16.書き直された手紙とそのお返事
カスパルさんとブレンダさんは絶好調だった。
二人も向日葵駝鳥の種から絞った油に青花を使った石鹸とシャンプーバーを使い始めたのだが、翌朝から溌溂としていた。
「魔力が研ぎ澄まされてるのが分かる! いつもより良い結界が張れそう」
「魔力が上がってる! これならブレンダの結界も吹っ飛ばせそうだ」
「やる気?」
「相手をしてやらなくもないよ?」
「それはこっちのセリフじゃない?」
兄弟喧嘩が起きそうな気配にリーサさんが割って入る。
「そろそろ、勉強の時間なのですが、今日はカスパル様と二人で話をさせてもらっていいでしょうか?」
これは私とお兄ちゃんも席を外すべきかと子ども部屋から出ようとすると、リーサさんは私とお兄ちゃんを呼び止めた。
「オリヴェル様とイデオン様も同席してくださいませんか?」
こうして始まった夏休み最初の日のリーサさんの授業。リーサさんが取り出したのはカスパルさんからもらった手紙だった。確かにこれをブレンダさんに見られるのはカスパルさんの沽券に関わるから外してもらったのは正解だろう。
「オリヴェル様とイデオン様に教えてもらって、お手紙を読ませていただきました」
「僕の手紙を読んでくれたの?」
「正直、全然意味が分かりませんでした」
物凄く正直な感想をリーサさんは口にするけれど、私も分からなかったのだからそう思っても仕方がない。それが私が恋を知らないからならば仕方ないけれど、恋をするとあんなに格好つけた手紙を書いてしまうようになるのかと考えるだけで当時の私は恋というものを恐れてしまっていた。
「これ、もっとたんじゅんにできませんか?」
「単純にって、どういうこと?」
「もっと、ストレートに『好き』とか『大好き』じゃだめなんですか?」
「そんな情緒のない」
情緒がないって言われても。
「ねぇ、お兄ちゃん、きぞくはこういうてがみを書くのがふつうなの?」
「いや、叔母上もビョルンさんもそんなことしなかったし、ストレートに告白してた気がするんだけど……」
こそこそとお兄ちゃんと話しているとカスパルさんは沈痛な面持ちで手紙を手に取った。
「僕の気持ちが伝わらなかったのは分かったよ……とんだ道化だな」
自嘲気味に呟くカスパルさんにリーサさんが穏やかに問いかける。
「わたくしの分かる言葉で書いてはいただけませんか?」
「リーサさんの分かる言葉で?」
「イデオン様の言われるような、もっとストレートな……」
頬を真っ赤に染めながら言うリーサさんにカスパルさんもこくりと喉を鳴らして、勉強用のノートに文字列を書き始めた。
私はあなたのことをとても美しいと思っています。
それは姿形だけでなく、子どもたちに接する一貫した態度や子どもたちに見せる優しい眼差しを見てのことです。
私の周囲の女性はオースルンド領の領主の息子ということで、地位ばかり気にして私の本当の姿を見てはくれませんでした。
あなたならば私の本当の姿を見てくれるのではないかと思っています。
どうか、結婚を前提にお付き合いをしてください。
読める!
しかも、意味が分かる!
