【13】REUNION -滝壺の女神様-
僕とキヨマサの旅は早くも4日目に突入していた。
グッドランド-ホームステッド間の直線距離は約210kmであり、これは人間の移動能力だと片道1週間ほど掛かる距離だ。
駅馬車のような公共交通機関を使えれば良かったのだが、残念ながら僕たちが歩いている「カイオワ街道」には路線自体が存在しない。
確かに、馬車を走らせるのに少々厳しい道なのは否定できないが……。
「セントラル街道が使えれば楽だったんだがな。先日の土砂崩れで道が塞がったままらしい」
剣術の指南書を読みながら愚痴るキヨマサ。
グッドランド北側とスターシア王国の首都リリーフィールドを繋ぐ、国内で最も整備された道――それがセントラル街道だ。
カイオワ街道はお世辞にも便利とは言い難いため、グッドランド-リリーフィールド間の往来はセントラル街道が主流なのだが、僕がこの世界で目覚める前に起きた豪雨災害の復旧工事中らしい。
リリーフィールド-ホームステッド間は駅馬車が運航されており、天候が良ければ20時間程度で辿り着けるという。
グッドランドとリリーフィールドが約60km(徒歩で2日相当)しか離れていないことを考えると、本来はグッドランド-リリーフィールド-ホームステッドとあえて遠回りするほうが早いのだ。
……つまり、約1日で60kmを往復したアナベルは常識外れの移動能力を持つことになるが、それには触れないでおこう。
旅立ちから5日目の朝、僕たちの冒険にようやく動きが生じる。
野宿用の小型軽量テントを片付け、整備が行き届いているとは言い難い街道を進んでいると、別の冒険者の物と思わしきテントが目に入った。
「あのテント……持ち主はいないみたいだね」
「使われている痕跡があるな。おそらく、近くの水場で水浴びでもしているんだろう」
こんな話をしていても実りが無い。
そのまま素通りして進もうとした時、キヨマサが僕のことを呼び止める。
「待て、せっかくだから俺たちも飲み水を補給しよう。水場はどこにでもあるわけじゃないからな」
確かに彼の言う通りだ。
食べ物は1日ぐらい無くても何とかなるが、水分は定期的に摂取しなければ命に関わる。
ここは砂漠のど真ん中じゃないんだし、干からびて死ぬのだけは勘弁したい。
「そうだね、ここで必要分は全て汲んでいこうか」
僕はキヨマサの提案を受け入れ、彼と一緒に水場探しを始めるのだった。
セイヨウタンポポが咲き乱れる草原を5分ほど歩いていると、進行方向に小さな滝が見えてきた。
「あの滝の滝壺なんかどうだろう? 見た感じ水質はかなり良さそうだが」
「へぇ、スターシアにも沸騰させないとダメな湧水があるんだ」
この世界で初めて目覚めた時、僕に最初に取った行動は水分補給であった。
あの時はたまたま目についた小川の水をそのまま飲んだが、それでお腹を壊さなかったのは幸運だったらしい。
例の小川はとても綺麗で衛生状態は問題無く、水の硬度も僕の体質に合っていたようだ。
「俺が最初に苦労したのは飲み水だったな。元々スターシアの水質と相性が悪かったみたいで、昔は下痢によく悩まされてた。おかげで水を飲むためにいちいち沸騰させないとダメだったから、あの頃は正直しんどかったぜ」
キヨマサにそんな弱点があったんだ――と思いつつ、興味が湧いた僕は話を深く掘り下げてみる。
「生水を飲めないのは君だけだったの?」
「いや、まあ……泥水なんか飲んだら誰だって酷い目に遭うが、俺は汲みたての水でさえダメなことがあるからな。アナベルみたいな生粋のスターシア人は問題無いらしいが……」
なるほど、それはキヨマサ自身の体質的な問題みたいだ。
綺麗な水をガブガブ飲める点に関しては、この中性的な身体に感謝すべきかもしれない。
「そういえばさ、キヨマサは水に硬さがあることは知ってる?」
記憶喪失に悩まされている僕たちだが、なぜか「水の硬度」という知識だけは多少覚えていた。
「ああ、軟水と硬水だろ? ギルドのカフェテリアの料理長が『スターシアの水は硬い』と言っていたな」
「たぶんだけど、君が下痢を起こしてたのはそのせいじゃない? もしかしたら、本当は軟水が主流の地域出身なのかもしれないね」
「お前の予想が的中してたら嬉しいんだがな」
何気無い会話をしながら進んでいると、ついに水の流れ落ちる音が聞こえてくる。
目的の水場まではあと少しだ。
ここは森の中にある無名滝の滝壺。
水の透明度は極めて高く、飲み水にも生活用水にもそのまま使えそうだ。
「(ボクとしたことが油断しすぎたな。まさか、蒐集癖のあるモンスターに鎧を盗まれるとは……)」
人目に付かない水場の中に一人佇む、銀髪の美しい女性。
彼女はれっきとした人間であるが、傍から見ると「湖の女神」を思わせる、彫刻のモチーフになりそうな裸体を晒していた。
……地面に置かれている着替えの中に剣が混じっていなければ、なお良かったのだが。
「ッ!」
今、水の音に掻き消されそうなほど小さく「ガサガサッ」と聞こえた。
誰かがこちらへ近付いて来る。
自慢ではないが、銀髪の女騎士はスターシアではちょっとした有名人である。
報酬や復讐を目的に彼女の命を狙う者かもしれない。
着替えの山に隠していた聖剣「ストライダー」を取り出し、氷属性マギア「アイスニードル」の詠唱準備を整えながら侵入者を待ち構える。
スターシア王国の騎士は逃げも隠れもしないのだ。
足音から察するに刺客は2人。
重装備ではないが、荷物をそれなりに背負っているらしい。
まあいい、相手が姿を現せば全て分かる。
3、2、1……来た!
「このボクに闇討ちとは――って、ジェレミー!?」
「ま、マーセディズなの!?」
銀髪の女騎士――マーセディズが剣を向けた先には、見慣れた顔の少年たちが立ち尽くしていた。




