【68】PROMISE -約束を果たすため-
目が覚めて真っ先に映り込んだのは石造りの天井――。
ここはアンフィテアトルムの選手控室だ。
「(全身の骨がズキズキする……これが骨折なのかな……)」
ふと横へ首を動かすと、そこでは心配げな表情のシャーロットと医者と思わしき女性が話し合っていた。
……どうでもいいけどこの医者の人、どこかで見たことがあるような?
「ジェレミー……! あなた、体格が違う相手なのに無茶し過ぎよ!」
「……ごめんなさい」
そう謝罪しながら僕はベッドから起き上がろうとするが、背骨に強烈な痛みが奔るせいで身体をろくに動かすことさえできない。
「ああ、無理に身体を動かしちゃダメよ。人体で一番重要な背骨を損傷している可能性があるからね」
「あなたは……ルシールさん?」
医療処置のわりには少々露骨なボディタッチ――。
間違い無い、彼女は遠征隊捜索の際に行動を共にした治療士のルシールだ。
まさか、こんなカタチで再会することになるとは……。
レウクトラのベアハッグは思わず気を失うほど痛い攻撃だったが、彼女が少しだけ手加減してくれたのか幸運にも骨折は免れていた。
仮に彼女が本気で絞め殺そうとしてきた場合、命拾いしたとしても後遺症を背負うことになっていただろう。
「ジェレミー君、聞いてちょうだい」
ベッドの隣に置かれている椅子へ腰を下ろし、これまで見たことが無いほどの真面目な表情で僕に語り掛けてくるルシール。
とても重要な話であることは火を見るよりも明らかだ。
「君が気を失っている間に身体の状態を診させてもらったんだけど、背骨や肋骨にダメージを受けた痕跡が確認できたの。率直に言うと……今の状態で試合に出るのは無謀よ」
「そんなことは……! 僕はまだ戦え――いててっ!」
戦意が残っていることを証明しようと上半身を起こした瞬間、骨の髄から生じる痛みがその邪魔をしてくる。
それを見たルシールは首を横に振り、僕の右手に手を置きながら現実を突き付けてくるのだった。
「言ったでしょ? この状態で無茶をしたら、後遺症が残って一生車椅子生活になるかもしれないのよ」
「失礼します……あの、少しお話をよろしいでしょうか?」
その時、出入口の角から顔を覗かせていた審判の人がペコリと頭を下げる。
「ええ、構いませんけど……用件は何ですか?」
シャーロットが気難しそうな表情でそう返事すると、審判はもう一度頭を下げながら僕の方へと歩み寄って来る。
「ジェレミー選手、あなたは既にルールで認められている休憩時間をオーバーしています。このまま試合に戻れない場合、規定により不戦敗となってしまうので……今すぐ最終判断をお願いします」
ついにこの時が来てしまった。
ここで試合に復帰できないと不戦敗が決まり、ノエルと交わした約束を果たせなくなってしまう。
こんなところで横になっているわけにはいかないのだ。
「医者に診てもらったところ、彼は骨に損傷を負っているとのことです。無理に戦わせたら後遺症が残るかもしれないので、ここで棄権させようかと考えています」
だが、僕の思いとは裏腹にシャーロットは棄権することを前提に話を進めていた。
「勝手に棄権させないでください……僕にはまだ戦意があります!」
次の瞬間、バチンという乾いた音が選手控室に響き渡る。
突然の出来事に初めは何が起こったのか分からなかったが、左頬の腫れ上がるような痛みで僕はようやく察したのだった。
困惑する審判の人を退かし、僕の上へ覆い被さるように顔を近付けるシャーロット。
彼女は怒りと悲しみが入り混じった複雑な表情を浮かべている。
そう、シャーロットは僕に対し強烈な平手打ちを見舞っていたのだ。
自らを顧みない無謀さを窘めるために……。
「ねえ……あなたの最終目的は何なの?」
「ロイヤル・バトルの最終予選で優勝し、ノエルさんに認めてもらうこと――」
「違うッ!!」
これまで一度も見たことが無い剣幕で怒鳴った後、シャーロットは僕の両肩を掴みながら話を続ける。
「あなたとキヨマサの最終目的は『在るべき世界へ帰ること』でしょ? そのためにロイヤル・バトルで勝ち抜く必要があるのかしら? ……いや、私は全く無いと思うわ」
確かに、今回のロイヤル・バトル最終予選と「空の柱」へ向かう旅路は直接繋がっているわけではない。
その点においてシャーロットは正論を述べていると言えるだろう。
しかし、一度交わした約束を反故することは僕のちっぽけなプライドが許さなかった。
「ジェレミー、こんなところで道草を食うのは終わりにしましょう。パパのことは私と姉さんで説得するから、大会を棄権して『空の柱』へ向かうべき――はっ!?」
僕を思い留まらせようと必死になるあまり、シャーロットは失念していた。