書き直された手紙をノートを破ってカスパルさんがリーサさんに渡す。前の難解な暗号文のような手紙はくしゃくしゃにしてカスパルさんのスラックスのポケットに突っ込まれた。
「わたくしのような身分の者がオースルンド領の領主の御子息とお付き合いするのは大変だと分かってくださいますか?」
「僕の全てを以て、あなたを守ります」
「エディト様もまだ幼い。ファンヌ様やヨアキム様にもまだ乳母は必要です。お二人が幼年学校に入る年まで待っていただけますか?」
「も、もちろん!」
それは最高に良い返事だった。
私にとっては母親代わりでずっと面倒をみてくれたリーサさんが、カスパルさんのことを信頼してお付き合いをする気になっている。ファンヌとヨアキムくんが幼年学校に入るまでにはまだ時間が必要だが、それを待ってくれるならばと快い返事をした。
「カスパル叔父上、リーサさんを幸せにしないと許しませんよ!」
「私も、ゆるしません!」
私たち二人に言い聞かされてもカスパルさんは完全に浮かれている様子だった。これは大事なことなのでカミラ先生とビョルンさんとブレンダさんにも報告しておかなければいけない。
執務室に向かおうとする私とお兄ちゃんにリーサさんも付いてくる。
「わたくしが決めたことです。わたくしの口からきちんと報告致します」
そのことでどれだけ叱責されても、非難されても立ち向かう覚悟がある。そう言ったリーサさんだからこそカスパルさんも心を奪われたのだろう。カスパルさんも一緒になって執務室の扉を叩いた。
中に入ると大急ぎで進められている向日葵駝鳥と青花の石鹸とシャンプーバー製造工場の件で執務室は大忙しだった。
「お忙しい中申し訳ありません。カミラ様、わたくしはカスパル様に申し込まれた交際を、ファンヌ様とヨアキム様が幼年学校に入学した後にお受けすることに致しました」
「姉上、そういうことになったんだ」
「カスパル、何、リーサさんに全部言わせてるのよ!」
凛と顔を上げて伝えるリーサさんの目に迷いはない。椅子から立ち上がったカミラ先生がリーサさんの手を取った。
「あなたがどういう人間か、これまでの付き合いで私はよく知っています。足りないところもある弟ですが、どうかよろしくお願いいたします」
「カミラ様、わたくしに頭を下げてはいけません」
「いいえ、あなたもカスパルと交際するのならいずれオースルンドの家に入る方です。これからも今まで以上によろしくお願いしますね」
カミラ先生の優しい言葉にリーサさんが涙ぐんでいる。私もこの感動の場面に涙ぐんでお兄ちゃんの脚にしがみ付いた。
好きなひととしか結婚はしない。それを貫いてきたカミラ先生がカスパルさんとリーサさんの交際を反対するはずがないと思っていたけれど、こうやって纏まってしまうと本当に安心する。まだ交際をするという約束だけで始まってもいないのだが、カミラ先生が認めたということはカスパルさんはそれまでの時間を待つというつもりなのだろう。
リーサさんとカスパルさんが子ども部屋に戻るときに私はそっとカスパルさんのポケットからくしゃくしゃの手紙を引き抜いた。気付かないまま執務室から出て行ったカスパルさんに、残った私はカミラ先生とビョルンさんとブレンダさんに美しい縁取りのされた便箋を広げて見せた。
手紙という私的なものを晒すのはいけないと分かっていてカスパルさんには申し訳なかったが、どうしても聞きたいことがあったのだ。
「きぞくは、好きなひとができたらこんなおてがみを書かなければいけないのですか?」
これが貴族の嗜みだとすれば、私は書ける気がしない。結婚も恋愛も程遠いものだと感じてはいるが、貴族がどうやって気持ちを伝えあっているのか、これが正解なのか聞いておきたかったのだ。
興味津々で便箋を覗き込んだブレンダさんがまず吹き出し、ビョルンさんが目を丸くする。カミラ先生は沈痛な面持ちで額に手をやっていた。
「何これ! カスパル、めちゃくちゃ空回ってる! おかしい!」
げらげらと笑うブレンダさんには後で口止めをしておかなければいけない気がしていた。
「こういう詩的な表現を好む貴族がいるのも否めませんが……こういうのは一般的ではないですね。一昔前にオースルンドでは詩で求愛したものですが、今ではそれもなくなっていますね」
「ルンダールでは歌で求愛したと聞きますね。……カスパルは何を考えていたのでしょう……これがカッコイイと思ったのでしょうか」
苦笑しているビョルンさんと頭を抱えるカミラ先生に、私はこれが普通ではないのだと理解して胸を撫で下ろした。
「一昔前の詩人でもこんなこと書かないわよ」
ブレンダさんはひたすら笑っていて呼吸困難になりそうな気配だ。
便箋を丁寧に折りたたんで私は肩掛けのバッグの中にしまった。
廊下を歩いてお兄ちゃんと部屋に帰る途中にカスパルさんに出会う。カスパルさんは床を気にしているようだった。
「どうしたんですか?」
「リーサさんに送った手紙を落としてしまったみたいなんだよ」
「あ……こ、これ、落ちてたから拾っておきました」
肩掛けのバッグから取り出してカスパルさんに渡すとパッと明るい笑顔になる。
「良かった、ブレンダに見られたらなんて言われたか。ありがとう」
「ど、どどどど、どういたしまして」
ブレンダさんにもカミラ先生にもビョルンさんにも見せて意見を聞いた後だなんて言えるはずもなく私は挙動不審になりながらお兄ちゃんの脚にしがみ付いた。お兄ちゃんの顔を見上げると指を唇に当てている。
「絶対内緒だね」
「ないしょにしようね」
その後ブレンダさんがカスパルさんを見て盛大に吹き出すのも、私とお兄ちゃんは知らないふりをしておくことにした。
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