第二十七話 俊敏少女
「あたしがやる」
そう言って剣を抜きながらミセリアが前方へと駆けていく。向かう先には二体の大柄な魔物の姿。薄い赤茶色の毛並みをし、四つの足で立っている。荒々しい鳴き声を上げて少女の接近を迎え撃つ構え。
手前の一体が目の前に迫ったミセリアに対して前足を振り上げ鋭い爪を振り下ろすと、彼女はその脇をするりと通り抜けて相手の側面に。その体毛を引っ掴みながら背中へ飛び乗って、背後から頚椎へと短剣を叩き込む。
直後に剣は引き抜かれ、彼女は魔物の背から跳んだ。大柄な体躯が崩れ落ちる中、少女の身体はもう一方の巨体の上を飛び越えてその背後に着地する。
視線を上げて相手の魔物を視界に戻すと、更にその場からもう一度跳躍。大きな体で素早く背後に振り返ろうとしていた相手の背中に乗って、同じように首筋へと一撃を加えた。
最後の跳躍で二体目の魔物の背中から地面に着地し、二体の魔物はどちらも倒れ伏している。
「やっぱり大きくて鈍いと楽だね」
剣についた血を払いながらミセリアが言った。
アレナの家を出発してから急ぎ足で目的地を目指し、今もまだ向かっている最中。村から森の中の家までに出くわした相手に比べ、遭遇する魔物の強さは格段に上がっていた。
しかしながら、それらに対してキャスが剣を振るう機会は巡ってこない。今のようにミセリアが率先して前に出て、即座に片付けてしまうためである。
「お疲れ様」
労いの言葉をかけつつ、先へ向けて移動を再開。
「疲れる程じゃないけどね」
「別に、偶には僕に任せてくれてもいいんだよ?」
「いいの。アレナさんの家まではずっとキャスが戦ってたんだし」
そう答えながら剣を仕舞い、彼女も隣に並んで先へ進む。実際、彼女に疲労の気配は見えていなかった。
「凄い戦い方だよね」
そろそろ目的の場所が見えてこないだろうかと考えつつ、先程から思っていたことについて感想を漏らす。単純にかなりの俊敏さを誇っているだけでも凄いのだが、ミセリアのそれを活かした立ち回りの仕方はキャスにとって物珍しく、見応えのあるものだった。
先の戦闘でもそうしていたように、普通に地を駆け回るだけではなく、彼女の戦いでは派手な跳躍が目立つ。魔物の頭上を飛び越えたり、或いはその背に跳び乗ったり。更には魔物の上から上へと直接跳ねて移動する場面もあった。そして、その背中から致命的な一撃を叩きつける。
「ああ、あれ? そんなに変わってるかな?」
「普通はやらないんじゃない? そこまで他人の戦いを見てきたわけじゃないけど」
「まあ、あたしの戦い方って完全に自己流だから、確かに変なのかも。手本になる人なんて誰もいなかったからさあ」
子供の身体のまま十年二十年と鍛え、魔物と渡り合っていく者など他にはいないだろう。その体格のまま場数を踏み、強くなっていったからこその独特な戦い方なのもしれない。冷静に考えれば、大人の体躯で実践するには大変な戦い方な気もする。
「大っきな敵が相手だとああいう戦い方が良いの」
彼女なりの経験に基づいた戦法であるらしい。
そのまま足取り早く進んでいくと、木々の隙間から湖らしき姿が見えてくる。陽光に照らされた煌めきだ。
「見えてきたね」
「うん。見晴らしも良さそう」
空を飛ぶ魔物に襲われるそうなので、相応に開けた空間なのは予想がついていた。
更に進んで独特な湖の様子がはっきり伺えるようになってくる。広く澄んだ水面は見事で、ニムン山の麓の湖を思い出させられた。
同時に、森の中に佇む広大な湖となると、ステラから聞かされた湖の話も蘇ってくる。彼女の故郷に存在し、時折足を運んでいたという場所の話だ。
ただ、それらの湖とは間違いなく異なっている特徴が一つ。
「ああいうふうになってるんだね」
感嘆したようなミセリアの呟き声。
水際とその周辺に透明な岩や石が幾つも転がっている。あれが自分達の求めている品なのだろう。まさかここまで分かりやすく、それも大量に存在しているものだとは思っていなかった。
水面のみならずその水晶のような物体も陽の光を受けて反射しているため、全体を見渡していると中々眩しい。
