【131】REVIVAL -私のたった一つの願い-
「……」
今、少しだけイレインの顔がビクッと動いた気がする。
……気のせいだろうか?
「……」
いや、やはり気のせいじゃなさそうだ。
「(なあ……イレインさんの顔、少しだけ動かなかったか?)」
「(僕もそう思う。あと、心なしか血色が良くなっているように見えるね)」
同じ疑問を抱いていたキヨマサと小声で言葉を交わしていると、やがてイレインの亡骸に大きな変化が訪れる。
「……! ねえ、今イレインの右手が動いたよね……!?」
「ええ、もしかして……あの女の人の魔力……なのかしら?」
リラックが唱えていた未知のマギアの効果が行き届いたのか、ソフィとシャーリーが見ている目の前でイレインの右手が再び動く。
まるで、肉体が死後硬直の影響を受けていないか確かめるように……。
「イレインッ! 目を覚ましてくれ! アンタは自分の役目を終えたと思っているかもしれないけど、アタシたちはまだアンタを必要としているんだ!」
僅かながら希望が見えてきたイーディスは必死に叫ぶ。
アンタが帰ってくるのをみんな待っている、と――。
「アタシもその中の一人なんだぞ! 娼婦と泥棒以外の生き方を知らない下賤なアタシをどん底から救い出し、真人間にしてくれたのはアンタだった!」
口は悪いが頼れるリーダーとしてイレインはスカヴェンジャーの皆から尊敬を受けていた。
その中でも人生自体を救われたイーディスは誰よりもイレインのことを慕っており、彼女のためであれば何だってできると思っている。
「アンタは幼馴染のところに逝きたいかもしれないけどな……アタシはその逆だよ! アンタにはどこにも逝ってほしくない! 9年前、リリーフィールドの『飾り窓』で凍え死にそうになっていたアタシに手を差し伸べ、しかも身請けで自由にしてくれた恩義をまだ返していないのに……!」
9年前の恩を決して忘れてなどいない。
だから、それに報いる機会を奪わないでくれと必死に願うイーディス。
「……う……うぅ……」
「イレイン! イレインッ……!」
そして、彼女の願いと祈りは確かに届いていた。
「う……イー……ディス……?」
誰もが二度と開くことは無いと絶望視していた紅い瞳。
「わたし……いや、オレは……危うく彼方に逝きそうだったようだな……」
一度は消えた命の炎が再び灯された時、イレインが最初に放ったのは「あの世の入り口が見えていた」という趣旨の一言であった。
「イレイン……!」
「おいおい、お前がそんなに泣くところを見るのは初めてだ……まだオレ様のことを悲しんでくれる人がいるし、この世も捨てたもんじゃないな」
涙ぐんでいるイーディスに肩を支えられ、両脚に力を込めながらゆっくりと立ち上がるイレイン。
「……オレを直接的に呼び戻してくれたのは君だろ? 何者か分かんねえけどありがとうな」
自力で立てるようになった彼女は初対面であるはずのリラックに歩み寄り、真っ白な手を優しく握り締めながら感謝の言葉を述べる。
「私の名前はリラック。貴女が探し求めていた『ヤスマリナのランプ』に封じられていた者ですわ」
「そうか……謎の邪神が出てきた時は騙されたと思ったが、あのランプの伝説は半分本当だったようだな」
一通りの会話を終え、まだ万全とは言い難いイレインはその場に座り込んでしまう。
「貴女の友人たちには経緯を話していますので、貴女にも簡潔に説明いたしますね」
彼女を気遣うように続けてしゃがみ込むと、リラックは微笑みながら次のように告げるのであった。
「愚かな私を助けてくれた貴女を『マスター』と認め、3つの願いを叶えましょう」
そのランプを手に入れた者は願い事を3つまで叶えることができる――。
誰もがおとぎ話だと思っていた伝説は確かに実在したのだ。
そして今、イレインは18年間の悲願の成就を目前に控えていた。
「……リラックといったな? 願い事を言う前に一つだけ聞いていいか?」
「何でしょうか?」
だが……本当にこれでいいのだろうか?
生と死の概念を覆し、自然の摂理を捻じ曲げてまで……それをアイリスは望んでいるのだろうか?
そして、「ヤスマリナのランプ」の伝説についてもう一つ気になることがある。
「君が叶えられる願い事は3つまでだそうだが、マスターの願いを全て叶えた後はどうなるんだ?」
「ああ、それならばご心配無く。伝説として語られている『途轍もない災厄』というものは存在しないので――」
「そうではないッ! その後の君の処遇について聞いているんだ!」
イレインが突然大声を上げたことにリラックは驚くが、質問の意図を察すると彼女は表情を曇らせる。
「……私が人々の願いを叶えているのは、古に犯した大罪を償うためです。おそらく、貴女の願いを叶えれば私の魂は完全に浄化され、安らかな眠りに就くことができるでしょう」
罪を全て償った先に待っているのは、死というある意味では究極の救済――。
しかし、とてもじゃないがリラックがその結末を望んでいるようには見えなかった。
18年前に喪った幼馴染を蘇らせるか、目の前にいる可哀想な神様のために願うか――。
なあアイリス、君だったらどっちの道を選ぶ?
……いや、愚問だな。
君は自分よりも他人の幸せを望む優しい娘だった。
ならば……私も君の想いを尊重しよう……!
「そうか……分かった! 3つ分の権利を全て行使し、私は願おう!」
「3つ分……ですか?」
願い事は1つだけ――その代わり、3つ分の権利が必要なほどの願いだと言い切った人間は初めてだったのだろう。
リラックは目を丸くしながら聞き返している。
「ああそうだ、私のたった一つの願いは……」
次の瞬間、僕たちはイレインの「たった一つの願い」に耳を疑うのであった。
【飾り窓】
リリーフィールドの下町にある風俗街の俗称。
その特徴的な営業形態からこの名が付いたとされる。




