39.お兄ちゃんとの言い争い
魔術学校のカリキュラムの中に鱗草の加工方法を入れること、今ある薬草の加工工房に鱗草の加工方法を伝授することなど、鱗草に関する対策はカミラ先生が考えて取ってくれていた。
魔術の才能のない子どもや才能があっても魔術学校に進学できるだけの資金のない子どもたちは幼年学校を出てからすぐに工房に入って徒弟として修業を積む。技術を得て一人前になって働けるようになるまで育ててくれる工房なら良いのだが、徒弟に技術を教えずに下働きとして使い潰してしまう工房も少なくないと聞く。
魔術学校に進めない子どもたちも成人年齢近くまでは学べる場をルンダールは必要としていた。
分かっていても私は6歳。実際に政策を打ち立てて施設や設備や法制度を作るのはカミラ先生の仕事だ。
フレヤちゃんのお姉さんが通っている工房はきちんと技術を教えてくれる工房のようで安心したが、それでも魔術学校以外の高等学校があれば12歳から専門の技術だけを働きながら学ぶという形ではなく、もっと広い知識を得ることができて自分により合った職業を選ぶ機会も生まれるのではないかというのがずっと気になっていたのだ。
「びゃうん……」
「どうしたの?」
足元の南瓜頭犬が鳴きながら頭を擦り付けて来たので、私はその頭を撫でた。幼年学校が終わってお兄ちゃんよりも先に家に帰っていて、まだお兄ちゃんは帰って来ていない。子ども部屋にはヨアキムくんとファンヌがいてリンゴちゃんと遊んでいるが、私はお兄ちゃんと私の部屋で宿題をしながらルンダール領の今後のことについて考えていた。
気を引くことに成功した南瓜頭犬は私の先に立って歩き出す。気が付けばその背中に大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラが跨って乗っていた。
リンゴちゃんに乗るファンヌとヨアキムくんみたいだと思いながら南瓜頭犬に乗った大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラに付いていくと、裏庭の薬草畑に辿り着く。ネットの張られたスイカ猫と南瓜頭犬の畑の前で南瓜頭犬が鳴き、マンドラゴラの畝の前でマンドラゴラたちが踊っている。
「もしかして、収穫しろってこと?」
「びゃうん!」
「びょえ!」
「ぎょえ!」
私一人ではネットは外せないので先にマンドラゴラの畝で呼んでみると、土の中からマンドラゴラが数匹出てきて私の前に立った。
「なんで急に収穫して欲しくなったんだろう……」
不思議に思って首を傾げながらマンドラゴラたちを洗って泥を落としていると、お兄ちゃんがすごい勢いで裏庭の薬草畑に走り込んで来た。何事かと思えば汗をかきながらお兄ちゃんが告げる。
「叔母上の調子が悪くなって、今ビョルンさんが診てる。薬草を届けられたらと思って、こっちに来たんだけど……」
「え!? それで!?」
カミラ先生が屋敷内の執務室で調子を悪くして休んでいるのを南瓜頭犬が嗅ぎつけて、私をマンドラゴラと南瓜頭犬とスイカ猫の畑に案内したのだ。
「マンドラゴラとカボチャあたまいぬにみちびかれて、ここにきたの。しゅうかくしろっていってるみたいで」
「南瓜頭犬とスイカ猫も収穫して持って行こう」
どれが利くかは専門医のビョルンさんしか分からない。万全の備えをしてマンドラゴラ数匹と南瓜頭犬とスイカ猫を引き連れて、私とお兄ちゃんはカミラ先生の部屋に行った。ベッドで休んでいるカミラ先生の傍でビョルンさんが狼狽えている。
「カミラ様、大丈夫ですからね。私が必ず支えますから」
あ、これはだめかもしれない。
カミラ先生の病状が深刻なのではなくてビョルンさんが動揺しすぎてカミラ先生を落ち着いて診られない可能性がある。
「おにいちゃん、エレンさんをよぼう」
「分かった、移転の魔術で行って来るよ」
素早く動いたお兄ちゃんは街の診療所からエレンさんを呼んできた。エレンさんはカミラ先生の診察をして、志願して来たマンドラゴラの中から蕪マンドラゴラとスイカ猫を指名した。
「お腹が張っている状態ですね。早産の危険性があるからしばらく休みましょう。それと軽度の貧血もあるようですから、蕪マンドラゴラとスイカ猫で栄養を取りましょう」
「カミラ様……!」
「ビョルン先生は落ち着いてください。仕事が忙しかったのでしょう。過労ですね。カミラ様でなければ決定が出せないもの以外は今後仕事は控えて、ビョルン先生に任せてください」
「わ、私、頑張ります」
泣き出しそうになっているビョルンさんと顔色は悪いながらに冷静にエレンさんの診断を聞いているカミラ先生。
子どもを産むのは命がけだということをダンくんから聞いたミカルくんの出産のときの話で知っていたが、こんなことが急に起こるとは思わなかった。
