29.鱗草の活用法
セバスティアンさんにお願いして、ダンくんとミカルくんに案内されて来た川は、正確に言えば川ではなかった。水の通り道を石で固めて作った膝くらいの深さの用水路だった。
用水路に鱗草を植えたら良いと教えていたので、浅い流れの中で薄青く透ける鱗草がゆらゆらと揺れながら石の中に根を張っている。カミラ先生の執務室で聞いたことは心配だったが、せっかく遊ぶのだから楽しまなくてはもったいない。大事な話はお兄ちゃんと二人きりになってから話そうと決めて、私は遊び方をダンくんとミカルくんに習った。
「ここでくつをぬいで、みずぎだけになるんだ」
「みー、みじゅぎもってないの」
「ミカルはパンツな」
服の下に水着を着て準備をしてきた私たちは、用水路の前で服を脱いで水着だけになった。
「あそこにはしがあるだろ? そのかげになるところだと、おひさまもひどくないから、できるだけかげのなかであそぶんだ」
ダンくんの指さす先には用水路の上に建設された石の橋があった。陰になっている場所に入っていこうとして、ヨアキムくんが滑って転んで、手を繋いでいたファンヌが流されないようにしっかりと捕まえている。
「すべるからきをつけて」
「すべっちゃっちゃ」
「わたくしがおててをつないでるからへいき……ぎゃ!」
自信満々で脚を踏み出したファンヌも転んでいる。二人が流される前に捕まえてセバスティアンさんが確保してくれた。
「足元に藻が生えてて滑るんだね」
「もは、さかなのえさになるんだよ。ここ、あゆがつれるんだ」
「ダンくん釣りもするの?」
「とうちゃんといっしょに、ちょっとだけ」
深くない用水路だが鮎が釣れると聞いてお兄ちゃんは興味津々だった。
冷たい水の中に足を入れた私が滑らないように、お兄ちゃんが確りと手を握っていてくれる。橋の陰に入ってしゃがみ込んで身体を水の中に浸けると、冷たさが心地よくて私は身震いした。
「つめたいよ、おにいちゃん」
「海より冷たいね」
「そうなんだよな、うみはぬるくてびっくりした」
ダンくんはダンくんなりに海に驚きを感じていたようだった。
「鱗草も良く育ってるね。もうすぐ収穫できるんじゃない?」
「そうかな? ちょっとでもかねになるといいけど」
借金を抱えているダンくんの家は少しの収入でも求めている。鱗草は呪いや毒殺に対して、色を変えて反応するので貴族相手に身の安全を守るものとして売れそうだと私たちは考えていた。
「うろこくさ……そうか、うろこくさだ」
「イデオン?」
「おにいちゃん、あとではなすね」
カミラ先生の決闘に関する解決策を思い付いたような気がして、私はその後の川遊びはしっかりと楽しめた。ダンくんとミカルくんが持ってきていたバケツに、もう収穫して良い鱗草を摘んで入れていく。
川遊びを終えるとセバスティアンさんが持ってきてくれていたお弁当で、私たちはお昼ご飯にした。
すぐ近くにあるダンくんの家で着替えさせてもらって、ダンくんとミカルくんにお礼とさよならを言って、私たちはお屋敷に馬車で戻った。馬車の中で疲れ切っていたヨアキムくんが座ったまま寝そうになっている。ファンヌも眠たい目を擦っていた。二人が座席からずり落ちないようにセバスティアンさんが抱っこしてくれている。
お屋敷に帰るとファンヌとヨアキムくんは子ども部屋のベッドでお昼寝をする。その間に私はお兄ちゃんと部屋で話していた。
「おにいちゃんのおおおじさまが、カミラせんせいにけっとうするために、こくおうへいかにじきそしてるんだって」
「国王陛下に直訴? 叔母上の当主代理の座は国王陛下が認めたものなのに、それを覆すつもりなのかな」
「こくおうへいかはそんなことおゆるしにならないっていってたけど、どんなてをつかってくるかわからないから、ちょっとこわくて」
ダンくんと川遊びに行って良いかを聞きに行ったときに聞いた話を、お兄ちゃんに包み隠さず話していく。
相手はお兄ちゃんの母方の祖父母を呪い殺した疑惑のある相手なのだ。アンネリ様の毒殺にも関わっていないとは言い切れない。その点に関しては私の父親とコーレ・ニリアンの繋がりが分かれば確証が得られるのだが、カミラ先生もそれに気付いて調べてはいるだろう。
「イデオンのお父さんが大叔父上の税金の免除や、ルンダールの収益をそちらに流していた証拠が出れば、繋がりは間違いないだろうな」
「そうだとしても、25ねんいじょうもじぶんのつみをかくしてきたあいてだよ」
