18.罠にかけられた私
青花の種を配って数日後に同級生の女の子から「青花とひまわりだちょうの育て方がよく分からないから教えてほしい」とお願いをされて、私はお兄ちゃんと一緒にその子の家に行っていた。
植えられた青花は芽が出て問題がなさそうだし、向日葵駝鳥も柵の中で暴れ回って身は育ちが良くないかもしれないが種は問題なく取れそうだった。
「身の育ちをもう少し良くしたくて」
「ホースに穴を開けて水を撒く方法もありますよ」
「身も売れるようになればかなり家計が助かりますからね」
お兄ちゃんと女の子のお父さんが話している間に、私は女の子に用水路の鱗草も見て欲しいと言われてそちらに方に向かっていた。なぜかきょろきょろと周囲を見回す女の子の態度がおかしいとそのときに気付ければ良かったのだが、私もお兄ちゃんも薬草のことになるとそればかりに頭が行ってしまう。気付かないまま薬草のことだけを考えていた。
「日向ではうろこ草がよく育つんだけど、ひかげに流れて行っちゃうこともあって」
「根がはりにくいようすいろなのかな?」
話しながら辿り着いた用水路は水が流れているので渡る風が涼しくて私は息をつく。そこに全く知らない男性が私を待っているのに、鱗草に夢中の私はすぐには気付かなかった。
「ごめんなさい、イデオンくん」
どういうことか女の子を振り返ると、目に涙をいっぱい溜めている。逃げなければいけない状況だと分かったときには私は男性に担ぎ上げられて近くに停めていた馬車に押し込められていた。
「お兄ちゃんー!」
助けを求めようとする口を手で押さえられて、息苦しくてもがくけれど少しも腕が緩まない。馬車はごとごととルンダール領の中心部を離れて寂れた屋敷に辿り着いた。
じたばたと暴れても抵抗できずに疲れ切った私が連れて来られたのは、埃臭い古い家具の置かれた応接室だった。ビョルンさんの診療所のようにバネが出ているソファがあるほどではないが、ソファもテーブルも建物も年季が入っていて改装された跡もない。
「こんなお屋敷に住むのは不本意なのよね。その子と婚約すればもう一度貴族として取り立ててもらえるんでしょう?」
応接室で待っていた女の子は私よりも年上に見えた。幼年学校の最上級生か、魔術学校に入学するくらいくらいだろうか。長い灰色の髪に灰色の目。どこかで見たことがあるような顔立ちをしている。憮然とした表情を私が来たのに合わせて笑顔にするけれど、きつい印象の目鼻立ちが全く隠せていない。お化粧もしているようだがその年でするには派手過ぎる気がする。
「私に用があってつれてきたのかもしれないけど、私はあなたに用なんてないですよ」
「そんな冷たいこと言わないでよ。あなたのせいでうちは大変なんだから」
「は? 私のせいで?」
嫌な予感がする。
身構えて扉の方に逃げようとする私を後ろにいる男性が止める。
立ち上がった女の子は声高々に名乗った。
「私はヘッダ・ニリアン。コーレ・ニリアンの孫よ」
つまり彼女はベンノ・ニリアンの娘ということになる。通りで見た顔だと思った。コーレ・ニリアンに彼女は似ていたのだ。
カミラ先生が妊娠しているのをいいことに使用人の休暇を取らせる法案に反対する貴族の署名を集めて決闘を申し込んだコーレ・ニリアン。代理として決闘に臨んだファンヌと助けに来たドラゴンさんのおかげでコーレ・ニリアンが実の兄であるお兄ちゃんのお祖父様とその妻のお祖母様の馬車に呪いをかけて殺したことが発覚して、コーレ・ニリアンの家系は全員貴族の地位をはく奪されて、全く事件に関わっていないコーレ・ニリアンの妹のデニース・ニリアンがニリアン家を継いだはずだった。
目の前にいるヘッダさんは貴族ではないということになる。それどころかお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様を殺した大罪人の孫で追放されてもおかしくない身なのだ。
「お祖父様は間違ったことをしたのかもしれないわ。でも、それにお父様も私も関係ないのに爵位を奪われてしまうなんて冗談じゃない。私と婚約してうちをもう一度豊かにしてくれるでしょう?」
じりじりと迫って来るヘッダさんに私は逃げようとしても後ろにドアを塞ぐように男性がいるので逃げきれない。
お兄ちゃん、助けて!
心の中で助けを呼んだところで、ぐいっと胸倉を掴まれた。
「イデオン!」
「おにいちゃ……!?」
私を呼ぶ安心する声にそちらを見ようとした瞬間、私の頬に柔らかい感触が触れた。何をされたのか分からないけれど、強烈に甘い香りがして頭がくらくらする。
頬にキスをされたのだと理解するまでに私は数秒かかった。
「イデオンから離れろ!」
「イデオン様は離れたくないかもしれないわ?」
何かがおかしい。
お兄ちゃんの元へ駆け寄りたいのに心とは真逆の行動を身体がする。私よりもずっと背の高い女の子に肩を抱き寄せられて私は笑っていた。
「お兄ちゃん、ごめんね。私、ヘッダさんとこんやくすることにしたんだ」
えええ!?