……僕とキヨマサが異界人であることを。
「『空の柱』? 君たち、まさかそこに行くつもりだったの?」
話を最初から最後まで聞いていたルシールは思わずそう尋ねる。
残念だが、ここまで来たら秘密を隠し通すことはできない。
「……はい、本当は部外者には秘密にしたかったのですが……彼とキヨマサは賢者レガリエルと対面した異界人なのです」
もはや言い逃れはできないと観念したシャーロットは、今に至るまでの冒険の経緯を洗いざらい話すことにした。
下手に嘘を吐いても却って怪しまれると思ったのはもちろん、ルシールのことを「男好きで痴女的だが信頼に足る人物」と判断したからである。
事実、僕が異界人だと知ってもルシールはさほど気にしていない様子だった。
「――なるほど、君たちにそんな複雑な事情があったとはね」
「ええ、だからあなたがドクターストップを出してくれれば合法的に棄権させることができるんです。その後はあらゆる手を使って『空の柱』を目指すつもりなので……」
しばしの沈黙の後、シャーロットの切実な思いを聞いたルシールは僕が横たわっているベッドに腰掛けながら次のように尋ねる。
「ノエルさんとの約束とシャーロットの正論、どちらが正しいと思う?」
彼女が投げ掛けてきたのは究極的な二択。
本来ならば正しさを議論すること自体が難しい質問だ。
だが、この状況で沈黙や回答の後回しは許されない。
何かしらの答えを提示する必要があった。
「……主観的にも客観的にもシャルルさんの言い分が正しいと思います。でも……」
「でも?」
シャーロットが僕やキヨマサの身を案じていることは十分理解しているつもりだ。
でも……それでも、僕は退くわけにはいかなかった。
「僕は約束したんです! 『ロイヤル・バトル最終予選で必ず優勝し、マーセディズさんやシャルルさんを守れるだけの実力があることを証明する』――と!」
「そ、そんなもの……ただの口約束よ! 別にこの大会で勝たなくとも『空の柱』には行けるじゃない!」
「男に二言はありません! 僕は一度交わした約束は破らないッ!」
僕の頑固さに堪忍袋の緒が切れたのか、シャーロットは物凄い剣幕でベッドの横まで詰め寄ると、まだ痛みが治まっていない僕の胸倉を思いっ切り捩じ上げる。
「シャーロット! 落ち着きなさい!」
それを見たルシールと審判の人は制止に入ろうとするが、シャーロットに睨み返されたことで引き下がってしまう。
「大人しそうな見た目のクセに強情なところ――ホントに大嫌い。まるで私の猫被りな本性を見せつけられてるみたいでさ……」
そう言い放つと彼女は僕の胸倉を手放し、そのまま選手控室から出ていってしまうのであった。
「やれやれ……あの娘も素直じゃないわねぇ」
呆れたように肩をすくめつつ、近くに置いてある椅子をベッドの横まで移動させて腰を下ろすルシール。
「審判さん、上の人たちに試合を続ける旨を伝えに行ってちょうだい」
「え?」
「どうせシャーロットも直談判しに行ったんでしょ? ジェレミー君はまだ戦える――とね」
「わ、分かりました!」
彼女にそう促され、審判の人はシャーロットを追い掛けるように選手控室から退室する。
質素な造りのこの部屋には僕とルシールだけが残されていた。
「さて……君の満ち溢れんばかりの決意を認め、特別に強力な回復マギアを使ってあげるわ。直に当てるほうが効果的だから、ちょっと服を脱がせるわね」
「じ、自分でできますから!」
僕が答えるよりもルシールの手が動き出すほうが明らかに早く、彼女はとても器用な手つきで僕の上着を脱がしていく。
「今から君に使う回復マギアは『モルフィン』といって、マギアの中でも最強の鎮痛作用を持っているの。その効力は複雑骨折や全身火傷の激痛すら打ち消すほどだけど、時間経過で痛みがぶり返すのが最大の短所ね」
詠唱を終えたルシールが両手を僕の背中にかざした次の瞬間、電流のような衝撃が僕の全身を駆け巡る。
「ぬぅッ!? はぁ……はぁ……はぁ……」
その衝撃が収まった時、僕を苦しめていた背骨の痛みも完全に消え去っていた。
「ジェレミー選手、試合続行を認める許可が下りました! そちらは大丈夫そうですか?」
「はい、いつでも行けます!」
武器と防具を装備し直し、審判の人に向かって力強く答える。
シャーロットは結局戻って来ないままだが、今は彼女のことを気にしている場合ではない。
「いい、ジェレミー君? モルフィンの鎮痛作用はせいぜい1時間ぐらいしか持たないから、早めに決着を付けてちょうだい。試合が終わったらすぐに本格的な治療をしてあげるからね」
セコンドの代役みたいになっているルシールに見送られ、僕は再びアンフィテアトルムのフィールドへと赴くのであった。




