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第三十二話 ちょっとだけ人間ではなかった少女

「こうかな?」

「そうそう、そういう感じ」

 些か辿々しい手付きで肉を捌いていくミセリア。アレナは時折隣に立って指導しつつ、自分の作業も行っていく。キャス達は明日帰ってしまうのだし、その上半年止まっていた村との交易もこれから再開することになるため、手元の物資を惜しむ必要もあまりない。今夜は多少豪勢な食事にするつもりだ。

「もうちょっと背が伸びてくれると良いんだけどなー」

 そのようにぼやいてみせる少女の背丈は確かにこの家の調理台にはちょっとばかり不釣り合いな小ささ。幾分か作業もやり辛そう。とはいえ、何か台となる物を持ってこようとしたら拒否されたのでどう仕様もなかった。

「今に大きくなるわ」

「そうだと良いけどね……」

 人間の成長は早い。彼女が今抱えている悩みも数年で解消されるだろう。

「大丈夫よ。それじゃあ、終わったら教えて」

「はーい」

 脂の乗った魔物の肉をミセリアに任せ、アレナは野菜の方に取りかかった。初めは彼女に野菜の方を任せるつもりだったが、本人の希望で今の分担に。

 皮を剥いている間にも何となく会話が続いていく。

「台所に立った経験ってあんまりないのよね? 思ったより手際が良いわ」

「そう?」

 経験がない上、身長のせいで作業がし辛いにも関わらず、彼女の手付きは思ったより滑らか。もっと時間がかかると思っていたが、予想より手早く仕上がりそうである。

「何年も前からずっと旅させられてきたから、台所なんて入る機会もなかったんだけど」

「旅か……」

「昔のお家を離れてから……何年だろ?」

 彼女の年齢で旅から旅の暮らしというのは負担が大きそうだ。口振りからして最初はどこかで定住していたようだが、どのような理由から今の生活に至ったのだろう。

「大変?」

「大変だったよ。せめてお父さんがちゃんとしてたらもっと楽だったのに」

「お父さんがどうかしたの?」

「酷い人だったから、お母さんと一緒に逃げ出したの。それからずっと冒険者暮らし。戦闘経験なんてないのにさ」

「……本当に大変そうね」

 本人は淡々とした様子で語っているが、中々過酷な生い立ちだ。

「お母さんも魔法が使えたお陰で意外と何とかなったけどね。ただ、二人っきりで他に頼れる人もいなかったせいで仕事先にまで付いていくしかなくて……。初めは魔物も大分怖かったなあ」

「あれ? キャスさんとはいつから一緒なの? それに、お母さんは?」

 後半の質問はして良かったのだろうかと、口にしてから思い至る。

「キャスとは一ヶ月くらい前からの付き合いだよ。お母さんの方は珍しく風邪でも引いたみたいで、町の方でもう一人の仲間とゆっくりしてる」

「…………へえ」

 母親は無事に存命らしい。ただ、かなりおかしな話にも聞こえる情報だ。それならばどうして、こんな小さな女の子がこのように危険な場所まで連れてこられているのだろう。母親達と一緒に町にいるのが普通に思われる。

 そういえば、先程は「お母さんも魔法が使えた」と言っていた。案外彼女も本当に魔法が使えて、戦力として連れ歩かれているということなのかもしれない。

「お母さんと一緒に町に残ってなくて良かったんだ?」

 あまり彼女個人の事情に立ち入るべきとも思えなかったが、少しだけ踏み込んでみる。

「することないしね。看病してるより、こっちの方が楽しそうかなって」

「でも、大変なんでしょ?」

「最初の頃はね。今はそうでもない。キャス達が来てからはもっと楽になったから、今は割と楽しいかな」

 皮を剥き終えた野菜を刻み始める。

「なら良かった。少し心配しちゃったの」

「…………まあ、傍から見たら心配はされるよね」

 彼女なりに自分の境遇を客観は視している模様。どうにも話を聞いている程に、ミセリア自身が戦えるのではないかという考えに信憑性が増してきていた。

「もしかして、ミセリアちゃんも戦えたりするのかしら?」

 こちらは大して控える必要もない質問だったので、冗談めかしてぶつけてみる。

 すると少女の手が止まり、こちらをじっと見上げてきた。

 視線が逸らされ、少し考える間を挟んでからその口が開かれる。その仕草からするとこちらの予測は当たっていそうだ。

「どうしてそう思ったの?」

「話の端々から、そんな感じがして……」

「んー………………。実はちょっとだけ。内緒にしてね?」

「うん」

 再びミセリアが手を動かし始める。

「結構得意なんだ。あたしを守りながら戦ってるお母さんを見てるうちに、自分も何かして助けなきゃって思って頑張ってたら、意外と戦えるようになってた」

「……それは、魔法でってこと?」

「うん」

「人間でも、その歳で魔法が使えたりするものなのね」

「……えっとね、お父さんは人間だけどお母さんが半分エルフで、だから正確には、四分の一がエルフなの。残りは人間だけど。だから多分、そのお陰」

「成る程……」

 などと言いつつ、実際のところ、エルフについてそこまで詳しいわけでもない。ただ、人間より遥かに魔法に秀でた種族だとは知っているし、その血が多少なりとも入っていると彼女のように幼くして戦えるということがあるのだろう。そのように納得。

