14.疑惑の倉庫
縫物が苦手な乳母の代わりに洋服を作ってくれた。
食生活を改善してくれた。
薬草畑に連れて行って、薬草を育てる方法を教えてくれた。
たくさんの「なぜ?」「なに?」に真摯に答えてくれた。
抱っこして眠ってくれた。
本を読んでくれた。
お兄ちゃんが私に与えてくれたものは数限りない。それなのに、私は幼すぎて、お兄ちゃんにお返しをすることができずにいた。
スヴェンさんからもうすぐアンネリ様の命日だと聞いて、遺品をお兄ちゃんの手元に何か渡したいと思ったのは、お兄ちゃんに恩返しをしたい気持ちと、お兄ちゃんがアンネリ様を偲べるようにしたい気持ちがあった。
自分も魔術学校で勉強している学生なのに、お兄ちゃんは暇があると私に文字を教えてくれるようになった。手が小さすぎてペンがうまく握れなくて、文字を書くことは難しかったけれど、少しずつ自分で文字を読めるようになってきた。
初夏にアンネリ様は亡くなられたとスヴェンさんから聞いた。
もう「アンネリ」という文字を読める私は、屋敷の倉庫でその文字を探すつもりだった。幼い私は、どんなものが遺品として良いのか分からなかった。なので、私の持ち物に「イデオン」と名前が書いてあるように、アンネリ様の持ち物には「アンネリ」と名前が書いてあると思い込んだのだ。4歳なのだから自分を中心に考えても仕方がない。
お屋敷の離れの倉庫に行くだけでも、使用人の目を盗んで、脚元を這うようにして抜け出して、開かない重いドアを開いた隙にすり抜けて、大冒険だった。
倉庫に行けばアンネリ様のものが手に入る。
短絡的にそう考えてしまったのも、4歳児の浅知恵である。
倉庫にはしっかりと鍵がかけられていて、私は絶望でその場に崩れ落ちて泣きそうになっていた。運の悪いことに、足が大きくなって窮屈になっていた靴が、ちょうど破れてしまう。靴下に包まれた足の指が、かぱかぱと覗く状態で、歩いて部屋まで帰るのは困難だった。
「おにいちゃん……」
泣きたい気持ちになって、洟が垂れてくるのを、私は抑えきれなかった。
たくさん本を読んでもらって、知識もお兄ちゃんに分けてもらって、文字も少しは読めるようになったが、やはり私は力ない幼い4歳に過ぎない。
その現実を突き付けられて、部屋に戻ろうにもお屋敷の扉が閉まって重くて開けられず、倉庫の前で膝を抱えて泣いていると、背の高いお髭のセバスティアンさんが駆けて来てくれた。
「こんなところにいらっしゃったのですね」
「セバスティアンさん、どうして、ここに?」
「乳母のリーサさんがイデオン様がいなくなったとお探しでした。それをスヴェンから聞いたのです」
仕事の合間に抜け出して、セバスティアンさんは私を探しに走り回ってくれていたようだった。額に滲む汗が、私を一生懸命探してくれていたことを証明している。
このひとならば、信頼しても良い。
パーティーのときにも助けてくれたし、セバスティアンさんは味方と分かっている。安心して、私はここに来た事情をセバスティアンさんに話すことにした。
「アンネリさまのめいにちがちかいって、スヴェンさんからききました。あにうえは、いひんをもっていないと。なにかわたせたらとおもったのです」
「なんとお優しいお心をお持ちなのでしょう」
「こころだけでは、なにもできませんでした。そうこはあかないし、くつはやぶれてしまうし、とびらがおもくておへやにかえれないし」
考えるとあまりに情けなくて涙が出て来る私を、セバスティアンさんは「失礼いたします」と声をかけて抱き上げてくれた。爪先がかぱかぱと開くように破れてしまった靴も、抱き上げられれば気にならなくなる。
「靴は新しいものを準備させましょう。イデオン様とファンヌ様の衣服に関しては、旦那様も奥様も、気にかけるように言っておりました」
普段から着慣れていないと、社交界に連れ出されたときにもじもじしてしまうのが、両親は嫌だったようだ。体面のためとはいえ、服や靴に困らなくなるのは助かる。とはいえ、私は両親に気を許すつもりは全くなかった。
靴や服程度で懐柔される私ではない。
「寄り道をしても構いませんか?」
