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第三十五話 美しい贈り物

 椅子の背に凭れ掛かってうつらうつらとしていたフィリアが、一つ深呼吸してから伸びをし、窓の外に視線を向ける。今日はよく晴れていた。

 ステラが見つけてきてくれた女医の世話になってから数日、無事に体調も回復してきている。もう殆ど問題ない程だ。少なくとも、外を出歩いて食事を済ませてくる程度ならば。

 因みに医者の見解によると、単に溜まっていた疲れが出たのだろうとのこと。二十年も旅していて全くそんな経験はなかったので、本当だろうかと疑ってしまいたくなる反面、流石にそういった事態も起こるだろうと納得してしまう部分もあった。むしろ、今まで何事もなかったことの方がおかしかったのかもしれない。

 最近は目の下の隈も薄くなってきて、自分がどこか良い状態に向かっているようにも感じられていたのだが、同時にそれは気が緩んだという意味でもあったのだろう。だからこそ張り詰めていた二十年間には何事もなく、今になって体調を崩してしまったのだ。そんなふうに自身の状態を捉えていた。

 そして、身体の調子が戻ってくると今度は娘の帰還ばかりが待ち遠しくなってくる。数日で戻ってくると告げて出発し、今日で五日。そろそろ帰ってこないものだろうか。

「キャスさん達が帰ってくるのもそろそろでしょうか?」

「数日という話だったし、今日辺りに帰ってこないかしらね。元気になったら娘の顔が恋しくなってきたわ」

 扉の方に視線を向けたところで、正面の椅子に座って寛いでいたステラからも二人の帰還を待ち望む台詞。五日間もこんな病人の面倒を見てくれて感謝に堪えないが、流石に彼女も退屈だろう。

 体力に余裕も出てきたことであるし、いっそのこと女二人で出歩いてみるのも良いかもしれない。

 そんなことを考えていた折、部屋の扉が叩かれる音。

「わたしが出ます」

 ステラが先に席を立つ。

 部屋の扉が開かれ、ミセリアが顔を覗かせた。待ち望んだ娘の姿に続き、キャスも姿を見せる。

「ただいまー!」

「お帰りなさい」

 変わらず元気に戻ってきてくれたようでフィリアは安堵。

 キャスとステラが挨拶を交わしているのを他所に娘が一直線に歩み寄ってくる。

「具合は?」

「大分良くなったわ。あなたは大丈夫だった?」

「結構面白かったよ。透明な石に囲まれた湖とか、見たこともない魔人さんに会ったりとか。キャスにもあたしの実力を証明出来たしね」

「魔人?」

 他にも色々訊きたいところのある台詞だったが、特に気を引かれたのはその単語。単純に意外だった上、物珍しい存在だった。

「そう。森の中に一人で住んでたの。ドライアドって種族」

「何もなかった?」

「良い人だったよ。場所が丁度良かったから二晩泊めてもらったんだ」

 どのような経緯だったのか、かなり気にかかる。

 先程までステラが座っていた椅子にミセリアが腰掛けた。

「それは?」

 娘の手首に見覚えのない装飾品。買ったのだろうか。彼女の腕には些か大きすぎるような気がする。

「これ? プレゼント」

「貰ったの?」

「さっき買ってきたの。あたしとキャスからお母さんに」

 するりと外されたそれをテーブルの上に差し出された。銀色に光る細身で品の良い腕輪。細かい彫刻も施されている。中々に美しい。

「綺麗ですね」

 キャスとの挨拶を済ませたステラが近寄ってきて覗き込む。

 その言葉通り、綺麗な品だ。これが実の娘からの贈り物だというのならば純粋に嬉しい。ただ、キャスからの贈り物でもあるという点が少しだけ、心に引っかかってしまった。

 我ながら狭量なものだと自嘲しつつ、距離の開いた微妙な関係性の男から装飾品を贈られることについて、素直に喜ぶのが難しい。どのような意味合いで受け取ればよいものだろう。

 考えつつ、テーブルの上からその腕輪を取って眺めてみる。

「どんな魔法が使えるの?」

「え、魔道具なの、これ?」

「あ……」

 ステラの発言に驚いて声を上げると、しまったといった雰囲気の反応。彼女の視線が明後日を向く。当たり前のようにミセリアへと投げかけられた問に、どうして魔道具であると分かったのか不思議に思ったのだが、この様子から判断する限り、今回の贈り物に関して何か知っていたに違いない。

「すみません。実は、二人がフィリアさんへのプレゼントを用意するつもりでお仕事に出かけたって知っていたんです」

「そうだったの。別に、構わないのだけど……。でもどうして態々? 高かったわよね?」

 どんな代物かは分からないが、この手の魔道具が高値であることは想像に難くなかった。特に戦闘にも使える物だった場合にはそれなりに値が張ったはず。

 過去に幾つも魔道具を調達してきた経験から、その相場については多少の知識があった。

「時間も余ってたから、お母さんに何か上げようかなって。っていうか、お母さんこそどうするつもりだったの? 手持ちの魔道具、もう碌なの残ってなかったよね?」

「…………あっ」

 確かにその通りだ。そのことに思い至った瞬間、小さく声を漏らしてしまう。足音を消し去る靴と濃霧を発生させる短剣。戦いに利用出来る魔道具は手元にそれしか残っていない。後は精々、拉げて本来の性能を発揮出来なくなった指輪が一つ。