「どうやって出来上がったんだろうね?」
「さあ……。本当に不思議な場所だ」
木々の間を抜けきる少し手前で二人揃って立ち止まる。先程から視界に映っていたのは湖面とその周辺の景色だけではない。
話に聞いていた魔物の姿もまた、両者の目に入っていた。
遠くの畔で地に降り立った大きな白い鳥が地面を啄いている。大きさは明らかにキャスの背丈以上。
空を見上げれば同様の存在が数体空を舞っている姿。翼を広げていると尚の事巨大に見える。
「大きいね」
「だね。っていうかあそこにいる奴、もしかしてあの水晶みたいなの食べてるの?」
ミセリアから驚いた声が上がってよくよく目を凝らしてみると、確かにその魔物は足元の岩を嘴で突いていた。そのうち一部が欠け落ちて、地面に転がったそれを一つ食べると翼を広げて飛び立っていく。
その辺りに転がっている小石のような欠片を食べるのでは駄目だったのだろうか。
「……飲み物の原料になるくらいだから、食べられる物なのかな?」
「大分硬そうだったけど。食べてみる?」
「止めとく。さっ、行こっか」
ふと、念力でこの場所から引き寄せてしまえば魔物に襲われることなくあそこに転がっている水晶を回収出来るなと思い立ったのだが、ミセリアが音頭を取って開けた空間まで進み始めてしまったので付いてくことに。折角の機会なので、もう少し彼女の実力を拝見してみたかった。
翼を持った敵が相手だとどのような戦いになるのだろう。
二人揃って姿を現すと上空を飛んでいたうちの二体が反応。あれらが一斉に襲ってくるのかと思いきや、そうではないらしい。くるくると旋回しながら地上に向かってくる。
「一体引き受けるね」
「宜しくー」
抜剣しつつ緩く答えるミセリアから離れた場所に向かい、キャスもまた剣を抜き放った。
狙い通り一体がミセリアの方へ、もう一体がこちらに狙いを定めた軌道を見せる。
キャスに向かってくる方の魔物は多少様子を窺っているのか、上空で旋回してゆっくりと高度を下げていたのだが、反対にミセリアを狙っている個体は一直線に滑空を開始した。
剣を逆手に握って正面から待ち構える少女へと魔物が地面ぎりぎりの硬度で突っ込んでいき、その鉤爪で空を掴んで過ぎ去っていく。その足に短剣が突き刺さったまま。敵の動きに対し完璧に合わせた動作で一歩左に避けたミセリアが、すれ違いざまに刺した物である。
得物を手放した少女がこちらに視線を送ってきたので、キャスは自分の相手の方へと意識を集中させて迎え撃つことに。
目についた中で最も大きな岩を念力で持ち上げ、未だ上空を旋回している魔物向けて飛ばす。これだけで倒せるという程の威力を持った攻撃ではないが、飛行中という不安定な状態でやられるには鬱陶しい攻撃。
一度、二度と躱され、更には翼をはためかせた瞬間に巻き起こされた突風によって岩が地上に叩き落とされて割れてしまっても、また新しい岩を用意して狙う。そうすると多少の慎重さを見せていた魔物もこちらに向けて下りてきた。
上空から高度を下げつつ一直線に向かってくるまではミセリアの時と一緒。ただ、今回はこちらの手前の地面に下り立って、着地の勢いを殺しながら翼をはためかせる。正面からの魔法の突風による攻撃を予知してキャスはその場から側方へと飛び退いた。
先程まで彼がいた場所を風が過ぎ去り、次いで魔物自身が駆け抜けていく。あのままあの場所で立っていたら体勢を崩して、そこに追撃がやって来ていたわけだ。
また上空に逃げられて同様の攻撃を繰り返されると面倒だと判断し、キャスは素早く魔物に斬りかかる。敵の脇に追い縋って、再び広げられようとしていた翼を切り落とし、それから間髪入れずに首目掛けた一撃。
翼を切り落とされた上に致命的な負傷を負って、魔物が地面に倒れ込む。
まだ息があるためにのた打ち回っていた相手の首に剣を振り下ろし、止めを刺した。
死体から目を離して空を確認。まだ魔物は飛んでいるのだがこちらを狙ってくる様子はない。
ミセリアの方に目を向ける。あちらも決着が着いたようだ。