「だいじょうぶです」
セバスティアンさんに確認されて、私はこくりと頷く。連れて行かれたのは、使用人の住居のある棟だった。セバスティアンさんは執事として住み込みで働いているようだ。
部屋の前で待っていると、セバスティアンさんが小さなネックレスを持って戻って来た。
「ロケットペンダントと申しまして、ペンダントトップが開くようになっております」
「あけてもいいですか?」
「どうぞ」
開けてみるとロケットペンダントの中から、黒髪の細身の女性の立体映像が展開された。目を丸くしていると、セバスティアンさんが懐かしそうに目を細める。
「アンネリ様がお若い頃の立体映像で御座います。遺品が全て処分されてしまうのではないかと思って、一つだけ思い出に抜かせていただいたものです」
「だいじなものなのでは?」
「オリヴェル様の手に渡るのでしたら、わたくしが保管していた甲斐がありました」
セバスティアンさんは、アンネリ様が少女時代からお仕えしているのだという。この立体映像はセバスティアンさんにとっても大事な思い出に違いないのに、お兄ちゃんのためにくれると言ってくれている。
「ありがとうございます」
「さぁ、お部屋に戻りましょう」
セバスティアンさんに抱っこされて、私はその日の大冒険を終えた。
魔術学校から帰って来たお兄ちゃんは、私が破れた靴を履いているのに驚いていた。
「どうしよう、靴は縫えるかな?」
「おくつやおようふくは、くれるってセバスティアンさんがいってたよ」
「本当? 早く新しい靴が来るといいね」
私のものが充実するのを我がことのように喜んでくれるお兄ちゃんに、私はポケットからペンダントを取り出した。
「これ、セバスティアンさんが、くれたの」
「これは……母上」
ペンダントを開けてはっと息を飲んだお兄ちゃんの目が潤んで、涙が零れる。
「セバスティアンさんは僕に会うことを許されてないし、イデオンが行ってくれなければこれはもらえなかった。ありがとう、イデオン」
「おにいちゃん、おはなをかざろう」
「そうだね」
涙を拭いて、満面の笑顔でお兄ちゃんが私を抱き締めてくれる。抱き返すと、お兄ちゃんの胸は暖かかった。
ロケットペンダントをお兄ちゃんの部屋に置いて、庭でファンヌと私でお花を摘んでくる。ファンヌはタンポポを摘んで、私は庭師さんにお願いして白い春薔薇を切ってもらった。
戻ってくると、お兄ちゃんは花瓶がないのでコップに水を入れて待っていてくれた。
書庫の一角にロケットペンダントを置く場所を作って、その前に置いたコップに花を挿す。
「母は、緑の目だったんだ……もう覚えてなかった」
「おにいちゃんは、あおいおめめ」
「僕の目は、父に似たんだろうね」
もう面影も忘れかけていたというお兄ちゃん。
5歳のときに亡くなったのならば、もう7年も経っていることになる。4年しか生きていない私の人生の倍近い時間だ。
「アンネリさまだけで、おにいちゃんのおとうさまのいひん、わすれてた!」
命日も知らないが、お兄ちゃんには父親の遺品も必要だったはずである。それもアンネリ様の遺品と同じように、あの倉庫の中に入っているのだろうか。
いつかあの倉庫を開放して、お兄ちゃんに倉庫の中のもの全てを渡したい。そうするためには、お兄ちゃんがルンダール家の当主になるか、私かファンヌがルンダール家の当主になるしかない。
それにはまだまだ時間が必要だ。その間に、両親に倉庫の遺品を処分されないようにするにはどうすればいいのか。
「そうこ……どうすればいいのかな」
「自分の罪の証があるなら、簡単には手放さないと思うけど」
相談してみると、お兄ちゃんも私と同じことを考えていたようだ。
呪いをかけた証拠があの倉庫の中にあるのならば、外に流出してしまえば、それを暴かれるかもしれない。
「呪いの魔術の痕跡はずっと残る」
あの倉庫の中が暴かれるとき。それが両親の罪が発覚するときなのかもしれないと、そのときの私は思っていた。
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