 これでは全くと言ってよい程戦えない。そんなことに今更気が付いた。

 自分は何を考えていただろう。魔道具が粗方破壊されてしまった事自体は把握していたが、何となく、いつものように死体を操ればよいとでも捉えていた気がする。初めの死体を生み出すために必要な肝心の戦力が自身から消え去っていたことには、まるで意識が及んでいなかった。

 どうしようもない間抜けである。そう認めざるを得ない。

 先程のステラ同様、視線を彷徨わせる。

「……考えてなかった?」

「………………ええ」

 ため息をつく。何故思いつかなかったのか。本当に気が緩んでいるのかもしれない。まるで仲間の戦力を当てにしきっていたかのように思われかねない体たらくで、俯かせた顔を上げる勇気が持てなかった。

「うっかりだね」

「あまり気になさらないで下さい。とても疲れていたみたですし、きっと休息が必要だったんですよ」

 娘とステラからの励ましの声で、何とか視線を向けることが出来る。

「その……ごめんなさい」

 恐る恐る小さな声で謝ると、どうしてか笑い声。

「すみません。ちょっと、可愛かったです」

「うん、可愛かった」

 ステラとミセリアが微笑んでいる。ちょっとだけ楽になった気持ちを頼みに、キャスの反応も窺ってみた。

「……まあ、壊したのは僕ですから。喜んでもらえるならそれで良いです」

「…………えっと、有難うございます」

 彼は苦笑していた。魔道具の破損もそもそも自分が彼に挑みかかったことが原因なのだが、その気遣いも含めて素直に礼を述べる。

「それで、結局どんな魔法が使えるの?」

「氷の矢だって。お母さんが前に使ってた杖と同じやつだと思う」

 ステラの一声が話題を変えてくれた。流石に小さな装飾品と杖では発揮出来る威力に差があるはずなので全く同じ使い勝手というわけにはいかないと思われるが、それでも今の自分には非常に有用であるし、基本的に馴染みのある魔法なことに変わりはない。

「有難う。大事にするわね」

「うん」

 折角娘から貰ったのだ。きちんと活用していきたいものである。

「氷じゃなくて、魔力の矢を射てるやつもあったんだけどね。そっちの方が良かったかな?」

「いいえ、氷の方が助かるわ」

「なら良かった。魔力の矢の腕輪の方が見た目が豪華だったから、あたしだけだったらそっちを選んでたかも」

「……そう」

 そうなると、この腕輪はむしろキャスの意見で選ばれたのかもしれなかった。

「宝石とかも付いていて、見かけは派手でしたよ」

「あたしはあのくらい華やかな方がお母さんに似合うと思うんだけどな……」

「……そうかな?」

 外見に関しても、キャスは意見が違う様子。

 どのような腕輪だったのか想像するしかないものの、正直なところフィリアは今手元にあるそれの見た目を大分気に入っていた。娘の主張するような豪華な腕輪という物に惹かれる部分もなく、こういった控え目ながらも確固とした美しさを湛えている代物が好きである。

 まさか、実の娘よりもキャスの方が美的感覚で似通っているのだろうか。そうだとしたら少し寂しい気もする。

 手に持っていたそれを左の手首に着けてみた。

「うん、似合います」

「あ、有難う、……ございます」

 意外なことに、キャスから真っ先に感想。

「わたしもよくお似合いだと思いますよ」

「ありがと」

 ステラからの言葉にはすんなりと返事することが出来た。

「似合ってるね。じゃあキャス、渡す物も渡したから一先ず荷物置いてこよ」

「そうしよっか」

「お母さん達ってお昼ご飯、もう食べた?」

「ええ」

「だったら、あたしとキャスはそのまま外で何か食べてくるから」

「分かった。また後でね」

「うん!」

 キャスを引き連れ、ミセリアが部屋を去っていく。元気の良い娘がいなくなったことで再び部屋の中が静かに。

 ミセリアが占領していた椅子へとステラが戻る。

「あまり心配はしてませんでしたけど、二人共元気そうで安心しました」

「そうね……」

 腕を目の前に掲げ、彼らから貰った銀の腕輪をぼんやりと観賞。見る程に良い品だと思う。

「そういえば、前に使っていた指輪は直せないものなんですか?」

「……どうかしら。ごめんなさい。気力が湧かなくて、その確認もサボっていたの」

「それはいいんです。フィリアさんが疲れ切っていたのは、皆分かってますから」

「…………ありがとう」

 礼と謝罪のどちらを告げようか迷って、結局礼を告げておいた。

 少しの間を挟んで、ステラの視線がこちらの左手首に向けられる。

「それにしても、本当に綺麗な腕輪です」

「私も気に入ったわ」

 娘というよりはキャスの好みに基づいて選択された様子で、先程はその点に関して思うところがあったものの、どうしてか今は特に含みもなく、ただ良い物を選んできてくれたと有り難く思うのみ。

「大事にしなきゃね」

 母の指輪のようにはすまい。そう思って呟いた。

「さて、あの二人は暫く戻ってこないでしょうし、私は指輪の修理の相談でもしてこようかしら。まずは直せるのかどうか確認しなくちゃ」

「それでしたら、わたしもご一緒します」

「調子も良いから、ついでに町外れでこの腕輪も使ってみたいのだけど、いい?」

「はい」

「じゃあ、行きましょう」

 銀色の腕輪に陽の光を反射させながら、フィリアはステラと町中へ出かけていく。

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