【35】GLACIER -悪を断つ氷剣-
キヨマサがナイトホークを仕留めたことを確認し、マーセディズはある決断を下す。
「キヨマサ、シャルルを連れて遠くまで逃げろッ!」
「あなたはどうするつもりだ!?」
「この程度、ボク一人でどうにでもなる! 気を惹いているうちに早くしやがれッ!」
声を荒げるマーセディズの気迫に圧倒され、キヨマサは彼女の指示へ素直に従うことにした。
マーセディズがブラックバードの注意を逸らしている間に巣穴へ向かい、奥に隠れていたシャーロットを引きずり出す。
「シャーロットさん、一人で走れますか?」
「ごめんなさい……歩くことはできるけど、全力疾走は難しいかもしれない……」
よく見るとシャーロットは右脚に裂傷を負っており、無理に走らせたら怪我を悪化させるおそれがあった。
「なるほど……仕方ない、しっかり掴まっててください!」
怪我の状態を考慮したキヨマサは膝の裏と背中へ腕を通し、お姫様抱っこの要領で銀髪碧眼の少女を持ち上げる。
「え……? ええッ!?」
驚きの声を上げるシャーロットをよそに、黒髪の少年はジェレミーたちとの合流を目指し大地を駆けるのだった。
「ホホーゥ!(逃がしはせん! その小娘と小僧も焼き払ってくれるわ!)」
逃げるキヨマサたちの方を振り向き、火炎弾を放たんとするブラックバード。
「やらせるかッ! 貴様の相手はこっちだ!」
それに対しマーセディズは氷属性マギア「アイスニードル」を放ち、黒鳥の嘴の中に生じていた炎をかき消していく。
「ゲホゲホッ!」
アイスニードルと火炎弾が互いに中和し合ったことで魔力水になり、意図せず水を流し込まれるようなカタチとなったブラックバードはむせて吐き出すしかなかった。
ちなみに、魔力が混ざった水は大抵の場合苦味が生じるため、お世辞にもゴクゴクと飲めるものではない。
「ホホゥ……!(貴様……こうなれば生きて帰さん!)」
苦い魔力水を全て吐き出し、銀色の騎士を睨みつけながらブラックバードは再び火炎弾を発生させる。
「鳥頭め、このまま溺死させてやる!」
先ほどと同じようにアイスニードルで対抗するマーセディズだったが、今回の火炎弾は強力なのか完全に中和することは叶わなかった。
火炎弾を打ち消すことは不可能だと判断し、即座に回避行動へと移るマーセディズ。
「ホーウッ!(同じ技は二度と通用せぬわッ! マギアの業火に焼かれて死ねよやッ!)」
次の瞬間、サイドステップで逃げる彼女に向けて青い火炎弾が放たれる。
おそらく、まともに食らったら骨さえ残らないほどの高熱に晒されるだろう。
「炎は青に近い色ほど熱い」というのはこの世界の常識である。
「くッ!」
追い掛けてくる火炎弾をマーセディズは剣で切り払い、ブラックバードとの間合いを取りながら体勢を立て直す。
ゴロゴロゴロ……!
銀色の騎士と黒き怪鳥が睨み合っていたその時、夜空に稲光が奔り雷鳴が響き渡る。
そして、雷を合図に突然冷たい雨が降り始めてきた。
「降ってきたか……!」
「ホゥ……!(雨か……このままだと本降りになりそうじゃな)」
身体へ纏わり付くような雨に対し、正反対の反応を見せる両者。
なぜ、ブラックバードが雨脚の変化を気にしているかというと……。
冷たい雨が黒鳥の嘴に触れると、真っ白な湯気となって空へ帰って行く。
これはつまり、ブラックバードのマギアが嘴を加熱させるほど熱いことを意味していた。
炎属性マギアを使いこなす彼にとって、雨というのは魔力の変換効率を常に低下させる、非常に面倒な状況であることは想像に容易い。
一方、氷属性が得意なマーセディズはそこまで悪影響を受けないため、彼女にとってはまさに恵みの雨と言えるだろう。
ただし、雨による体力消耗という悪条件は双方に対して作用するので、ブラックバードとマーセディズは互いに早期決着を狙っていた。
「ホホーゥッ!(ええい、マギアが使えんのなら直接攻撃で仕留めるまでじゃッ!)」
得意の火炎弾を封じられた黒鳥は大地を蹴り、身体全体を錐揉み回転させながら乾坤一擲の体当たり攻撃を仕掛ける。
その巨体を活かした質量攻撃はもちろん、鋭い嘴の直撃を受けたら怪我では済まされないかもしれない。
