【49】LAW OF THE JUNGLE -無慈悲な摂理-
「――え? 高台にキイチゴを採りに行ったルクレールが戻ってこない?」
「うん、何かあったってわけじゃなさそうだけど……」
妹からの報告を受けたマーセディズは眺めていた地図を片付け、背筋を伸ばしながらゆっくりと立ち上がる。
「あの高台か……ふむ、あれぐらいなら登れそうだな」
「ええ? いやいや、あれはさすがに無茶が……」
「まあ、見てろって!」
困惑する僕に対して力強い返事をしつつ、何を思ったのか銀色に輝く鎧を脱ぎ始めるマーセディズ。
鎧の下には黒いインナーを身に纏っているため素っ裸ではないが、この状態だと鎧を着込んだり剣を振り回すために鍛え上げられた身体のラインが大変よく目立つ。
……いや、別に邪な気持ちで彼女のことを見ているつもりは無いのだが。
最低限の防具としてガントレット及びグリーブを付け直し、聖剣「ストライダー」を携えたマーセディズは妹が待つ岩壁の真下へと向かう。
「どう? 頂上まで登り切れそう?」
「ああ、何とかな……だが、念の為に落下時のクッションになるマギアを用意しておいてくれ」
「分かったわ。この程度の高さなら衝撃を完全に殺し切れると思うから」
それを聞いたマーセディズは安堵の表情を浮かべ、険しい岩壁へと挑み始める。
ルクレールほどではないものの、人並み以上の身体能力を持つ銀色の騎士はかなりのハイペースで岩肌を駆け上がっていく。
「おお、速いなぁ……」
「速いだけじゃないぜ。滑落するリスクが少ないルートを一瞬で判断し、その決意が鈍らないようすぐに動いている。慎重且つ大胆というのはまさにあのことだな」
「そうね、心身共に強くなければ一流の騎士にはなれない――姉さんはいつもそう言っていたわ」
僕とキヨマサとシャーロットが暢気な遣り取りをしていると、マーセディズは既に高台の頂上へと辿り着いていた。
彼女は僕たちに向けて両手を振った後、奥にある藪の中へと姿を消すのだった。
「(ん……? あの見慣れた尻尾はルクレールか?)」
藪を掻き分けながら進んだ先でマーセディズが見たのは、幼い頃から何度も見てきたファミリアの赤みを帯びた尻尾。
彼女が藪の中を進む時の音が聞こえていたのか、背後まで近付いたところでファミリア――ルクレールはマーセディズの方を振り返る。
「コーン……」
「どうした、ルクレール? シャルルが待っているぞ――って、何かいるのか……?」
周囲の臭いをしつこく嗅ぎ続けるルクレールの挙動が気になり、彼の鼻先が向いている方向へと更に進んで行くマーセディズ。
「(地面に何者かが争った痕跡がある。それに……この辺り、何だか血生臭いな)」
注意深く観察しながら藪の中を掻き分けて行くと、彼女の嗅覚でも感じ取れるほどの血の臭いが鼻に入ってくる。
また、地面には複数のモンスターが取っ組み合ったと思わしき足跡が残されていた。
これはつまり、つい先ほどまで何かしらのモンスターがこの辺りで活動していたことを示している。
「コン! コーン、ロコーン!」
「そうか、お前の鼻なら残っている臭いを捉えられるのか! ボクの予想では精々モンスターの死体だと思うんだがな……」
昼間とは思えないほど暗い藪の中を慎重に進むマーセディズとルクレール。
あまり良い予感がしない中、その先で彼女らが見たものとは……?
「フゥゥゥゥゥッ……!」
「落ち着け、モンスターの気配を感じるのは分かってる!」
唸り声を上げるルクレールの頭に右手を置き、もう片方の手で剣を抜きながら藪を掻き分けるマーセディズ。
間違い無い、この奥に何かがいる……!
「オコーン! オコーン!」
「これは……こいつは酷いな……」
藪の奥にあったのは、少しだけ開けた空間。
だが……そこは猟奇的な殺人事件の現場を彷彿とさせる、言葉にできないほど凄惨な状況と化していた。
爆発マギアの直撃を食らったかのように血肉が飛び散り、周囲には粗悪な肉屋に入った時のような悪臭が広がる――。
視覚的にも嗅覚的にもキツイ、地獄のような場所がここにはあった。
「モンスター同士の食物連鎖の現場か? しかし、捕食シーンがここまでグロテスクだとは……ん?」
あまり気は進まないものの凄惨な現場へ足を踏み入れた時、マーセディズの足元から「グチャ」という柔らかいモノを踏みつけたような音が鳴る。
妙に生々しい感覚が気になって足元を見下ろした瞬間、彼女は背筋が凍るほどの戦慄を覚えるのだった。
マーセディズがうっかり踏みつけてしまった物体――。
「……くそ、シャルルやジェレミーだったら絶対に吐いていたな」
赤黒い液体に染められたそれは、つい先ほどまで生きていたモンスターかもしれない。
「モンスターの世界は弱肉強食とはいえ、ここまでやる必要はあるまい……」
無残に食い散らかされた鳥型モンスターの死体を軽く蹴り飛ばし、弱肉強食という概念が生み出した結果を見渡すマーセディズ。
人間だからかもしれないが、捕食者の度が過ぎた行動に彼女は強い嫌悪感を抱いていた。
「コーン……」
人の手で育てられたモンスターであるルクレールも同意するように頷いている。
とにかく、こんなところに長時間居続けたら気分が悪くなってしまう。
「はぁ……胸糞悪いな。帰るぞ、ルクレール」
不安げな表情を見せるルクレールの頭を優しく撫で、鼻を押さえながらその場から立ち去ろうとした時、マーセディズは草むらの奥に何かの気配を感じ取る。
「コ、コーン!」
「ああ……自然界に干渉するのはあまり良くないが、この状況を見せられると……な」
胸の奥からこみ上げてくる吐き気を我慢し、草むらを掻き分けた彼女らが見つけた「何か」とは一体……?
一方その頃、僕たちは木陰に戻ってマーセディズとルクレールの帰りを待ち侘びていた。
「遅いなぁ……あ、このキイチゴ美味しい……!」
「ジャムにしたり蒸留酒に入れたりしても美味しいんだけど――って、そんな話をしてたら姉さんたちが帰って来るわ」
「マーセディズさん、何か抱えてないか?」
凄い体勢で岩壁を滑り落ちてくるマーセディズを驚いたように指差すキヨマサ。
なぜならば、彼女が生き物と思わしき「何か」を両手に抱きかかえていたからであった。




