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1 まずはハンドピッキング

「田浦! 通ったぞ、あの案」

 椅子に座った勢いで軽くキャスターを滑らせ、羽重(はじゅう)光志郎は斜め後ろのデスクに近づいた。

 後輩の田浦青一が振り向いて、笑顔を見せる。

「おめでとうございます! やりましたね」

「色々考えてくれて助かったよ」

「お、今夜はおごりですか?」

「おごるおごる。ついでに昼飯もおごるから、つきあってくれ」

 上着を取りながら立ち上がる羽重に、田浦も「喜んでー!」と立ち上がった。


 エレベーターを降りてビルの外に出ると、ビル風が上着をはためかせる。季節は初夏、路面に落ちる陰が濃くなり始めていた。


 雑踏に紛れながら、羽重が話し始める。

「俺の新しいカフェチェーンの企画、コンセプトは『広い世界の身近なコーヒー』だろ。ショップのデザイン案はお前に手伝ってもらったし、豆はすでに他の事業部のルートを利用して、世界のあちこちで厳選したものを取り寄せる算段がついた」

「大企業ならではの売りですよね。後は、『身近な』の部分か」

「うん。まあ、日本で有名な珈琲焙煎(ばいせん)職人、焙煎士に、焙煎を大量注文しようと思ってた。でも『日本』っていうだけでなく、もっと身近にしたくなったんだ。……まだ知られてない焙煎士に頼むのもいいかって」

「どういう意味です?」

「まず一人か二人、一号店の地元から焙煎士を探し出して、一号店の分だけ焙煎してもらう。成功すれば、二号、三号店ではまた別の人に焙煎してもらう。で、その人の名前を明記する」

「……あ、なるほど!」

 いぶかしげだった田浦が、ようやく表情を明るくした。

「最近では、野菜にも誰が育てたか名前が記されてますもんね」

「そう。匿名で何でもできる時代、名前を出すことは信頼感につながる。あれをコーヒー豆の焙煎でやりたいんだ。店舗によってその地域の焙煎士が焙煎したコーヒーを出す。例えば『田浦さんのコーヒー』みたいに、名前を冠して。地域密着型カフェになるわけだ。その案が、今朝通った」

「そうすると、豆は同じでも、別店舗では別の焙煎(ロースト)の仕方のコーヒーが飲める。出かけた先で見つけた別店舗にも、入ってみようって気になるかも」

「だろ。……で、実はもう、栄えある一号店で出したい味の候補を見つけてあるんだ」

「ええ? 早っ」

 驚く田浦を連れ、羽重は大通りから住宅街へと入っていった。


 大きなビルの建ち並ぶ通りから少し離れると、古い町並みが残っている。その中に、いくつかの商店が並ぶ路地があった。

 羽重はその中の一件、『弁当屋かつらぎ』の前に立つ。田浦は、店の看板やら露台に並べられた弁当やらを見回し、店の奥をちらっとのぞき込んだ。

「こんなとこに、弁当屋あったんですね」

「何にする? ここのチキン南蛮弁当、美味いんだ」

「俺、タルタル苦手なんですよ。生姜焼き弁当で。……で、そのうまいコーヒー、どこで見つけたんです?」

「ちょっと待て」

 いらっしゃいませー、と奥から出てきた若い女性店員に、羽重はチキン南蛮弁当と生姜焼き弁当を注文した。

 店員は弁当を別々のポリ袋に入れると、側にあったディスペンサーのレバーを押して紙コップにコーヒーを注いだ。

「サービスです、どうぞ」

「どうも!」

 弁当とプラスチックの蓋をしたカップを受け取り、羽重と田浦は店から数歩離れた所で立ち止まる。

「飲んでみ」

 羽重に言われ、田浦は弁当を傾けないように苦労しながら紙コップの蓋を外し、一口含んだ。

「……む」

「な?」

 短いやりとり。田浦はもう一口飲むと、うなずいた。

「いいですね」

「あれだ」

 羽重は店の片隅の棚を指さした。銀色の袋でコーヒー豆を売っているのだが、そのラベルはいかにも手作り風の素朴なものだ。

「明らかに、スーパーとかで買ってきた豆じゃありませんね」

「だろ。よし、口説くぞー」


 羽重はもう一度弁当屋に戻ると、さきほどの女性店員に声をかけた。

「お姉さん、すみません。このコーヒー美味いですね、どこの豆を使ってるんですか?」

「あ、それね、私のお友達の店で買ってるんです」

 店員はにこやかに教えてくれる。

「美味しいでしょ? コーヒー目当てでお弁当買ってくれるお客さんもいるんですよ」

「弁当も美味いですよ、前にやってたチンジャオロース弁当も復活させて欲しいな」

 抜け目なく頼んでおいてから、羽重は説明した。

「うちの会社で今度、新しいカフェを作るんで、豆の仕入先を選定中なんです。よかったら、お姉さんのご友人が豆を仕入れてる所を知りたいんですが」

「わあ、すごい!」

 女性店員は、手を合わせて喜んだ。

「これね、その友達が焙煎してるんです。お店って焙煎所なんですよ」

「え、その方が? 焙煎士?」

 驚く羽重に、「手間が省けたなぁ」と田浦がつぶやく。店員はさっさと携帯電話を取り出した。

「連絡してみるんで、ちょっと待って下さい」

「お願いします。これ俺の名刺です」

「どうも! うわ、大きい会社……。お父さん、ここ代わってー」

 彼女は奥に声をかけ、店主と売り子を交代した。そして奥で携帯電話を耳に当てる。すぐに相手が出たのか、羽重の名刺を見ながら何か話し始めたかと思うと、笑い声が挟まった。親しげな様子だ。

