13.ルンダール領の現状を知る
初夏になって薬草畑の世話に出るとまだ朝は涼しいのだがそれでも汗だくになってしまう。泥と汗で汚れた体をシャワーで清めて冷やしてから学校に行く季節になった。
シャンプーのポンプを押して私は中身が出てこないことに気付いてくるくると蓋を回してボトルを開けた。こういうときはちょっとだけ中に水を入れて緩く回して頭にかければ使えるということは分かっている。それで自分の頭は洗えたのだが問題は順番を待っていてくれるお兄ちゃんだった。
7歳になってから夜のお風呂は相変わらずお兄ちゃんと一緒に入っていたが、朝や昼間に浴びるシャワーは自分だけで入っている。明るいうちはバスルームも怖くないし、洗う練習もしなければいけないと思っていたのだ。
バスルームから出て服を着て髪を拭きながらお兄ちゃんに報告する。
「シャンプーもうなかったよ」
「あ、そうなの? 予備があったかな」
予備のシャンプーを探していたお兄ちゃんは結局見つからず、その朝は子ども部屋についている小さなバスルームからシャンプーを借りて済ませた。
髪を拭きながらバスルームから出て来たお兄ちゃんに私は違和感を覚える。いつもと香りが違うのだ。
「お兄ちゃん、せっけんの匂いがするよ」
「子ども部屋のシャンプーは石鹸の香りだったみたい」
大人用のシャンプーは爽やかな柑橘系の匂いがするが、子ども部屋のシャンプーは石鹸の独特の匂いがした。
「シャンプー……シャンプーって何でできてるの?」
「石鹸と成分は同じだと思うけど……」
「せっけんって、何でできてるの?」
気になることはすぐに調べる。それがお兄ちゃんと私の日常になっていた。書庫に駆け込むと管理人さんが声をかけてくれる。
「朝からお勉強ですか?」
「知りたいことがあって」
答えて書庫を探して辿り着いた石鹸の作り方。
「オイルと苛性ソーダ……お好みで製油を加えてだって」
「かせいソーダってなぁに?」
「劇薬みたいだから僕たちには使えないだろうね」
オイルと言われて私が浮かんだのは去年畑で育てた向日葵駝鳥のことである。向日葵駝鳥の種から絞った油は魔術を高めるのに用いられる。昨年の保育所との合同バザーで種を色んな農家に売ったから、今年は幼年学校に通う子どもたちの家で向日葵駝鳥がたくさん育てられていることだろう。
苛性ソーダは劇薬らしいので私やお兄ちゃんには扱わせてもらえないだろうが、向日葵駝鳥の油で作ったシャンプーや石鹸は売れるのではないだろうか。特に魔術師である貴族たちの間で大流行しそうな気がしていた。
「ひまわりだちょうのオイルでせっけんを作るのはどうかな?」
「苛性ソーダの扱いさえ間違わなければ難しくないみたいだよ」
ルンダール家にも向日葵駝鳥の種を油に加工する施設がなかった。個々の農家にも当然ないだろう。加工する段階でお金を取られるくらいならば種のままで売ってしまおうとする農家も多いかもしれない。
「うろこ草のときも思ったんだけど、広めるだけじゃだめなんだね」
「その後の加工方法まできちんと伝えないと農家への収入は結局少ししか増えないよね」
「せっけん作りのレシピを公開出来たらいいんじゃないかな」
油にしてもらう手間賃はかかるかもしれないが、種のまま売るよりも石鹸やシャンプーになっていた方が向日葵駝鳥の種の付加価値は上がる。それで農家が豊かになればルンダール領の再建にも一歩近付く。
話していると登校しなければいけない時間になって私とお兄ちゃんは急いで準備をして移転の魔術で飛んだ。ハグをしてお兄ちゃんに「行ってきます」とするといつもと違う香りにどきどきしてしまう。
ほっぺたが熱くなる意味をそのときの私は知らない。
ふらふらと教室に入るとダンくんとフレヤちゃんが慌てて近付いてきた。
「おねつ?」
「ねっちゅうしょうか?」
夏場に熱い場所にいすぎたりすると熱中症になるのは分かっていたから私は重々気を付けているし、熱中症にはなったことがない。
「ちがうよ。……二人ともねっちゅうしょうになったことがあるの?」
気になって聞いてみれば当然のように二人は答えた。
「夏は畑仕事するとねっちゅうしょうにもなるよ」
「外にいてもへやの中もあついんだもん」
そうか、ダンくんやフレヤちゃんの家は魔術で部屋の中を冷やしたり、頻繁にシャワーを浴びられたりする環境ではないのだ。私がそうだからどこの家でも同じようなものだと思い込んでいた。
