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中くらいの青春〜帰り道日記〜  作者: 明石 裕司
一章 六人の帰り道
11/45

10話 鈴音の一週間

 今回はかなり長めです。

 さかのぼること一週間ほど前。

 5月20日。


「ただいま~」


 鈴音は扉を開けた。

 最近、家に入るたびに足取りが少し重くなる。

 みんなと話しているから、いくらかまし、な気がするが。


「……今いないのかな」


 リビングからは何も聞こえてこない。

 普段ならばこの時間には家にいるのだが。


 仕方なく二階に上がり、ピアノのある部屋へと向かう。


 鈴音の母は、この場所でピアノ教室をやっている。

 その影響で鈴音も物心ついたときからピアノに触れてきた。

 それから十年以上、ほぼ毎日鈴音は練習を続けていた。


 いつものように椅子に座り、ふたを開ける。

 鈴音の家で長い間使われているグランドピアノだ。


 人差し指で一つの鍵盤を押す。

 わずかに鍵盤同士がこすれる音がした後、少し遅れて「ド」の音が響く。


 指を放しても、その音はまだ少しだけ響いていた。


 その音が聞こえなくなると、いよいよ、手を構える。

 軽く息を吸ってから、その曲を弾き始めた。


 今練習している曲はテンポが速く、さらに手の動かす量も多い。

 最初の一分ほどは大丈夫なのだが、それ以降は急に難易度が上がる。

 そして鈴音は、ここ数日、毎回そこで失敗していた。


 ダンッ!


「……あぁ、またやっちゃった!」


 これで一体何度目か。

 最近はどうもうまくいかない。


 だが諦めずにもう一度、失敗。

 もう一度、失敗。


 半ばヤケになりながらピアノをたたき続ける。


「もう、なんで! なんでできないの!」


 ストレスが溜まっているせいで、テンポを落とすなどといった基本的な練習をすること自体、鈴音は忘れかけていた。


 もう一度始めようとしたときだ。


「鈴音! ちょっと降りてきなさい!」


 すると、下から母の呼ぶ声がした。

 もはや練習とすら呼べないようなそれを中断すると、ドアから顔だけを出した。


「……なに?」


「いいから、ちょっと降りてきて!」


 部屋の明かりも消さず、鈴音は部屋を出た。



「鈴音、さっきの音は何?」


「別に、練習してただけだけど……」


「あれのどこが練習よ! あんなの、ただ適当に鍵盤を叩いてるだけじゃない!」


「そ、そんな言い方ないでしょ!」


 ついカッとなって言い返す。

 だが、母の言葉は図星だった。


「じゃあ、なんであんなに力んでたの?」


「そ、それは……」


 不意に、母の声に別の感情が含まれる。


「あなた、最近何かあった?」


「……」


 それも図星だった。

 後輩がまったく指示を聞いてくれないこと、ピアノの曲が思い通りにいかないことに、鈴音は悔しがり、そしてイラついていた。


「それはママには関係ないでしょ! ほっといてよ!」


 だからつい、声を張り上げてしまった。


 母は一瞬目を見開いたように見えたが、すぐに元に戻る。

 そこに、先ほどまであった心配するような感情は見て取れなくなっていた。


「……分かったわ。じゃあ何にも触れない」


 母はため息交じりにそう言ってきた。

 それで話は終わりだと思った鈴音は席を立つ。



()()()()()()()()()()()()()()()



「……え?」


 鈴音の足が止まる。

 一瞬、母の言っていることが理解できなかった。


「だから、ピアノ弾かなくてもいいから。あなた、ほっといてほしいんでしょ。ならいいわよ。でもその代わり、ピアノには触らせないわ」


 その言葉で、ようやく鈴音は母の言葉を理解した。

 きっと母のことだ。隠れて弾いていても見つかるだろう。

 ということは、ここからしばらく、ピアノに触ることはできない。


 それに鈴音は、ここまで怒った母を鈴音は一度も見たことがなかった。


 そう思った途端、目元が熱くなる。


「そ……そこまですることないじゃんかぁ……」


 先ほどまでの威勢は鈴音の中で消えてしまう。

 その代わり、胸に穴が開いてしまったかのような気分にさせられた。


 そんな鈴音の言葉に母は目もくれず、キッチンへと向かう。


 鈴音はさらに重くなった足取りで、自分の部屋へと向かい、夕食も食べず、そのまま眠りについた。



 

 翌日、気づけば昨日のことをずっと思い返していた。


(はぁ……あんな言い方しなければ……)


「鈴音、集中して!」


 同学年の人に言われて我に返る。


「あ、ごめん」


 今日の部活はずっとこんな調子だった。


 ここ一カ月ほど、先輩は自分たちの練習が中心になっていた。

 当然、質問すれば答えてくれるのだが、先輩たちの顔を見ていると、そんな気も失せてしまう。


 それに対して後輩たちはいつもいつもろくに練習もしない。

 注意しても返事すらしない。

 今も、基礎練習中に雑談してばかりだ。


「ほら、みんなちゃんと集中して」


「「「……はい」」」


 こんな風に、鈴音が何か言ってもダルそうな返事しかしない。

 吹奏楽部では「返事」などの当たり前のことを徹底しているはずなのに。


 基礎練習も終わり、一年生たちは自主練習になる。

 最初の一週間は教えていたが、今は一年生同士で教えあいながら練習している。


 三人は教室を出て、となりの準備室まで歩いて行った。


「鈴音、一年の様子見てくる」


 しばらくしてから、鈴音はそう言って教室を出た。

 そして、準備室の扉に手をかけた時だった。


「今日の鈴音先輩、ちょっとムカつく」


「分かる! だっていきなり『ちゃんと集中して』って、集中してなかったのは自分じゃん」


「それに、いっつも『返事して』って言ってるけど、あんなに声出すの恥ずかしいし」


「そもそも練習が面倒だって」


 その後聞こえてくる笑い声。


 ガラッ。


 突然、目の前で扉が開いた。


「あ、先輩……」


 扉を開けた後輩が気まずそうな顔をする。


「ど、どうしたの? 鈴音、練習見に来ただけだから、戻るね」


「ちょ、ちょっと、先輩……」


 後輩の言葉も聞かずに、鈴音は足早に教室に戻った。




 その後も、後輩たちの態度が戻ることはなかった。


 日に日に鈴音の顔には暗い色がにじむようになった。

 今は、誰かと話すことも億劫になっていた。


 毎日重い足取りで歩き、その足取りのまま家に帰る。

 ここ数日はあまり食事ものどを通らない。

 みんなで帰ることすら、今はしんどい。


 それでも、鈴音は必死で笑顔を作っていた。

 きっと、心配させてしまうから。

 自分が笑顔でいれば、きっとごまかせると思っていたから。

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