【91】STASI -シュタージはそこにいた-
すれ違いざまの一閃を受けたナイトホークはそのまま地面に叩きつけられ、赤黒い血溜まりの中で息絶えていた。
「悪く思うなよ……お前が人を殺めるのであれば、我々も相応の対応をしなければならないのだ」
自らの手で斬り殺した黒鳥の死体を見下ろしながらこう告げるジュリエット。
「……残りはあと1羽か」
しばしの沈黙の後、彼女はカガが倒し損ねた個体が飛んでいる空を見上げる。
この距離ではダメージの有無を確認できないが、仲間がやられたことに動揺しているのか先ほどの勢いは失われている。
当然、千載一遇のチャンスをジュリエットとカガは見逃さなかった。
「ジェレミー君! この距離なら君の弓矢が一番効果的だ! すぐに狙い撃て!」
「え?」
「遠慮は必要無い! 君の射手としての実力を以ってヤツを叩き落とせ!」
ジュリエットにそう急かされた僕はすぐに名弓「シルバーアロー」を構え直し、100m以上離れているターゲットに狙いを定める。
これほどの距離になると風の影響をもろに受けるうえ、ナイトホークは空を飛んでいるので地上から打ち上げるカタチを取らざるを得ず、そもそも飛距離を稼げない可能性すらある。
しかも、相手は不規則に動いているときた。
超一流の弓使いでも困難な状況なのに、僕みたいな未熟者が超長距離狙撃を決められるのだろうか?
「頑張ってジェレミー君! 君ならきっと大丈夫よ!」
「ナイトホークに目に物を見せてやれ、少年! 人間はどこまでも遠くを狙い撃てることを証明してみせるんだ!」
ルシールとカガの励ましを受け、僕は自分の腕前を過小評価していたことを反省する。
彼女らは僕以上に僕の能力を評価しており、だからこそ大きな期待を寄せているのだ。
その期待はプレッシャーとして圧し掛かるが、それと同時に「期待に応えたい」というモチベーションを生み出す。
「すぅー……ふぅー……!」
ゆっくりと深呼吸をしながら最も飛距離を出しやすい矢をセットし、100m以上先の空を飛ぶ黒い物体へ狙いを定める。
集中力が極限まで高まっている証拠なのか、時間の流れが遅くなり自分以外の世界が止まってしまったかのように感じられる。
「……今だッ!」
脳内で描いている軌道とナイトホークの姿が重なった瞬間、僕は弦を掴んでいた右手を放すのであった。
矢が放たれると止まっていた世界が再び動き出す。
それから約3秒後、100m以上先に浮かんでいた黒い影は大きくバランスを崩し、フラフラと飛びながら高度を落としていく。
初めは僕の一撃が命中したという実感が湧かなかった。
「凄いな……まさか、この距離を一発で決めてみせるとは」
「結構いい所に当たったように見える。仮に生き残っていたとしても、長くは持つまい」
ジュリエットとカガによる称賛の言葉が聞こえてきたところで、僕はようやく超長距離狙撃の成功を確信する。
……良かった、皆の期待に答えることができたのだ。
「一時はどうなることかと思ったが、とりあえずは一件落着と言ったところか。しかし……少なくとも今日中の試合再開は不可能だろうな」
血糊がベッタリとこびり付いている観客席を眺めつつ、今後の予定について懸念を漏らすジュリエット。
ナイトホークの脅威が去ったことで清掃作業が始まったものの、犠牲者への追悼を考えると決勝戦自体のキャンセルも十分あり得る。
元々負けなければいけなかった僕はそれでも構わないのだが……。
「……とにかく、今後どうするのかはお偉いさんと話し合わなければいけない。君たちは選手控室で待機していてくれ。対応が決定したらこちらから伝えに行く」
僕たちに対してそう告げながら関係者用出入口へ向かおうとした時、ジュリエットはその奥に人影が潜んでいるのを見つける。
「誰だ……?」
「ジュリエットさん、どうかしたの?」
「あの通路に何者かが潜んでいる。かなり嫌な予感がするな……」
彼女の独り言を聞いていたルシールが訝しんでいると、我慢の限界を迎えた「何者か」が自らアンフィテアトルムのフィールドへと足を踏み入れた。
真っ暗な通路の奥から黒いローブで全身を覆っている集団が現れ、僕たちの前に整然と並び立つ。
僕はこの黒ずくめの者たちについて何も知らなかったが、他の3人は明らかに警戒心を抱いているようであった。
「お前たち……アンフィテアトルムに一体何の用だ? ここはシュタージが来るような場所ではない」
勇敢にも一歩前へ歩み出て、黒ずくめの集団――シュタージを「歓迎」するジュリエット。
この集団の正体を知った瞬間、僕は背筋に寒気が奔るような感覚を覚えた。
……おそらく、奴らは僕を捕らえるためにやって来たのだ。
「おい! 私の質問に答えろ!」
集団の先頭にいる数名はジュリエットによる追及を無視し、ゆっくりとした歩みで僕の所へ近付いてくる。
肝心のジュリエットは他の黒ずくめに足止めされているため、僕たちの即席チームは完全に分断されてしまった。
「初めまして、ジェレミー選手。先ほどチャンピオンが紹介してくれた通り、我々はスターシア王国の国家安全保障を担う秘密警察『シュタージ』だ」
集団のリーダー格と思わしき女性は堂々と自らの所属を名乗り、右手を差し出すことで握手を促す。
後方にいるルシール及びカガとアイコンタクトを交わした僕は、これは罠である可能性が高いと判断し握手を拒否する。
「フンッ、まあいい……この世の理を乱す異界人よ、我々について来てもらうぞ!」
次の瞬間、シュタージの女は僕が後退するよりも先にマギアを唱える。
「なッ……か、身体が……動かない!?」
そのマギアを食らった途端、僕の身体は意思に反して全く動かなくなっていた。
油断した……完全に嵌められたんだ!