呪いの契約書すら馬車にかけたものしかなく、どの馬車か分からずに決定的な証拠とならない。それだけ慎重にことを進めている相手が、簡単に尻尾を出すとは思えなかった。
カミラ先生が当主代理になってから一年、ルンダール領は豊かになった。魔術師でなくても作れるマンドラゴラの栄養剤のレシピを開発して公開し、次は鱗草を用水路で育てることで農家の副収入を得られるようにして、最近は貴族の使用人の待遇改善にも乗り出している。
ルンダールの領民の支持は圧倒的にカミラ先生にあり、コーレ・ニリアンが出る幕はないがそれを厭うて貴族たちの中で反乱を起こす空気を作り出しているのだとすれば、面倒なことになる。
「本人は動かないかもしれない……決闘も代理を立てるかもしれないね」
「けっとうって、だいりをたてられるの!?」
「本人が戦えない場合には、その人物の勝敗に決して文句を言わないことを誓って代理を立てることがあるんだよ」
決闘は代理を立てられる。
それでビョルンさんはカミラ先生の代わりに戦うと言い出したのか。
「ビョルンさんがたたかうっていってた」
「えぇ!? それは無茶すぎるよ」
「そうだよね。それくらいなら……」
私の言葉の先をお兄ちゃんも気付いたようだった。二人の頭の中に浮かんだのは同じ人物だろう。誇らしげに菜切り包丁を掲げる小さな女の子、ファンヌ。ドラゴンの助けがあったとしてもファンヌはワイバーンを倒し、ミノタウロスを倒し、シードラゴンを倒している。
「いやいや、ファンヌはだめだよ」
「そうだよね」
冷静になったお兄ちゃんに言われて頷きはするものの、どうしてもファンヌが頭から離れない。私は話題を変えることにした。
「うろこくさがつかえないかなとおもって」
「鱗草を決闘に使うの?」
「カミラせんせいにいどむなら、おなかのあかちゃんをねらってくるにきまってるでしょう? だ、たい、だったっけ? そんなのろいがあるの?」
「堕胎の呪い!? そんな怖い言葉、どこで聞いたの?」
聞いていて意味が分からなかった単語を口にすると、さぁっとお兄ちゃんの顔色が変わった。どうやら私は恐ろしい単語を口にしてしまったようだ。
「堕胎っていうのは、赤ちゃんを殺すこと……産まないで流すことを言うんだ」
「え!? ビョルンさんがカミラせんせいに、だたいののろいがかけられるかもしれないっていってた」
単語の意味が分からなかったし、そのときは聞ける雰囲気ではなかったから聞かなかったが、堕胎とはお腹の赤ちゃんを流してしまう恐ろしい行為だと知ってしまった6歳の私は青ざめた。この日の恐怖は大きくなってからもしっかりと覚えている。
カミラ先生とビョルンさんは結婚して順調に赤ちゃんにも恵まれたのだ。そんな酷い呪いで赤ちゃんを失うくらいなら、ビョルンさんが自分が戦うと言うのも分かる。ビョルンさんが全く攻撃の魔術が使えなくて戦えないのに必死になっていた意味が分かった。
「のろいのまじゅつをそのばであんだら、たちあいのひとにもはっきりみえてしまって、とめられてはんそくでまけちゃうよね」
「そうだね。特に立ち合い人は魔術に詳しいひとたちだし、何か違反があればすぐに止められるように控えているからね」
「そしたら、しあいのまえにしこまれるか、それともまじゅつぐにしこんでくるかだとおもうんだ」
試合の前に仕込もうとするのは鱗草をカミラ先生が持っていれば、呪いに反応して色が変わるのですぐに分かる。試合中も呪いが発動しても鱗草を身に着けていれば浄化の力で色を変えながら中和できるかもしれない。
説明をするとお兄ちゃんは拙い私の話を纏めてくれる。
「色の変わった鱗草を立会人に見せれば、不正が分かるというわけか。すごいね、イデオン。それは叔母上の身も守れるし、不正も暴ける。呪いの出所を調べれば、二十五年前の事件にも行きつくかもしれないし」
もしかすると、それで全てが解決するかもしれない。
お兄ちゃんに言われて私はやっと安堵することができた。
「カミラせんせいになにかあったらどうしようってこわくて、いっしょうけんめいかんがえたの……」
「イデオン、ありがとう」
抱き締められて私は涙を堪えることなくお兄ちゃんにしがみ付いて泣いていた。
お兄ちゃんの母方の祖父母が呪われた件といい、堕胎という恐ろしい言葉を知ってしまったことといい、6歳の私にはショック過ぎる一日だったのだ。それをお兄ちゃんは優しく受け止めて、背中を撫でて私を宥めてくれた。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。