「くッ……!」
ブラックバードの攻撃を剣で受け流そうとするマーセディズだったが、体重と速度がもたらす衝撃を完全に抑えることはできず、得物を弾き飛ばされた彼女はそのまま後方へ倒れ込んでしまう。
「ホゥ……!(噂に聞いているぞ、銀色の騎士。我が同胞を屠った罪……万死に値する!)」
マーセディズを押さえ付けるように上から圧し掛かり、火炎弾の準備を始めるブラックバード。
雨で多少は威力が削がれるとはいえ、互いの顔がよく見えるほどの至近距離ならば焼け石に水だ。
「(さて、どうするマーセディズ? こんなところで食い殺されるわけにはいくまい……!)」
この危機的状況を打開するため、自問自答しつつマーセディズが取った作戦とは……。
ブラックバードの鋭い嘴が襲い掛かる直前、マーセディズは黒鳥の胸部へ魔力を込めた鉄拳を叩き込む。
勢いだけは悪くないが、倒れた状態なので如何せん威力にはあまり期待できなかった。
「ホーゥ?(悪足搔きとはまさにこのこと! 苦しまぬよう逝かせてくれ――ぬッ!?)」
マーセディズのパンチは全く効果が無い――かと思いきや、胸部に不快な痛みを覚えたブラックバードは苦しみながら後退りしていく。
身体がフリーになったマーセディズはすぐに後転しながら立ち上がり、先ほど弾き飛ばされた聖剣「ストライダー」を回収する。
泥濘の中に落ちたせいで泥塗れになっていたが、今はそんなことを気にしている場合では無い。
「どうやら、この雨はボクに味方してくれるみたいだな……!」
柄に付着した泥を振り払い、剣を力強く握り直すマーセディズ。
そんな彼女を忌々しく睨みつけるブラックバードの胸部には氷が食い込み、季節外れの凍傷を進行させつつあった。
「ホホーゥッ!!(これしきの小細工が通じると思うなよ……小娘ッ!!)」
凍傷特有の灼け付くような痛みを堪え、嘴の中に再び魔力を集中させるブラックバード。
この時期の夜は気温が下がりやすいことに加え、地面を柔らかくするほどの大雨が凍傷をどんどん悪化させる要因となっていた。
「ホゥ!(ええい、ままよ! 発射する!)」
自慢の嘴から白い湯気が上がっているのを確認し、ブラックバードは蒼白い火炎弾を銀色の騎士に向かって放つ。
「フッ、効くものか!」
それを見たマーセディズは剣に魔力を込め、迫り来る火炎弾を冷静に切り払っていく。
「ホッ、ホッ、ホッ!」
焦り始めたブラックバードは三連続攻撃で畳み掛けようとするが、流れを掴んだマーセディズには全く命中しない。
「ここで息の根を止めてやるぞ……凶鳥め!」
黒鳥の闇雲な攻撃が途切れるタイミングを見計らい、銀色に輝く聖剣を夜空へ掲げるマーセディズ。
磨き上げられた刀身は透明な氷で覆われていき、やがて巨大な氷の剣へとその姿を変える。
魔力を通しやすい聖剣だからこそ為せる業だ。
「全てを氷河に打ち砕け! アイデオン・ソードッ!!」
大きく重たい氷の刃を振り上げ、銀色の騎士は特別な詠唱と共に聖剣「ストライダー」を振り下ろすのだった。
天高く伸びる氷の柱――。
「ホ……ホホゥ……!?(何だこれは……これが……マギアの本懐とでも言うのか!?)」
それが迫り来る状況にはさすがのブラックバードもかつてない恐怖を抱き、凍傷を負った胸部を庇いながら逃走を試みる。
だが、もう遅い。
泥濘に足を取られた黒鳥はそのまま転倒し、恐れおののきながら自らの不幸――マーセディズを本気で怒らせたことを呪うしかなかった。
「ホホゥ……ホァーッ――!?(や、やめるのじゃ……う、うわーッ――!?)」
次の瞬間、ブラックバードの情けない命乞いはアイデオン・ソードの一振りによって掻き消されてしまう。
黒鳥の身体は氷の刃が近付いた時点で完全に凍り付き、そしてガラス細工のように粉々に砕け散っていく。
絶対零度の一撃が終わった時、ブラックバードが転倒していた場所には足跡だけが遺されていた。
【魔力水】
本文中にも書いてある通り、魔力が混ざっている水を指す。
本来はポーション作成時の主原料に使う物であり、浄水せずに飲用するとマズいうえにお腹を壊すハメになる。