 作業を終えたミセリアが包丁を置く。

「……ついでにちょっとだけ、相談に乗ってもらっていい?」

「どうかした?」

 野菜を刻む手元を覗き込みながら、少し控え目に落とされた声音。

「エルフって長生きでしょ? で、エルフの血が半分入ったハーフエルフも長生き。だから多分、あたしもそれなりに長生きすることになると思うんだよね。普通の人よりずっと長く」

「ああ…………」

 その台詞を聞き、アレナの脳裏で繋がるものがあった。以前に二人きりで話した際の、こちらの生き方を指して理解出来ないと苦しげにしていた姿が思い返される。そういうことだったのかと得心のいく気分だ。

 自分よりも短い命しか持たない者達の中で生きていかなければならない。それはアレナのみならずミセリアにも当て嵌まる事情で、幼くも既に、彼女はその事実に向き合おうとしているということ。

「どうしたらいいのかなあって……」

 難しい質問だった。

 答えに窮して暫し無言で野菜を切る。まるで無視してしまっているかのよう。

 きちんと向き合うために、殆ど切り終わった野菜を前に包丁を置く。

「人里のことはよく知らないけれど、同じような生まれの人なんて滅多にいないわよね?」

「……相当珍しいと思う」

「反対に、エルフの人達の所で暮らすとか?」

 より長寿な集団の中に身を置くことが出来たのなら、問題は解決するかもしれない。

「出来るのかな? お母さんも結婚する前はエルフの里で暮らしてたみたいだけど、家を飛び出してからも絶対にそっちに行こうとはしなかったから」

「……難しそうね」

 何かしら事情があったのだろう。

 あくまで寿命短い人間達に囲まれて生きていかなければならないとして、どのような助言が出来るだろうか。

「受け入れるしかないのかも。少なくとも、私はそうするしかなかったな」

 暗に彼女の悩みに対し、どうしようもないことを告げる。実際、アレナの経験からはそうとしか言うことが出来なかった。年端もいかない少女の不安に対する解としては酷かもしれないが、それが現実。

 ミセリアは何も言わないまま、黙って調理台の上の野菜に視線を送っていた。

「私自身はこれでも相当運の良い出会いをさせてもらってきたと思ってるけど、それでも大分悩んだわ。集落を出て一人ぼっちで彷徨ってる時も辛かったけど、自分の長寿が一番恨めしかったのは、初めの旦那が逝っちゃった時だったな……」

 ドライアドの男ともかつては結ばれていたので、正確には二人目の旦那。ただ、人間の夫としては一人目だ。

「正直、後を追って死のうかなって考えたりもしたの。『このまま一人で取り残されているよりは』って。結局、死ねなかったけど」

 このまま一人で長い時間取り残されて生きるより、いっそそうした方が楽なのではないか。次の旦那を受け入れるまでの約十年、時折そういう考えに支配されそうになったことをよく覚えている。

「……それで、新しい男の人とくっついたんだよね?」

「心の整理に十年もかかっちゃったけどね。その人と一緒にいて、徐々に幸せに浸っていくうちに、何となく全部受け入れられる気分になったの」

 遥かに短命な相手との繋がりの中で生き、親しい者が先にこの世を去っていくことも、幾人もの男と夫婦としての繋がりを築きながら生きていくことも。

「本当に、いざ新しい人を迎えてみたら、自然とね。こうやって生きていこうって思えたわ」

 そして、以前にこの話をした際、ミセリアは全く理解に苦しんでいた。

「やってみる?」

 答えを確信しつつ尋ねてみると、ぶんぶんと首を横に振られる。自分だって、集落を離れたばかりの頃に同じ質問をされたら拒絶しただろう。仮にそういった決断を受け入れるにしても、そのために必要な時間というものがきっとある。

「だったら、後は自分なりの答えを見つけるしかないわ。今は分からなくても、いつかね」

「うん」

「それに、私と違ってあなたには長生きなお母さんもいるのだから、完全に一人にぼっちになるのはずっと先よ。ゆっくり、時間をかけて答えを探していけばいいの」

「………………うん」

 たっぷりとした間を挟んで少女が頷く。それから漸く顔を上げてくれた。

「ありがと。じゃ、お料理の続きしよ?」

「そうね」

 互いに笑顔で頷き合う。思いがけず始まってしまった重たい話題はここまで。

「次は何すればいい?」

「それじゃあ、――――――」

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