第0話
二つのまあるいビー玉が、じいっとこちらを見つめています。
「まあ、可愛らしいこと」
あたしがそう声をかけると、大きなおでこを襖の向こうに隠してしまい、代わりにクスクスという悪戯っぽい声だけが部屋の中に入ってきました。
「どうしたの、こっちにいらっしゃい」
そう言うと今度は足をちょこんと見せ、またすぐに隠してはクスクスという声だけが返ってきます。その次は手を見せ、おもちゃを見せ、何度か繰り返す内に飽きてきたのでしょう、最後には甲高い声を上げてあたしの所に駆け寄ってきました。
彼女はあたしの隣に腰を下ろし、あたしの格好を真似ては本を開いて、足をバタバタさせながら体を揺らします。あたしは「やれやれ」と言いながら、内心はウキウキしつつ読んでいた本を閉じます。すると彼女も本を閉じ、あたし以上にウキウキとした顔を向けてきました。こんな年寄りの相手を喜んでしてくれるのは、もうこの子しか居ません。
「さあて、今日はどんなお話をしようかね」
これまでにも色んな話をしてきました。昔読んだ本の内容であったり、この子が生まれる前に居た大きな犬のことであったり、そうそうこの間なんかはお父さんがお寝しょをしていた頃を聞かせて、終始彼女を驚かせたりもしました。それでも彼女の興味は尽きることがなく、いつも新しい話を聞きにきます。
「ねえねえ、おばあちゃん、コイって分かる?」
「コイ?」
「うん! あのね、大人はみーんなコイをするんだって聞いたの」
「ああ、恋かい」
……なんて、なんでもない素振りをしていますが、ついこの間ようやく歩けるようになったはずの孫から恋なんて言葉が出てくるのは、どうにも嬉しいやら寂しいやらで落ち着きません。
あたしは少しだけ空を見上げて、ゆっくりと気持ちを整えながら、どんな恋の話をしようかと考えました。
「そうだねえ……」
考えても考えても、たった一つの恋しか浮かんできません。それが何だかおかしくって、思わず笑みがこぼれてしまいます。
「ふふっ。じゃあ、おばあちゃんのとっておきを教えてあげる」
こうしてあたしは語り始めました。二つのまあるいビー玉を見つめながら、今でも鮮明に色濃く残る、絵画のようなあのお話を。