 やがて彼女は電話を切り、店の表に出てきた。

「『丘咲(おかさき)珈琲焙煎所』っていうところで、場所が門前仲町なんですけど大丈夫ですか? 電話してもらってもいいし、直接来てもらってもいいって」

 羽重はすぐに自分の携帯を取り出し、電話番号と住所を登録する。

 横から田浦が尋ねた。

「お姉さんのお友達っていうことは、同年代の方ですか?」

「はい、高校の同級生です。桂木の紹介だって言えばわかりますから」

「ありがとうございました、助かります」

 礼を言って弁当屋を離れながら、羽重は田浦に言った。

「午後、早速行ってみる」

「信頼できる人だといいですね」

「うん。名前を借りる以上、問題でも起きると今はすぐにネットで炎上だからな」

「今回みたいに、一応知ってる人が喜んで紹介してくれると、ちょっと安心ですね。でも候補が一人ってわけには行かないな、他にも探しましょう」

「そっちは頼んだ」

「了解」


 

 東京の下町、門前仲町・清澄白河・木場のあたりは、古くは木材倉庫が立ち並んでいた地域だ。その建物を利用して大型焙煎機を置き、コーヒー豆の焙煎をしている店がいくつもある。

 その中の一軒の前に、羽重は立っていた。板に白いペンキで『丘咲珈琲焙煎所』と書かれた看板は、黒のワイヤーを装飾的に絡みつかせてぶら下げてある。

「すみません」

 ガラスの引き戸を開けて中に入ると、広い作業場にテーブルと大きな焙煎機があり、テーブルの上の浅い木箱にかがみ込んでいた女性が顔を上げた。

「はい」

 化粧っ気はほとんどないが、大きな黒目が印象的な女性だった。


 ふと、羽重は思う。自分は「見つけた」らしい、と。


 二十代半ばに見える彼女は、身軽な動きで立ち上がる。羽重は話しかけた。 

「失礼します。桂木さんの紹介で……」

「あっ」

 女性はあわててテーブルを回り込んで来ると、羽重が名乗りながら差し出した名刺を両手で受け取り頭を下げた。

「丘咲(とう)()です。すみません、大企業の方にこんな場所に来ていただいて」

 羽重はてっきり男性だと思っていたが、どうやらこの女性が焙煎士らしい。相手が年下か同い年くらいの女性とあって、緊張が解けた羽重はついまじまじと彼女を見つめながら言う。

「いえ、こちらがお願いしたいことがあって伺ったので」

 丘咲と名乗った女性は戸惑った表情になった。

「私がお話を伺っていいんでしょうか。今、父がいなくて申し訳ないんですが」

「あれ、『かつらぎ』のコーヒーは、お父上が焙煎をなさってるんですか?」

「ええと、前はそうだったんですが、ここ二年ほどは私が……。あ、おかけになって下さい。今コーヒーを」

 丘咲は椅子を勧め、すぐ隣の開け放した扉に向かう。「お構いなく」と羽重は声をかけたが、ここでコーヒーを飲んでみたいとは思っていた。

 隣の部屋でガスの火をつける音がして、すぐに彼女は戻ってきた。

 羽重はテーブルの上に視線をやり、会話のきっかけを探す。

「それも、焙煎のための作業ですよね」

「あ、はい」

 浅い木箱の方に、丘咲も目をやった。ハンドピッキングと呼ばれる、欠点豆を取り除く手作業の途中だったらしい。この作業は焙煎前、そして焙煎の後にも行われる。

「失礼ですが、お若いですね。桂木さんの同級生の方が焙煎していると聞いてびっくりしました」

「はい、あの、まだ始めて四年くらいです。一人でやり始めたのもやっと二年前で、それまでは父の手伝いをしながら教わっていました」

 視線の置き所を探しているのか、彼女が店の奥を見る。羽重もそちらに目を向けると、温度計やスイッチがいくつもついた銀色の機械があった。焙煎機だ。

「では、独立された?」

「いえ……でも結果的には……ええと」

 丘咲が言葉を選んでいるうちに、ピーという懐かしい音。ヤカンだ。丘咲が席を立って行き、いったんヤカンの音が止まる。続いて、ゴリゴリと固いものをこするような音。コーヒー豆を挽いているのだろう。