私の口は何を言っているんだ!?
お兄ちゃんを蔑むように見つめているこの顔は何をしているんだ!?
これが魅了の呪いなのかと実感して怖くて堪らないのに、私はお兄ちゃんに助けを求めることすらできない。
「良かったわ。これでうちも再建できる」
「イデオンに何をした?」
「イデオンくんの意志を尊重してくださるでしょう、お兄様?」
嫌だ。
こんなことは言いたくないと必死で止めようとするのに、私の口は勝手に喋り出す。
「コーレ・ニリアンとベンノさんはなんの関わりもなかったんだよ。父親のつみでばつを与えられるなんてひどいこと、お兄ちゃんも望んでないでしょう? 私だって両親にはつみがあるけど、ばつをうけていないどころか、ルンダール家のようしになれたんだし」
嘘だ!
そんなこと思ってない。
私の両親の犯した罪は許されないし、そのことで誰かが私を糾弾したとしたらそれを甘んじて受けようと私は決めていた。ふてぶてしく言う私が本当の私ではないことにお兄ちゃんだけには気付いて欲しかった。
「イデオン、魅了の呪いをかけられたんだね。帰ろう。呪いを解いてあげるから」
「いらないよ、お兄ちゃんなんて……」
言ってはいけない。
絶対に言いたくない言葉だった。
心と行動が乖離して、軋んで悲鳴を上げている。
私はお兄ちゃんがこんなにも大好きなのに、なんでこんな言葉を言わなければいけないのだろう。
「お兄ちゃんなんて、大嫌い!」
口にした瞬間、ぼろぼろと涙が堪えきれずに零れた。魔術で捻じ曲げられているとはいえ、私の心は何も変わっていない。お兄ちゃんが大好きなことも、お兄ちゃんと過ごした日々が何よりも大切なことも、何も変わらない。それなのに言いたくないことを言わされていて私の心は軋みを上げている。
嘲笑うような表情のままで涙を流す私をお兄ちゃんが抱き締めた。
「分かってる。イデオン、帰ろう」
「触るな! 私はここにいるんだ!」
「イデオン、すぐに呪いを解いてあげるからね」
抱き締められて暴れる私をお兄ちゃんは軽々と持ち上げた。抱き上げられてお兄ちゃんの匂いと暖かさに包まれて、ますます涙が止まらなくなる。
「ただで帰れると思ってるの?」
「帰れると思ってるよ」
私とお兄ちゃんを部屋に閉じ込めようと立ち塞がる男性の後ろから、飛び上がったファンヌがその脳天に薬草を叩く棒を叩き込んでいた。
「にぃさまをいじめるひとは、ゆるしませんわ!」
「この件については後々追及するよ。今はイデオンの処置が先だから帰るけど」
覚悟しておいてね。
そういうお兄ちゃんの横顔は酷く冷たく見えた。
馬車の中でも魅了の呪いが解けていなくて暴れる私の口から出る罵詈雑言も、お兄ちゃんは全く気にしていなかった。お屋敷に帰るとバスルームに直行して青花と向日葵駝鳥のシャンプーバーと石鹸でごしごしと洗われる。青花の浄化作用で呪いが洗い流されると、私はぐしゃぐしゃの泣き顔になっていた。
「ごめんなさい……あんなこと言うつもりはなかったんだ」
「分かってるよ。呪いをかけられたんだよね。本当に呪いは怖い」
だからこそ青花を入れた向日葵駝鳥の石鹸とシャンプーが売れると見込んでいたのだが、自分がこんな形で実験台になってしまうとは思わなかった。しかもお兄ちゃんにヘッダさんにほっぺたにキスをされたのを見られてしまった。
恥ずかしくて悔しくて泣く私をお兄ちゃんはバスタオルで包んで拭いて、服も着せてくれた。
「同級生の子はお姉さんがニリアン家の使用人として雇われていて、逆らったら職を失わせるって脅かされてたんだって」
「ニリアン家はもうベンノ・ニリアンのものじゃないのに?」
「貴族は全部同じに見えるんだよ」
元貴族だったからベンノ・ニリアンにもニリアン家への影響があるかもしれないと思い込んでしまった同級生の女の子家族は、ヘッダさんに従うしかなかった。
「お兄ちゃん、私が心にもないことを言っていると信じてくれてありがとう」
「イデオンがあんなこと僕に言わないって分かってるよ。それにしても、青花の石鹸とシャンプーバーがこんなところで役に立つとはね」
レイフ様の魔術具をすり替えたかもしれないベンノ・ニリアン。
その娘のヘッダさんも含めて私たちにはますます許せない存在となっていた。
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