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【85】CAMOUFLAGE -逃亡準備-

 Bブロック準決勝が行われた日の夕方――。

ノエル邸の敷地内に一台の郵便馬車が入り、屋敷の前で「荷物」の搬入作業を開始する。

ただし、この郵便馬車は「リリーフィールド郵便サービス(LPS)」が運用する正規車両ではない。

いや……車両自体はLPSで正式採用されているミナルディ製快速馬車「ファエンツァMk-Ⅰ」なのだが、車体側面に取り付けられているプレートには「1か月後に除籍を控えている車両の登録番号」が記されていた。

この郵便馬車はノエルが逃避行のために用意させた、カモフラージュ用の移動手段である。

本来であれば除籍が近い馬車は車両基地で保管される規則となっているが、繫忙期(はんぼうき)には一時的に現役復帰させることも決して珍しくないため、この「LPS FA501-016」が運用されていることに疑問を抱く一般人は全くいなかった。


「――ルートは事前に説明したとおりだ。私と契約を交わしている逃がし屋が指定した街路で『ブツ』を降ろし、その後は北側のチェックポイントを通過してアーカディアに向かえ。アーカディア市内の空き倉庫を『ブツ』の一時的な隠れ家として借りているから、『ブツ』以外の荷物はそこに運び込んでくれ」

(あらかじ)め大金で買収しておいた郵便馬車の御者を呼び寄せ、彼と共に作戦の最終確認を行うノエル。

この御者は10人の大家族を養っている大黒柱であり、8人の子どもたちの養育費を稼ぐためにやむを得ず買収に応じたのだ。

……もちろん、そういった個人情報まで調べ上げたうえでノエルはこの青年を選んだのだが。


「……わ、分かりました。イザドラ、荷物の積み込み作業を始めるぞ」

「大丈夫なんですか……?」

「急げッ! 客が高い金を払ってくれている以上、僕たちに詮索(せんさく)する権利は無い」

心配げな表情を浮かべる新人御者を一喝し、すぐに屋敷の玄関前に山積みされている木箱を馬車の荷台へ移していく青年。

LPSの営業時間ギリギリになって舞い込んできた、深夜料金込みとはいえ基準価格を大きく超えた報酬を提示している依頼――。

おそらく、御者たちは今回の仕事が「限り無く黒に近いグレーゾーン」であることを察していたに違いない。

「(別に違法薬物や変死体を運ぶわけじゃないんだ……時間帯以外は何の問題も無い)」

この仕事の怪しさは青年も重々承知している。

だが、LPSの基本給が10人家族を考慮していない以上、大家族を養うためにはこういった業務外の依頼で大金を稼ぎ出すしかなかったのだ。


 「ブツ」と多数の木箱を積載した馬車は日没後にノエル邸を出発し、人通りが多い繫華街を避けながらノエルに経由地として指定された街路を目指す。

アンフィテアトルムのイベント期間中ということもあり、リリーフィールド中心部はこの時間帯になっても賑わいを見せているが、それ以外の区画では人影はほとんど見られない。

地元民は「リリーフィールドは夜中が一番危ない」と知っているため、この光景は当然のことであった。

「先輩、経由地に指定されている街路って……」

イザドラが見ている紙切れに記されている街路の名は「アイアトン・ストリート」。

リリーフィールド最悪の犯罪多発地帯と云われている、スラム街の中でも特に危険な街路の一つだ。

金目の物を運ぶことも多い郵便馬車は強盗たちにとって「カモ」であるため、LPSの配送ルートにアイアトン・ストリートを含むスラム街一帯は含まれていない。

にもかかわらず、ノエルがそこを「ブツ」の送り先に指定しているということは……おそらくそういうことなのだろう。


 人の気配が全くと言っていいほど感じられないアイアトン・ストリートに入るLPSの郵便馬車。

その様子を曲がり角にある建物の3階から眺めている人物がいた。

彼女は馬車の姿を確認するとすぐに1階の酒場へ下り、端っこのテーブル席でルートビアを飲んでいる女にそれを報告する。

(あね)さん、例の馬車の到着を確認しやした」

「そうか……よし、今夜もビジネスを始めるとするか」

報告を受けた女はルートビアを飲み干し、背もたれに掛けていた上着と帽子を着ながらカウンターへと向かう。

「今から仕事かい? 逃がし屋さん」

「おう、今回はかなりの上客からの依頼だ。しくじることはできん」

「そうか。最近シュタージの連中が町をうろついているから、一応気を付けたほうが良いぞ」

「へッ、忠告ありがとよ」

顔馴染みの女店主にルートビアの代金を支払い、逃がし屋の女は子分と共に酒場を出る。

彼女の名はローレル。

業界内では知らぬ者はいない、依頼成功率100%を誇る優秀な逃がし屋である。


 酒場のすぐ近くに停まった郵便馬車へ近付き、車体側面に取り付けられているプレートをチェックするローレル。

「『LPS FA501-016』――間違い無い、こいつが『ブツ』を積んでいる馬車だ」

依頼人から予め伝えられている登録番号と同じであることを確かめ、彼女は御者たちと子分に積み降ろし作業を手伝うよう指示を出す。

「ここで降ろすのはラージサイズの木箱2つだな? よし、あの建物の中に持っていくぞ。中身は繊細だから気を付けてくれよ」

馬車の荷台から「Handle With Care(取り扱い注意)」と書かれている大きな木箱を持ち上げ、1つずつ慎重且つ迅速に建物へと運び込んでいくローレルたち。

「先輩……この荷物、中に入っているのって……」

「お嬢ちゃん、それ以上深入りするのはやめな。仕事が終わったら今日の出来事は忘れるんだ。それができない場合……お前の首がこうなっちまうぞ」

「ブツ」の中身に勘付き始めたイザドラに対し、ローレルは「首切り」のジェスチャーで詮索を避けるよう忠告するのだった。


 ローレルが「ブツ」を運び込むよう指示した建物の1階は、彼女が率いる逃がし屋の事務所兼倉庫となっている。

これからアーカディアへ向かわなければならない郵便馬車を見送り、ローレルと子分はいよいよ「ブツ」の開封を行うのであった。

「よお、木箱の中の乗り心地はどうだった? お疲れのとこ悪いが、ここから先はお前らの協力が必要だ……さあ、お前らにお似合いの変装を用意してやったぜ!」

【リリーフィールド郵便サービス】

リリーフィールド市内の郵便事業を司る、作中世界初の郵便会社。

略称のLPSは「Lilyfield Post Service」の頭文字である。

王族とリリーフィールドの共同出資で成り立つ公営企業であり、このLPSの登場によりスターシア王国の郵便事情は大きく改善されたという。


【ルートビア】

スターシア王国で人気のソフトドリンク。

数種類の薬草を混ぜ合わせて作る炭酸飲料であり、「飲む回復マギア」と揶揄(やゆ)される独特な甘さが人を選ぶ。

なお、ルートビアをベースに疲労回復効果を追加した「飲む回復薬」も本当に存在する。

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