マンドラゴラの残りはエレンさんに使ってもらうように言って、私の南瓜頭犬と蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラを順番に抱き上げる。
「きづいて、おしえてくれてありがとう。きょうはたすかったよ」
「イデオンが先に準備してくれてたおかげでスムーズに助けに行けたよ」
「きづいてくれたのは、カボチャあたまいぬとマンドラゴラたちなんだ」
部屋にいたら急に南瓜頭犬が鳴いて、マンドラゴラが南瓜頭犬に跨って薬草畑まで誘導してくれた。意味は分からなかったけれどマンドラゴラと南瓜頭犬とスイカ猫を収穫しろということなのだろうというのは分かったからそうしていたら、お兄ちゃんが現れた。
ことの流れを話すとお兄ちゃんは驚いていた。
「マンドラゴラたちはお見通しなんだね」
部屋に帰る途中に子ども部屋に寄って、ファンヌとヨアキムくんにもカミラ先生のことを伝えた。
「じつは、カミラせんせいがちょうしがわるくなって、しばらくおやすみするみたい」
「春から保育所建築に、雇用者の休暇の件に、忙しかったから、疲れが出たのかもしれないね」
話を聞いていたファンヌのポシェットから人参マンドラゴラが走り出る。嫌な予感がして素早く捕まえるともがいて頭の葉っぱを自分で千切ろうとしている。
「いいんだよ、ぎせいにならなくて! もうかぶマンドラゴラとスイカねこをとどけてきたから!」
「びょええええー!」
「にんじんさん、おちつくの!」
「にんじんたん!」
駆け寄って来たファンヌに確りと抱き締められて、ヨアキムくんにも止められて人参マンドラゴラはどうにか落ち着いたようだった。
よく考えてみればこの人参マンドラゴラはカミラ先生と初めて会ったときに持ってきてくれて、ファンヌにプレゼントしてくれた今まで飼っていたマンドラゴラの中でも一番の古参だ。カミラ先生を心配して頭の葉っぱを抜いたり、熱湯に飛び込んだりしないとも限らない。
実際に私が風邪を引いただけなのに私のジャガイモマンドラゴラは厨房で熱湯に飛び込んで私の栄養となることを選んでしまった。
「イデオン、考えたんだけどね」
部屋に戻ってから椅子に座っても落ち着かない私にお兄ちゃんが口を開く。
「僕ももうすぐ16歳でしょう? 研究課程に行きたいとは言っているけれど、いずれは当主にならなきゃいけない。イデオンやファンヌが当主になれる年になったら、譲りたいとは思っているんだけどね」
「おにいちゃんが、とうしゅさまをするの?」
「難しいかもしれないけれど、ビョルンさん一人じゃ心配でしょう?」
こういうときに私は何と言えばいいのか迷ってしまう。
魔術学校で勉強をしながら当主の仕事のお手伝いをするなんてお兄ちゃんにとって負担にならないだろうか。
しかし、ビョルンさんが主に当主代理の仕事をするというのは心配な点もあった。貴族たちからの無茶な要求もカミラ先生は絶対に受け入れない強さがあるが、ビョルンさんはそういう意味では非常に優しすぎるのだ。
まだ6歳だった私には上手な言葉が選べない。それでもそのときなりに最善の策を取ろうと必死だった。
「カミラせんせいは、はんたいするとおもう」
「そうだろうね。叔母上は僕が当主の仕事をするくらいなら復帰すると言いかねないね」
「でも、ビョルンさんひとりじゃしんぱいなのもほんとう」
お兄ちゃんには子どもでいられるうちは子どもでいて欲しい。5歳でアンネリ様が亡くなってからお兄ちゃんには子ども時代というものがなかった。それを取り戻すように今お兄ちゃんは私やファンヌやヨアキムくんと一緒に過ごし、カミラ先生とビョルンさんに守られて子ども時代を取り戻している。
そんな状態なのに当主としての仕事を始めてしまったら、ますますお兄ちゃんは早く大人にならなければいけないのではないだろうか。
「おにいちゃんは、まえにわたしにいそいでおとなにならなくていいっていったでしょう? おにいちゃんもだよ! おにいちゃんも、いそいでおとなにならなくていい!」
6歳の私からしてみれば15歳は想像がつかないほど大きいし大人なのだが、それでもお兄ちゃんは私たちと一緒に向日葵駝鳥を追いかけたり、南瓜頭犬やスイカ猫やマンドラゴラを追いかけたり、そういうのが似合っている。
「おにいちゃん、とうしゅのしごとをてつだっちゃだめだよ!」
「それなら誰が当主の仕事をするの?」
強く言ってしまった私にお兄ちゃんもいつになく強い口調で返す。
答えは出て来ない。
お兄ちゃんと初めて言い争ってしまったことが悲しくて、私は部屋から飛び出して走り出していた。
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