第二十八話 仕事終わり
湖からアレナの家に帰るまで魔物に遭遇したのは一度だけ。あっさりと片付けて進み、陽の高いうちに到着することが出来た。
木々の合間を抜け、彼女の家の周りにある開けた空間へと足を進める。
「意外と早く帰ってこれたね」
「うん。まだ日暮れまで全然時間もあるし、予定を変えてこのまま村の方まで急ぐことも出来なくはないけど……」
「態々急がなくてもいいじゃん。泊まってこうよ、折角だし」
「そうしよっか」
フィリアの容態がどうなっているか分からないし、念の為ミセリアに対し急ぐという選択肢を提示してみたが、あまり彼女は気にしていないらしい。今からだと日暮れ前に村まで辿り着けるか微妙な時間でもあるので、野宿を回避する合理的な判断でもあった。
話しながらも真っ直ぐ家の玄関目指して足を動かし続ける。
周りを見渡して確認してみたが、屋外にアレナやカナンの姿は見受けられなかった。
「キャス、これ持って」
「ああ、その方が良いかもね」
ミセリアが抱えていた水晶を受け取る。このままだと小さな女の子に大きな石を運ばせているという絵面だ。
「二人は中かな?」
「多分。外にはいないみたいだし」
玄関前に立ちそっと扉を開けると、ミセリアが屋内ではなく別な方向に歩いていく。自分達が歩いてきた方向からは死角となっていた家の影を覗きに行って、そのままそそくさと戻ってきた。
「あっちに居たよ」
そう教えられ、二人して向かう。
先程の彼女同様に家の裏を見てみると、言われた通りアレナとカナンがそこに。
二人は共に並んで長椅子に腰掛けていて、正確には座っているアレナの膝を枕にしてカナンが横になっていた。どうやら彼は眠っている様子。
アレナはこちらに気が付いて視線を送ってきていたが、少年を起こさないためにか、黙って微笑みを向けてくるのみ。
一先ず小声ででも何か挨拶しておくべきだろうと思い、ミセリアと二人で近寄っていく。
「お帰りなさい」
「はい。無事に終わりました」
「そうみたいね。まさかこんなに早く戻ってこられるとは思ってなかったわ」
ひそひそとした会話。彼女は抱えられている水晶に視線を送り、キャスは穏やかに眠っているカナンの寝顔を確認していた。それから彼女らの手前にあるテーブルとその上の本に着目。更に、長椅子の脇には木剣が立てかけられていることにも気が付く。
何となく、凡その状態が確認出来た。
「運動して、本を読んでたら眠くなっちゃったみたい」
そう言ってアレナがカナンの頭を撫でる。経緯自体は予想通りだったものの、二人のその様子については意外といった心境で、少なくとも傍目には随分と打ち解けたように見えた。
頭を撫でられた少年の目が薄っすらと開いていく。
「ん……?」
「あら、起きた?」
アレナが静かに声をかけ、ぼんやりした目でキャスの方を見ていた視線がそちらに。
「はい……」
「もう少しくらい寝ててもいいのよ?」
「いえ、大丈夫です」
カナンがゆっくりと起き上がった。
「丁度、キャスさん達が帰って来たところなの」
「あ、お帰りなさい」
「ただいま」
彼もまた水晶の方に目を向けてくる。
「大きいですね。それ、採ってきたんですか?」
「うん。意外とあっさり採ってこられたよ」
「……重そうです」
「このくらいは平気かな。それより、君の方も意外と早く仲良くなれたみたいだけど、どう?」
「えっと、アレナさんが凄く良い人だったので」
照れたようにカナンが答え、アレナは隣でにこにこ。
「そっか。ちょっと安心したよ」
「私は早く、呼び捨てにしてもらえると嬉しいかな」
「それは……まだちょっと」
苦笑。まだ、そこまでは出来ないらしい。
とはいえ、ここに来るまでの様子や昨夜のやり取りを振り返ると、朝自分達が出発してから戻ってくるまでの間にここまで距離が縮まっていたことへの驚きは禁じ得なかった。相性が良かったのか、アレナのお陰か。
「ところで、そっちの剣は?」
「あっ、家の中にあったので、試しに使わせてもらったんです。素振りだけですけど」
長椅子横の木剣に話題を移す。
「どうだった?」
「素振りだけなので、何とも……」
「まあ、基本は大事だよ」
本当のところ、キャス自身は実戦第一といったやり方で腕を磨いてきたのだが、まさか普通の少年相手にそんな助言をするわけにもいかない。通常ならば死んでしまう。
「良かったら、キャスさんに少し稽古でもしてもらう?」
「……お願い出来ますか?」
カナンに向けてアレナがそんなことを言い、そしてそれを受けた少年がこちらに遠慮がちな要求。
これから一晩泊めてもらう身でもあるし、可能ならば手助けをしてやりたいとも思うのだが、稽古と言っても何をしたらよいのか如何せん分からない。キャスが行った最もそれらしいものを思い返してみたら、人狼化した友人の姿が浮かんでくる。
どうしたものだろうか。
「稽古って言っても、何をしたらいいのか分かんないな……」
「打ち合いに付き合うだけでもいいと思うよ? 兎に角身体を動かして慣れていくしかないってあたしは聞いたけど」
悩んでいると、ここまで黙って場を見守っていたミセリアから有難い助言。自分と違いきちんと魔力による身体強化に習熟している彼女の言葉ならば、従っておいて間違いなさそうだ。
「じゃあ、そうしてみよっか」
「は、はいっ」
カナンの方に視線を戻すと彼は訝しげな表情をしていて、自分より小さいミセリアがこちらに助言していることに違和感を抱かれたのかもしれない。それでも元気の良い返事は返ってきた。
「木剣って、もう一本あったりしますか?」
「ええ。今持ってくるわね」
「あ、僕が取ってきます」
アレナが席を立つより先にカナンがそう告げて走り去り、その背を三人で見送ることに。
「それじゃ、私とミセリアちゃんはここで見学させてもらおうかしら」
「そうするね」
ミセリアがそう言ってアレナの隣、先程までカナンがいた位置に腰掛ける。
「私はもう少ししたらお夕飯の準備をしなきゃならないから、席を外さなきゃならないけど」
「あたしもお手伝いしてみていい? ずっと旅ばっかりで、台所に立ってみたかったの」
「いいわよ。宜しくね?」
「うん、宜しく」
二人の会話を聞きながら、カナンが戻ってくるのを待った。




