僕の希望の光
オリヴェル視点の番外編です。
ちゃあこさんからリクエストいただきました。
お誕生日お祝いに、加筆したものを捧げさせていただきます。
物心ついたときには実の父は亡くなっていて、母は薄茶色の髪の男と再婚していた。その母も僕が5歳になった頃に亡くなって、義父はすぐに再婚して僕を子ども部屋から引きずり出して書庫に閉じ込めてしまった。
幼年学校は義務教育だから行くことを許されたけれど歩いて往復させられて貴族とも思えないいつ襲われても良いような扱いをされて、義父のことは旦那様と呼ぶように言われ、そのうちに僕のことを使用人さんたちが無視するようになった。
食事を運んでこられて食べていてもただただ寂しくて味がしない日々。
子ども部屋にはバスルームが付いていて毎日使わせてもらっていたのに、大人用のバスルームにはときどきしか入れてもらえず、義父が見ていないところでこっそり入るので上手に洗えもせずに幼年学校では臭くて汚い奴だと友達もできなかった。
寂しくて悲しくて、早く両親のところに連れて行って欲しいと願ったのは、そのときは本気だった。両親に会いたくて堪らなくて毎日泣いてばかりいた気がする。
幼年学校卒業の年に貴族の絶対条件である魔術師となるための魔術学校に通わせてもらえないかもしれないと気付いた後では、僕には絶望しかなかった。
そんなときに、小さな男の子が廊下を歩いてくるのを見た。
旦那様と奥様の間に産まれたイデオンだとすぐに分かった。旦那様に似た薄茶色の髪だが顔はとても愛らしくあどけない。
「どうしたの? お部屋から出てきちゃったの?」
「だぁれ?」
「君はイデオンだね。生まれたときに会ったけど、こんなに大きくなって。僕はオリヴェル、君のお兄ちゃんだよ」
ここから全てが始まった。
オムツが濡れてお腹を空かせているイデオンを抱っこして子ども部屋に行く間、僕はずっとイデオンのことを考えていた。こんなに小さくて無垢なのだ。味方に付けようとすればできないことはないかもしれない。
最初は醜い打算だったのだ。
旦那様と奥様に言われて僕に話しかける相手なんていなかったから、誰かと話せるだけで嬉しくてたまらない。イデオンが一緒にいると乳母のリーサさんも厨房のスヴェンさんも執事のセバスティアンさんも僕の味方だと分かった。
イデオンがいなければ分からなかったこと。
「にーた、すち」
「イデオンは僕が好き?」
「ん、すち!」
打算のつもりだったのに、僕はすっかりイデオンの虜になっていた。
小さいながらに僕の言うことをよく聞いて覚えて実践する。イデオンとファンヌと出会ってから僕は裏庭に薬草畑を作ることに成功した。旦那様と奥様はイデオンに魔術を教える代わりに魔術学校に行って良いなどという無理難題を押し付けたけれど、幼い頃に無理やり魔術を覚えても暴走させて命が危なくなるかもしれない。
僕はイデオンをそんな目に遭わせたくなかったのでどれだけ叱責されてもイデオンには魔術を教える気はなかった。
イデオンが熱を出しても無関心な旦那様と奥様に腹を立てたこともある。
イデオンもファンヌもこんなに可愛いのになんで愛さないのか。愛さないからこそ僕の入る隙があったのだけれど、それにしてもイデオンとファンヌの扱いはひどすぎた。
三食同じようなものを食べさせられて、おやつも硬い乾パンを齧って舐めてミルクに付けて食べるだけ。
食事を変えてもらって、毎日薬草畑に連れ出すようになってイデオンとファンヌの顔色は明らかに良くなった。僕もついでに食事が充実してシャワーも子ども部屋の狭いバスタブだが自由に浴びられるようになって、いいこと尽くしだった。
「イデオン、僕が好き?」
「だいすち!」
何度でも聞いてしまう。
イデオンが笑顔で答えてくれる限り僕は殺されない。
僕にとってイデオンはたった一つの希望だった。
イデオンと同じ夢を見て自分が死ぬかもしれないと察したときにはものすごく怖かった。イデオンが思っているよりも僕はずっと臆病で寂しがりなのだ。
たった一人で死ぬことはなくイデオンが最後に間に合ってくれるのだけが救いだが、僕は死んでしまうのだと悟ってから僕の持てるものは全てイデオンに譲ろうと考えていた。