7歳の認識は自分中心でどうしても甘いようだった。
「冷たくするまじゅつのかかったすいとうをダンくんにはあげたよね?」
「あれは助かってる。あれ以来ミカルもちゃんとぼうしをかぶるようになったし、たいちょうをくずさなくなった」
「フレヤちゃんの家にはそういうのはないの?」
「まじゅつのかかった道具は高いから」
決まった。
お誕生日お祝いが思いつかなくてフレヤちゃんにもダンくんにも何も上げていなかったけれど、これで何を買うかが決まった。
幼年学校が終わるとお兄ちゃんが迎えに来てくれる。移転の魔術でお屋敷まで飛ぶのはすぐなのだが、その日はお兄ちゃんに寄り道のお願いをした。
「フレヤちゃんとダンくんにおたんじょうびおいわいを買いたいんだ」
「どこに行きたいの? 指標のない場所だと歩いていくことになるけど」
学校やお屋敷のように指標となる魔術のかかっていない場所だと目標が定めづらいので移転の魔術は使えない。帽子を被った中の髪が汗で濡れるのを感じながら私はお兄ちゃんと手を繋いで雑貨を売っているお店まで歩いた。途中の焼き菓子のお店から流れる香ばしいバターの香りが鼻をくすぐるが、今日の目的はそっちではない。
お店に入って私は魔術のかかった帽子を手に取った。リボンのついた涼し気なつば広の帽子はフレヤちゃん、前にだけつばのあるいわゆるキャップと言われるカッコいい帽子はダンくんとミカルくんの分を選ぶ。
どちらも日陰を作るだけではなく周囲を涼しくする魔術がかかっているものだ。
それにフレヤちゃんにはシンプルな水筒もつけた。中に入れたものを冷たくするか、温かくするか選べる魔術がかかっている優れものだ。
「ちょっとふんぱつしちゃったけど、いいかな?」
「ダンくんとフレヤちゃんにでしょう? ファンヌとヨアキムくんもお世話になってるしいいと思うよ」
お財布を開けるとお兄ちゃんが代金の半額を払ってくれた。
「二人からのプレゼントってことにしよう」
「ありがとう、お兄ちゃん」
私のお財布の中身では心もとなかったのでお兄ちゃんの提案に甘えることにする。
フレヤちゃんもダンくんもミカルくんも暑い夏を乗り切って欲しい。
それと共に普通の農家の子どもたちの置かれている過酷な状況にも私は少しずつ気付き始めていた。
「フレヤちゃんもダンくんも、家は暑いし外も暑いって言ってた」
「魔術師の家じゃないと魔術で部屋は冷やせないからね」
「それでも、まじゅつのかかった道具は使えるよね。それも高いって言ってたけど」
ルンダール領では毎年何人が熱中症になって亡くなっているのだろう。そんな情報は入って来ないがこれもまた重大な問題なのではないだろうか。
領地を支えているのは領民に違いない。仕事をしなければ生きていけないけれど、その仕事でひとが死んでいるのならばルンダール領をあげてどうにかしなければいけない。
「魔術のかかった道具の値段が下がるのが一番いいんだろうけどね」
「そうなったら、みんなにいきわたるよね」
お兄ちゃんの言うことは最もなのだが、私の父のかけた重税のせいで魔術道具を作る工房も傾きかけていて安く商品を出すことは難しくなっているのが現状だった。
「どうすれば……」
答えの出ない問いかけは持ち帰ってカミラ先生とビョルンさんに相談することにして私たちはお屋敷に戻った。
お屋敷に遊びに来ていたフレヤちゃんに帽子と水筒、ダンくんとミカルくんにキャップを渡すと驚かれる。
「もらっていいの?」
「ファンヌもヨアキムくんもフレヤちゃんのこと大好きだし、いっぱい遊んでもらっているから」
「ありがとう、大事にするね」
喜んでくれているフレヤちゃんと対照的にダンくんは申し訳なさそうだった。
「イデオンにはしてもらってばかりな気がする」
「ダンくんは親友だもん。ミカルくんはファンヌとヨアキムくんの親友だし」
「そうか。ありがとう」
つば広の帽子を被ってポーズを取るフレヤちゃんをヨアキムくんとファンヌとミカルくんが拍手をして見惚れている。ダンくんとミカルくんも帽子を被って見てその涼しさに驚いていた。
「これ、いいな」
「みー、かっちょいい!」
魔術のかかった道具が一つあるだけでも熱中症の危険性が下がる。
これをどう広めていくか。それは結局どの職業も収入が上がってルンダール領自体が豊かになるしかないというのが答えな気がしていた。
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