【103】COMPENSATION -裏切りの代償-
「(その位置からだと!? クソッ、そんなもん防げねえぞ……!)」
キヨマサは仮面の女が自分の後方に回り込み、そこから大技を仕掛けてくるところまでは捉えていた。
ただ、実際に体が防御態勢へ移るのは少し遅かったようだ。
「(冗談じゃねえ……こんなところで俺は終わるのか……!?)」
仮面の女の鉤爪がスローモーションで迫って来る。
俺にはもう打つ手が無い――!
さすがのキヨマサも死を覚悟したが、事態は彼が予想だにしなかった方向へと動き出す……。
「キヨマサッ!!」
「何ッ……!?」
仮面の女のエリアル・リゼアンジュ・アサルトが炸裂しようとしたその時、まるでキヨマサを押し出すかのように黒い人影――シャーロットが横から乱入してくる。
既に急降下体勢に入っている仮面の女はターゲティングを変えることができない。
「し、シャーロットッ!」
叫び声を上げるキヨマサの目の前で二人の女が交錯し、シャーロットの細い身体を鋭く研ぎ澄まされた鉤爪が貫く。
本来真っ黒なはずの鉤爪は鮮血の赤に染められていた。
「ええいッ!」
想定外の妨害に遭った仮面の女はシャーロットから鉤爪を引き抜き、すぐに本来の攻撃対象であるキヨマサへと狙いを切り替える。
「恋人のおかげで一度は命拾いしたな……だが、奇跡は一度だけだ。今度は確実に当てる!」
「この野郎ッ! よくもシャーロットを……!」
怒りのあまり自ら斬りかかろうと前へ踏み出すキヨマサ。
一方、彼の急所を切り裂くべくギリギリまで引き付けようとする仮面の女。
「その仮面ごとぶった切ってくれる!」
冷静さを欠いているキヨマサの突撃を目の当たりにし、仮面の女は勝利を確信した。
だが、本当に油断していたのはむしろ仮面の女のほうであった。
「ゲキオコーン!!」
キヨマサと仮面の女が交錯する直前、全身の毛を逆立てさせたルクレールが咆哮しながら乱入し、仮面の女のアイデンティティともいえる「仮面」にガブリと喰らいつく。
シャーロットが傷付けられたことに怒っているのはルクレールも同じであり、彼は自らの意思で敵に立ち向かうことを選んだのだ。
普段からしっかりと躾けられ、強い主従関係が結ばれているからこその行動である。
「いいぞルクレール! そのまま仮面の女の仮面を引き剥がしてやれ!」
「オコォォォンッ!」
ルクレールの種族「フーシエン」は極めて高い知能を持つことで知られており、飼い主以外の命令であっても意図を察して実行することができるのだ。
「くッ、ケダモノめ!」
「コォォン!」
苛立つ仮面の女の攻撃を細かい動きでかわしつつ、仮面を引き剥がすため顎に力を込めるルクレール。
そして……!
「コン!?」
「仮面が……!」
ルクレールが引っ張り続けたことで結び目が緩くなっていた仮面は宙を舞い、そのままキヨマサの目の前へと落ちてくるのだった。
仮面の女の「仮面」は彼女にとってのアイデンティティ。
しかし、彼女はそれを回収するつもりは無いようだ。
「命拾いしたなキヨマサ君。どうやら、今回は私の負けを認めざるを得ないな……」
素顔を両手で上手い具合に隠しつつ、玄関から外へ飛び出しそのまま姿をくらましてしまう仮面の女。
彼女の正体や襲撃理由を知ることはできなかったが、当面の脅威はとりあえず退けた。
「ふぅ……」
精神的に落ち着き始めたことでドッと疲れが出たのか、タメ息をつきながらその場に座り込むキヨマサ。
「オコーン……」
「ピッピリッピー!」
近付いてきたルクレールとアスカの頭を撫でてあげた後、キヨマサは再び立ち上がってシャーロットの隣へ歩み寄ると、彼女の服を脱がして怪我の状態を確認する。
今は恥ずかしいなどと言っている場合ではない。
「うッ……結構深くやられているな。この傷だと回復薬じゃ『焼け石に水』だ……!」
鉤爪で貫かれていた腹部は赤く染まり、傷口からは今も血が流れ出ている。
残念だが、医療知識の無いキヨマサにできるのは最低限の応急手当だけであった。
消毒薬で傷口の殺菌を行いつつ、普通の冒険者がギルドで覚えさせられる止血法で対処を試みるキヨマサ。
だが、仮面の女が使っていた鉤爪には特殊加工が施されていたらしく、一般的な圧迫止血ではなかなか止まってくれない。
有効な止血ができないとシャーロットの血液はどんどん失われ、いずれ彼女は失血死してしまうだろう。
「クソッ! 血が全く止まらん……俺にはどうすることもできないのか?」
医療知識が無ければ有効な回復マギアも習得していない――。
自らの不甲斐なさにキヨマサは怒りと焦りを浮かべ始める。
「うぅ……キヨマサ……」
その絶望的な空気を察したのか、残り少ない体力を振り絞り何かを伝えようとするシャーロット。
「仲間を……姉さんが認めた男を裏切った末路……ね」
「もういい、何も喋るな!」
「キヨマサ……アイツはまた……あなたを狙いに来るわ……」
「喋るなシャルル!」
仮面の女はあなたを殺すために何度もやって来る――。
それだけを言い残すと、シャーロットは死んだように意識を失ってしまうのだった。
「シャーロット……」
腹部が上下しているので呼吸はできているようだが、その動きはとても弱々しく今にも力尽きそうだ。
シャーロットの指示を守り今すぐこの場所を離れれば、しばらくは刺客から行方をくらませることができるだろう。
……いや、命懸けで守ってくれた彼女を見捨てることはキヨマサの中にある「道」が許さなかった。
「コーン……」
「ああ、分かっている。お前のご主人様を見殺しにはしない」
「コーン! オコーン!」
「あ! どこに行くんだルクレール!?」
不安げに飼い主の横顔を見つめた後、ルクレールは決意に満ちた鳴き声を上げると突然玄関から飛び出していく。
「ピッピリッピー!」
「アスカもかよ!? お前ら勝手にうろつくんじゃない!」
キヨマサのファミリアであるアスカも飼い主の制止を振り切り、小さな窓から曇り空に向かって飛翔する。
二匹のファミリアが目指している場所は一体……?




