝鳥の種の使い道を考えてくださったと聞きます。何か使い道がないものでしょうか?」
「使い道ですか……」
「貴族に売るためには直接では売れないため問屋に買いたたかれて値段が下がってしまうのです」
他の養蜂家も蜂蜜を直接売れる場所を求めていると訴えられて私が浮かんだのは、シャンプーと石鹸だった。向日葵駝鳥の種から絞った油で作ったシャンプーと石鹸に今以上に付加価値がつけられないものか。それが蜂蜜と結びつかないかを考えたのだ。
「しらべてみます」
いい返事を養蜂家の男性にしてあげたくて、私は巣箱を取りに来るまでに蜂蜜の大幅な使い道を考えることにした。
書庫に行ってシャンプーの作り方を調べても石鹸の作り方は載っていたのに載っている本がない。
難しい顔で私が考えているとお兄ちゃんが悪戯っぽく微笑んだ。
「家出しようか?」
「家出?」
そして、私はお兄ちゃんに抱っこされてオースルンド領の領主のお屋敷を訪ねることになる。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。