【82】DEAD OR LIVE -逃げるか抗うか-
雨が降りしきる中、僕たちが乗る馬車は水飛沫を上げながら石畳の道を走る。
「ジェレミー、キヨマサ、何が起こってもいいようにしっかり掴まってろ!」
「マーセディズさん、『シュタージ』って一体何者なんですか!?」
車内で上下左右に揺さ振られるのを耐え忍びつつ、僕はマーセディズに対してこう尋ねた。
「ゼーバッハ語で『秘密警察』を意味する、秩序維持を名目に権力を振るうイカれた犬畜生の集まりだ。奴らに反体制派のレッテルを貼られ、凄惨な方法で粛清された無実の人間は数知れん」
「シュタージの連中は王都を中心に活動しているが、ごく稀に地方都市まで出張ってくるんだ。俺もギルドの依頼を進めている時に職務質問を食らって、ヒヤヒヤさせられたことがあったな」
マーセディズとキヨマサ曰く、シュタージは兎にも角にも「言葉にするならロクデナシ」らしい。
もっとも、この時の僕はシュタージの恐ろしさをまだ知らなかったのだが……。
かなり乱暴な運転ではあるが、ロビンが操る馬車の走りは先ほどから全く破綻していない。
しかし、シュタージの黒い馬車も負けじと食らい付いてくる。
どうやら、「秘密警察」だけあって彼女らの運転技術も相当のモノらしい。
「ロビン、このままじゃ一生振り切れないぞ!」
「分かっています! お嬢様、マギアで道を凍らせて足止めを! あの馬車は路面凍結には対応できないはずです!」
中途半端に凍った路面は非常に滑りやすい――。
それは人間も馬車も同じだ。
今の時期の馬車は夏用車輪を使用しているため、路面凍結に遭ったら間違い無くスリップしてしまうだろう。
「よし……!」
馬車の窓から身を乗り出したマーセディズは指先に魔力を集中。
得意とする氷属性マギアを放つタイミングを計る。
「……今だ!」
曲がり角に差し掛かりシュタージの馬車が見えなくなったところで、地面に向かってこぶし大の氷塊を撃ち放つ。
後続車はその瞬間を目撃していないため、路面凍結に気付くのはかなり遅れるはずだ。
何より、春から夏へ移ろうとしているこの時期に低地のリリーフィールドがそこまで冷え込むことは無い。
「くッ、しまった!?」
次の瞬間、凍った部分を踏んでしまったシュタージの馬車は大きくバランスを崩し、そのままスピンしてしまうのだった。
シュタージの追っ手を完全に振り切り、僕たちを乗せた馬車はようやくノエルの屋敷へと辿り着く。
とはいえ、僕たちに逃げられたことは相手も十分承知しているはずだ。
事態が混迷を極める前に手を打たなくてはならない。
「父上、失礼します」
屋敷に帰ったマーセディズは真っ先に父ノエルの部屋へ向かい、返事が返ってくるのを待たずに入室する。
当然、僕とキヨマサとロビンも一緒だ。
「どうした?」
「じつは……アンフィテアトルムから帰り道でシュタージの馬車に尾行されたんだ」
シュタージの馬車――。
その言葉を聞いた瞬間、書類を整理していたノエルの表情が一気に険しくなる。
「シュタージだと……!?」
「ああ、間違い無い。ロビンにも確認させたから見間違いではないはずだ」
「お嬢様の仰る通りです。今回は彼女の機転で振り切れましたが、これで本格的にマーキングされてしまったかもしれません」
事態の深刻さを憂慮したノエルは部屋の扉と全ての窓に鍵を掛け、マーセディズとロビンに詳細報告を求めるのであった。
「――ふむ、お前たちに心当たりが無いとすれば……考えられる理由は自ずと限られてくる」
両腕を組みながら考え込むように天井を見上げた後、ノエルは僕とキヨマサの方を指差す。
「え? 僕たちですか?」
「おいおい、こいつはともかく俺はシュタージの悪い噂は知っている。連中にケンカを売ったような記憶は無いですよ……!」
当然、僕たちは自らの潔白を主張するが、ノエルが言いたいのはそういうことでは無いらしい。
「落ち着け、お前たちを責めるつもりは無いんだ。ただ……これはあくまでも憶測なんだが……」
彼女は少しだけ俯き、深刻そうな表情を浮かべながら言葉を続ける。
「……お前たちが異界人であることが、シュタージどもにバレてしまったのかもしれない」
「何だと? 父上、ウチの情報統制は完璧なはず――ハッ!?」
情報漏洩の可能性について異論を唱えようとした時、マーセディズは思い出す。
……アンフィテアトルムを発つ前、ジュリエットと言葉を交わしていたことを。
「ん、どうした?」
「父上、『ジュリエット』という名の剣闘士をご存知でしょうか?」
マーセディズの口からその名前が出てきたことに対し、意外そうな表情を浮かべるノエル。
「ああ、当然だ。あれが片田舎から『アンフィテアトルム選手になりたい』と上京してきた時、稽古を付けてやったのは私だからな」
「それは本人から聞きました。あの人、ジェレミーとキヨマサの出自に気付いていたようですね」
「フッ、奴の観察眼なら造作も無いことだ。んで、今回の件に彼女が絡んでいると疑っているのか?」
そう言われたマーセディズが静かに頷くと、ノエルは微笑みながら愛娘の肩をポンっと叩くのであった。
「心配するな、奴は芋っぽい田舎者だが誠実な女だ。秘密を漏らすような真似はせん……私が保証しよう」
その日の深夜、ノエルとマーセディズは今後の予定について再検討を行っていた。
議論の内容は「ジェレミーとキヨマサの安全確保」である。
「――とにかく、ボクとしてはシュタージの庭であるリリーフィールドに長居するのは危険だと思う」
シュタージと実際に交戦したマーセディズは刺客を送り込まれる可能性を危険視しており、ロイヤル・バトルを棄権してでもリリーフィールドを離れるべきだと主張する。
大会期間中は町中が多くの人々でごった返すため、その混乱に乗じれば不法移民が使う裏ルートから市外へ逃げられるかもしれないからだ。
「いや、ここでコソコソしていたら却って怪しまれることになる。下手したらシュタージに強制捜査の口実を与えかねない」
一方、ノエルはシュタージの特徴である「行政府及び新聞社に対する影響力」を警戒し、少なくとも大会期間中は「一般人」として振舞わせるべきだと反論する。
シュタージ側は既に何かしらの方法で「ジェレミーとキヨマサは異界人かもしれない」という手掛かりを得ていると思われるので、迂闊な動きを見せたら確実に利用されると考えたからだ。
「彼らを危険に晒すのですか!?」
「あれはお前が思っているほど弱くはない! もう一人前の戦士だろう!」
純粋にジェレミーたちを心配するマーセディズ。
自分が鍛え上げた二人の少年の強さを信じているノエル。
結局、夜中の2時を過ぎても親子の議論に決着が付くことは無かった。
「……もうこんな時間か。仕方ない、最終判断は朝――少年たちに自ら決めてもらうとしよう」
これ以上夜更かししたら仕事に支障が生じる――。
マーセディズを仕事部屋兼用の書斎から追い出すと、ノエルも部屋の灯りを消し寝室へと戻るのであった。
「(そういえば、今夜はシルヴィアと『する』約束を交わしていたが……まあいいか)」