薬草畑も、書庫で培った僕の知識も、全てイデオンに捧げたい。
僕を最後まで見捨てずに探し出してくれて、僕の最後を看取ってくれるのはイデオンなのだと確信していた。
不治の病だと吹聴されて部屋に閉じ込められ、14歳のときに旦那様に馬車に乗せられて下町に捨てられた。
「戻ってきたら命はないものと思え」
これで僕は死んでしまうのかと呆然としたが、ギリギリのところで持ち出せた薬草を薬草市に売って稼いでいたお金と、イデオンがスヴェンさんを通して薬草を売って稼いでくれたお金、イデオンの収穫した薬草があったので、安宿に泊まることはできた。
バスルームはなく、お手洗いは共同で臭く、部屋もじめじめして質素だったが、天露をしのげる場所があっただけマシだと自分に言い聞かせていた。今までだって書庫に閉じ込められたり、酷い扱いを受けたりしてきてこんなことは慣れっこのはずだった。
それなのに怖くて、悔しくて涙が出た。
「イデオン、助けて……」
僕に頼れるのはイデオンだけだった。
一夜明けて薬草市に薬草を売りに行ったときにイデオンと会えたときには嬉しくて、助かったのだと実感した。イデオンはオースルンド領の叔母のカミラ様に連れられていた。
「イデオンは僕にとっては希望の光だったんだよ」
同じ部屋で眠ってしまったイデオンの髪を撫でながら僕はそっと伝える。
あれから怒涛のように日々は流れイデオンとファンヌは叔母上の力を借りて旦那様と奥様を断罪することに成功してしまったし、僕は正当なルンダールの後継者としてお屋敷で大事にされている。
全てがイデオンのおかげだった。
「初めは打算だったけど、僕にはイデオンが可愛くてならない」
味方に付ければ生きて行けるかもしれないと思った初対面。それからすぐに僕はイデオンが可愛くて愛しくて堪らなくなった。
拙い言葉で一生懸命気持ちを伝えようとするのも、僕の難しい言葉を説明してもらって理解しようとするのも、可愛くて可愛くてどうしようもない。
両親の件で僕は結婚する気が全くないのだけれど、将来イデオンが大きくなって結婚をすると言い出したらきっと僕は複雑な気持ちになってしまうだろう。
まだ7歳になったばかりのイデオン。
成人までには十一年もの年月がある。
「イデオンはどんな大人になるのかな?」
可愛くて小柄なイデオンが僕のように大柄で逞しくなるとは思えなかったけれど、小さくても愛らしいファンヌとよく似た顔立ちでもイデオンが強い心を持っていることは分かっていた。
家族で行った海も、ダンくんと行った海も、ヨアキムくんとファンヌと行った動物園も、両親のお墓参りも、イデオンがいなかったら何も実現しなかった。
当主として仕事をしようとする僕が無理をしていた、早く大人にならなくて良いと泣いてくれたときにはあまりの可愛さに僕まで泣きそうになってしまった。幼いイデオンは幼いなりに必死に僕のことを考えて、カスパル叔父上とブレンダ叔母上を呼んで僕が当主の仕事をしなくて良くしてくれた。
実のところ、当主の仕事を始めていたら、僕はそのまま研究課程を目指すことはなかったのではないかと自覚はしている。
自分のことよりも僕のことを考えてくれるイデオン。
生きていて楽しいと思えたのもイデオンと出会ってからだった。出会っていなければ寂しくてつらくて両親のもとに行きたいと願って、義父に捨てられた時点で僕は人生を諦めていただろう。
僕の唯一の希望の光で、愛しく可愛いイデオン。
14歳で死ぬのだと察していた僕の運命を変えたのは、イデオンに違いなかった。
泣き虫で甘えっ子だけれど、僕にしか抱っこされなくて、僕だけを特別に思ってくれて、時々驚くくらいの閃きと賢さと勇気を発揮する。
「大好きだよ、イデオン」
眠るイデオンの汗ばんだ額にキスをする。
健やかな寝息を聞いていると僕もよく眠れそうな気になっていた。
いつか大きくなってイデオンが僕を置いて行くことがあっても、僕がイデオンを可愛いと思う気持ちは変わらない。
僕に希望を与えてくれた感謝と共に。
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