 やがて彼女は、トレイにコーヒーカップを載せて戻ってきた。

「お待たせしました、どうぞ」

「いただきます」

 羽重はカップを手に取った。ふっ、と香りが立つ。

 おそらく、炒ってそれほど経っていない豆を挽き、そしてすぐにハンドドリップで淹れたばかりのコーヒーとは、何とも贅沢だ。彼は一口含んだ。

「……『かつらぎ』で飲んだものも美味かったけど、あー、格段に美味いな。すごい」

 思わず満足のため息をついてから、羽重は丘咲に説明した。

「桂木さんからお聞きかもしれませんが、うちの会社で新しく展開するカフェで美味しいコーヒーを出したいと思って、探していたんです。桂木さんのところで飲んだコーヒーがとても美味しかったので、こちらを紹介してもらいまして」

「ありがとうございます……。私はまだまだなので、本当は父がお受けするべきお話だと思うんですが」

 丘咲は視線を落とし、眉を八の字にする。

「実は、父は豆も自分で選定したくなったとかでブラジルに行っちゃって。あちらがすっかり気に入ってしまったんです。留守番の私に、定期的に自分で選定した豆を送ってきて、これを焙煎しろって。この間とうとう、現地で再婚しちゃって」

「それは……何というか。行動的な方ですね」

「こうと決めたら聞かなくて。それで、経験の浅い私が仕方なく、一人で後を引き受けているだけなんです。この仕事は好きですけど、そちらのような大企業とのお仕事なんて、申し訳ないんですけど、ちょっと無理じゃないかなって。……ごめんなさい」

 いきなり謝られた羽重は、あわてて書類鞄から企画書を取り出した。

「詳しいお話だけでも、聞いて下さい」


「一店舗の分だけ、焙煎すればいいということなんですね……」

 丘咲は独り言のように言いながら企画書を読んでいたが、すぐに眉を八の字にして顔を上げた。

「あの、これ、一号店って……つまり、このお店が成功しないと二号店三号店ができないっていうことですよね? やっぱり無理です、私なんかじゃ荷が重すぎます」

「今、このコーヒーを頂いて、自分は大丈夫だと思いました」

 羽重はソーサーに軽く触れた。

「ナッツみたいな風味がして軽い飲み口なのに、すごく満足感があって。これを飲みに通いたいくらいです」

「でも」

 うつむきながら、丘咲は言う。

「本当に、手を広げるつもりなんか全然なかったんです。だって、私が最初に焙煎をやりたいと思ったのは」

 急に言葉がとぎれ、丘咲はあわてて言い直した。

「いえ、えっと……私には一号店のラインナップなんて責任重大すぎて。そう、ほら、うちって今は私一人でやってるので、もし私が病気にでもなったら企画倒れになってしまうでしょう? ちゃんと、安定してお仕事できるところにお願いした方がいいと思います」

 その誠実な返事を聞いた羽重は、さっき「見つけた」と思ったのは正しかった、と確信した。本気で口説きにかかる。

「そのリスクは考えているので大丈夫です、他にも声はかけています。でも俺は、あなたのコーヒーは『主役』になれると思っています」

「そ、それが怖いんです」

 及び腰の丘咲に、しまった、と羽重は脳内で作戦を立て直す。この女性焙煎士は、目立つことが苦手なようだ。彼女自身が『主役』なのではなく、あくまでも裏方、あくまでも縁の下……

 羽重はとっさに、少し言い方を変えた。

「『コーヒーという主役』を、『かつらぎ』のお姉さんが淹れて、弁当と一緒に『店』という舞台に出していたわけです。お客さんが飲んでいるところを見てみたことがありますか?」

「いえ」

「美味い美味いって喜んでますよ。コーヒー目当てで来るお客さんもいるとか。一度、こっそり電柱の陰から見てみたらいいのに」

「電柱……」

 思わずと言った様子で、丘咲が顔をほころばせた。

 香り立つような笑顔だった。

 羽重はつい、会話を途切れさせてしまった。が、この雰囲気を逃す手はない。もっと彼女の笑顔を引き出さなくては、話はまとまらないかもしれない。

 ふと思いつき、羽重は急いで「ちょっと失礼」と携帯を取り出すと予定を確認した。

「……来週の月曜日、お時間ありますか?」

「えっ、ええと……」

「あなたに、飲んでみてほしいコーヒーがある。今回の件のお返事は、それからで構わないので。あ、短時間で終わります」

「そ、そうですか……それなら。あの、お断りしてしまうかもしれませんけど」

 丘咲はうなずいた。羽重も笑みを作る。

「まずは飲んでからってことで。あ、ちなみに、ここで豆は買えますか? 俺が今日、ここで買って帰りたいんですが」

「え、あ、ありがとうございます」

 少し安心したのか、丘咲はまた照れたように微笑むと、「どんなのがいいですか?」と立ち上がった。

 あの微笑みはやばい、と思いながら、羽重も後に続いた。


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