自分の戦いの最中も余裕のある範囲で観察していたが、足に短剣の刺さった魔物が再び彼女を襲うことはなかった。初めは警戒を強めたかのように上空を旋回していたものの次第にその高度は下がり、ついには力なく地面に墜落。
それでも弱々しく起き上がろうとしていた相手にミセリアが足元の小さな水晶を拾って投げつけると、ぱたりとその動きが止んだ。
剣を突き刺して以降の彼女の攻撃らしい行動はその一度で、それ以外は立ち尽くしていただけ。視覚的には何が起きているのか分かり辛い光景である。何も知らなければ武器に毒が塗ってあったと考えるかもしれない。
対象の命を直接弱らせるというミセリアの魔法。その効果によるものだろう。
ドラゴンとの戦いでは敵を僅かに弱らせる程度だったミセリアの魔法だが、まともな魔物が相手だとあれだけ明確な効果が出るらしい。正直、その力を軽く見積もっていたと思い知らされる。
絶命した獲物の死体からのんびり剣を引き抜きにかかるミセリア。
キャスはもう一度空を確認して、追撃がないことを確かめてから町に持ち帰るための石を選び始めた。多く持ち帰る程に報酬を弾んでくれるという条件だったが、こう足元に大量かつ無造作に散らばっている光景を眺めると有難味が薄く感じられる。
近くにあった両手で持ち上げるのに丁度良い大きさの物を選び、抱え上げた。
「お疲れー。どうだった?」
武器を回収したミセリアが駆け寄ってくる。
「意外と楽に終わって良かったかな。そっちも随分あっさりだったね」
「見直した?」
「……見縊ってたつもりはなかったんだけど、思った以上に強いみたいで驚いた」
「うん! ちゃんと分かってくれたなら良かった」
満足気に肯かれた。
「ドラゴンの時は魔法も分かりやすい効果が出せなかったからねぇ。背中で短剣投げてただけだったし。戦力として軽く見られてないか、実はちょっと気にしてたんだよね」
「……そうだったんだ」
そういったことを気にする質だとは思っていなかったので、少々意外。
魔法にしても接近戦の腕前にしても、彼女は文句なしに強力である。道中含め、今回の戦いでそのことを確認させられた思い。
「折角鍛えたのに、見縊られたら癪じゃん?」
そう告げつつ、彼女は何やら両手をこちらに向けて差し出してきた。意図が分からず見つめ返してしまう。
「もう気は済んだから、帰りはキャスが戦って? 石はあたしが運ぶからさ」
「あ、うん」
こちらに実力を見せつけて満足がいったらしい。帰り道の戦闘を一手に引き受けることになったが別に不満もなかった。
「じゃあ、宜しく」
「うん。帰り道は宜しくね。あたし、守られるのも嫌いじゃないんだ」
持っていた物を少女に渡す際、笑顔でそんなことを言われる。
そのまま二人で帰路に着いた。
「どうしたの?」
木立の合間に足を踏み入れると、ミセリアが立ち止まって背後を振り返る。
「ん……、綺麗な場所だったから、もう少しだけ目に焼き付けたいなって」
「ああ、それも良いね。多分、もう来ることはないだろうから」
死体は二つ転がってしまっていたが、広大な湖とそれを取り囲む透き通った石、更にその周りを囲む森の姿。それらは十分に美しく、少女と並んでその光景を静かに眺めた。
時間が経ち、そろそろよいかと思っていた頃にミセリアが落ち着いた声音で口を開く。
「本当に、今回が最後になるのかな?」
「……どうして?」
「だって、時間は無限にあるんだよ、あたし達」
その台詞に返す言葉が見つからなかった。よく考えればその通りであるし、いずれはこの光景をもう一度見たくて足を運ぶ機会があるかもしれない。
キャス自身は全く以てそれで良いと思っている。長い年月を経て再び、幾度でもこの場所やって来れるというのなら、その方が良いとしか思えない。
だが、ミセリアの声音から伝わってきた感情は、そんな悠久の時間を率直に肯定するものとは異なっているように感じられた。だからこそ、キャスはかける言葉を見つけられずに困り果てる。
「行こう」
それしか言うことが出来なかった。
「そだね。早く帰ってアレナさんのとこで休もっか」
「うん」
幾分か明るさを取り戻した声で返事され、二人でまた帰路へと歩き出した。




