第32話 それでも救いたい
簒奪者。
そう伊庭は名乗った。
黒髪を肩口で切り揃えた、ともすれば女の子にも見えそうな少年は、魔的な赤い瞳を輝かせ転生者を救うと宣言した。
それはある種、英雄の語るような宣言であったが、その様子はまるで魔王のようだ。
髑髏で作られた杖も、その黒と紫の魔石がちりばめられた服の意匠も相まって邪悪な魔王に見える。
いや、正しくこいつは魔王だ。
なぜならば俺のような転生者が元の世界に戻るには、異世界から帰還するには、世界の危機が必要なのだ。それを俺たちの手で解決して初めて俺たちは元の世界に帰ることが出来る。
これを人為的にやろうというのだ。世界の危機を作る魔王。まさしく、この世界から平和を簒奪する者だ。
「さあ、キミもボクらの下へ来るんだ。帰ろう、一緒に日本へ」
そう手を差し出してくる。
その姿は確かに俺たちの身を、俺の身を案じている者の姿だった。
「ツカサ、さ、ま……」
「おい、どうすんだ。何の話をしてんだ」
シーラにはまったくわからない話だろう。
説明している暇もありはしない。
リリアが受けた惨状からして、こいつから目を離せばおそらく、俺以外は殺される。あそこまでリリアをぼこれるのならシーラなど瞬殺されるだろう。
それだけは避けなければならない。
「他に方法は、ないのか……」
「あ、もしかしてこの世界の人間に情でも移った? うーん、そういう人は何人もいるけど、無理だよ。ボクらが帰るにはこの方法しかない」
「本当にそうなのかよ!」
「そうさ。だって神様がそんな都合のいいものを用意するはずがない。ボクらにはわかっているだろう? これは神様に聞いた話さ」
「神に、だって……?」
「そうさ。まあ、もう殺したけど」
とんでもない話だ。
もしそうなら、こいつの力は紛れもなく魔王そのものじゃないか。
だが、同時に人間でもある。
リリアがボロボロにされているのはこれがあるのではないかと思った。なにせ、彼女は優しい。
何をしたのか、何をしてきたのかは聞いていないが、概ね予想はつく。
彼女は人間とは戦えないのではないか。
だったら俺がやるべきことは一つだろ――。
「――わかった」
「お、わかってくれた?」
「ああ、よーくわかったよ。俺のやるべきことってのがさ!」
剣を抜き俺は伊庭へと躍りかかった。
「――ッ!」
まさか攻撃されるなんて思わなかったのだろう。
それでも分厚い障壁が展開され剣戟を防がれる。
「な、何をしているんだ、キミは!」
「お前の好きにはさせないって言ってるんだよ!」
障壁を何度も切り裂く。
魔法で作り出されたものならば魔法でなくても破れるはずだ。とくにこの魔法には才気のエフェクトが乗っていないのであれば、容量を超すダメージを与えれば破れる。
「キミは帰りたくないのか!」
「帰りたいさ!」
「だったらなぜ!」
「そのためにこの世界を危険にさらす、間違ったやり方を取りたくないってだけだよ!」
それだとどれだけの人間が涙を流すと思っているんだ。
俺はもう誰かが泣くのはみたくない。
俺が死にかけた時、ステラが泣いていて滅茶苦茶キツかったんだ。そんな気持ちを俺は味わいたくないし、誰かに味わわせたいとも思わない。
「だからって、ボクらが我慢しろっていうのか!」
「ここにお前がいるのならこの迷宮はお前のだな? 迷宮を用意出来たり、すごい力を出せるように準備したんだろ! なら、他の方法を探してみろよ!」
「探した結果がこれだって言っているんだよ!」
炎が障壁の向こうから爆ぜる。
俺はそれをかろうじて躱す。
外套に燃え移り、即座に外套を放棄。同時に、外套のポケットに入れて置いたアイテム類を全て掴み取り、内容を確認して伊庭へとぶん投げた。
障壁に当たって試験管の類は割れるが、それでいい。
「ぐ、これは――」
投げつけたものは相手の視界やら聴覚やらを奪うもの。
総じて相手にデバフをかけるものだ。これで障壁の制御があまくなれば――。
何度も切りつけ、ガラスが割れる音とともに障壁が割れる。
「調子に――乗るなよ、ツカサァ!」
「――ッ!!」
試薬の混合によって発生した煙の中から伊庭が現れる。殺傷能力はないが、だいぶ嫌がらせにはなったようで、目は涙であかなくなっているらしい。
それでもこちらの位置がわかるのか正確に拳を放ってきた。
咄嗟に左手で受ける。
「ぐ――」
バギィ、と骨が折れる音が響く。
踏ん張りの力よりも威力の方が勝る。
そのまま宙を舞い、建物の中へとぶち込まれる。
「ぐぉ――」
内臓に傷がついたのか血を吐く。
だが、それでうずくまっている暇はない。
その場からすぐに退避する。
同時にそこに振り下ろされたのはスケルトンドラゴンの尾だ。
もしあのまま蹲っていればそのままぺしゃんこにされていただろう。
「くそ――」
「ツカサくん、どうしてもボクらに従う気はないのかい? 帰れるんだよ? 帰りたいだろう?」
「ああ、帰りたいさ」
「だったら、剣を収めてくれ。ボクもいまだったらキミの行為を赦せる。混乱してたってことでね」
「…………」
ここで剣を下ろしてしまえば楽なんだろうな。
くそ、骨折が痛いし、背中が死ぬほど痛い。
頭から流れる血が鬱陶しいし、ずきずきする。耳鳴りが酷い。
「まったく、最悪だ」
口の中は血の味一色。
ステラの美味い飯の味が残ってくれりゃあいいのにさ。
「さあ、どうする?」
「俺は……」
「…………」
「俺は、おまえらの仲間にはなれない」
誰かを犠牲にして、自分だけ助かるなんて出来るはずがない。
やるのなら、誰もかれもが救われるハッピーエンドに決まってるだろ。
それが出来ないのなら、伊庭の方法を認めるわけにはいかない。
俺だって帰りたいさ。その気持ちは俺だからこそ痛いほどわかるに決まってるだろ。
でも、それでも譲れない一線というものはある。
世界を救いたいんだよ。
そのために神様にチートもらってこの世界に来たんだよ。そのチートはなくなって、この世界は既に救われている。
その世界を救いたいからって願いのために世界を危険にさらすなんて本末転倒もいいところだろう。
「はー」
深々と伊庭がため息を吐く。
まあ、あきれるだろうな。
「わかりました。そうだというのなら容赦はしませんよ。ここで、殺します。だって、ツカサくんを残しておくとあとが面倒そうだ」
「はは、見逃してくれるとありがたいんだがな。ほら、もう瀕死だし」
「瀕死の敵ほど逃がしませんって」
強大な魔力が集まっていく。
その出力は紛れもなく魔人の域。
それなのに人という判定、まったくもって理不尽すぎないか? チートだチート。
「チートじゃないですよ。ボクの才気は研究という動作級」
「なるほど、魔族を研究したな?」
「御明察。そして、ボクは寿命を犠牲に魔人と等しい力を得たんですよ。必ず転生者を救うために。だから、邪魔はさせない!!」
胎動する魔力炉心。
莫大なまでの魔力により魔法が発動する。
伊庭の背に浮かぶ数十を超える魔法陣。お世辞にも才気持ちとは違い、綺麗とは言えない。
だがまぎれもない致死性を持っている。
「それでも――俺は、お前を止める!」
ああ、エゴだろうさ。
それでも世界を危機に陥れてまで救いたいわけじゃないんだよ――。




