第二十六話 医者
キャスとミセリアが町を出発してから二日後の昼前、フィリアは相変わらず不調を抱えたままの身体で椅子に腰掛け、窓の外を眺めていた。
見上げれば少し雲の多い空、反対に眼下の通りを見れば人通りは疎ら。意図して人気の多い通りから少し外れた場所を選んだだけあり、静かに過ごさせてもらっている。
「もう、目的地には着いた頃かしらね……」
テーブルを挟んだ反対側に座って同じくぼんやり窓の外に視線を送っていたステラへと、出かけていった二人のことを想いながら話しかけた。
「お二人で『走っていく』、なんて言っていましたから、案外そうかもしれません」
「ああ、あの二人の体力だと、そういうことも出来るわね」
そうなると、もしかしたら既に目的を達成して帰り足ということもあり得るのだろうか。自分で考えておいて、流石にそれは無茶だろうと思い直す。
ただ、魔力による身体強化が得意なミセリアの体力であれば一日くらい走り通せても不思議ではないし、キャスに至っては確証こそないものの、それ以上の体力は発揮しそうである。仮にあの人狼の姿に変身して全力を出したら、一日でどのくらいの距離を移動可能なのだろう。
「凄いですよね、そういうの。わたし、身体強化があまり得意ではないので、余計にそう思います」
「私も自分で動き回るのは苦手ね。あれはあれで、また素質が必要なのよ」
同じくらいの時間を冒険者として過ごしてきたが、長距離を勢い良く走り続けられたり、魔物に接近して刃物で渡り合ったりというのはどうしてもミセリアのようにやってのけることが出来ない。
「……何かコツでもあるんでしょうか」
「前に似たようなことを考えてミセリアに訊いてみたんだけど、やっているうちに出来るようになっていったとしか答えなかったわ。教えられるものでもないみたい」
凡そ二十年やってみて苦手なままということは、多分素養がないのだ。フィリア自身はそのように捕らえていた。代わりに魔法の素養は十分に持ち合わせているので問題にはならない。娘のように魔法も近接戦もこなせる方が特殊なのだ。
キャスの方は全く別種な力を使っているらしいので、あまり比較対象にはならない。
「羨ましいです」
「でも、あなたは魔力に恵まれているじゃない」
半分エルフの血を引き継いでいるために当然と言えば当然なのだが、普通は強い魔法を使える方が羨ましがられるものだ。特に魔物を内側から安全に始末していける結界魔法など、同様の能力を欲しがる者は幾らでも存在するだろう。
「そうかもしれませんけれど、わたしもああいうふうに戦えたらなあって……」
「まあ、そういうものよね」
確かに、目の前に立った敵を物理的に退けていける力というのも、それはそれで心強いもの。特に町中で人に絡まれたときのような場合には役立ちそうだ。魔法で焼き払うわけにはいかないのだから。
「ところでそろそろお昼ですが、どうしますか?」
少し間を置いてから、ステラが話題を変えてきた。
「食欲もないし、朝も少し遅かったからやめておくわ」
「そうですか……。お身体の方は、良くなった感じとか、していますか?」
「……いえ。悪くなった感じもしないのだけど……」
悪化していないのは幸い。だが、回復もしていない。依然として熱やら寒気やらに襲われている。
話題の方向に嫌なものを感じたため、フィリアは視線を窓の外に戻した。
昨日した話を思い出す。
「やっぱり、一度お医者様に診てもらった方が……」
沈黙。出来れば回避したかった話題が予想通りに飛び出してきて、フィリアは硬直する。ステラもこちらの様子を察知してか、それ以上言葉を重ねてはこない。
医者は嫌だし、男の医者ともなれば絶対に御免だ。そういう口に出したくない本音がある一方で、このままただステラに心配をかけ続けることに対する申し訳無さや、一向に良くならない自身の身体に対する不安というのも存在している。だからこそ返答に困ってしまい、静寂を生み出してしまっていた。
ステラはじっとこちらの答えを待っている。ちらりと視線を向けてみれば心配と疑問の混じった表情。
その顔を見て申し訳ない感情の方が勝ったため、フィリアは観念して口を開いた。
「そうした方が良いわよね……」
「そう思いますが……、何か、どうしても嫌な理由があるのでしたら無理はしなくても」
「………………一つだけ、お願いを聞いてほしいのだけど」
「何でしょう?」
少々言い出し辛い要望だったが、このまま勧めに従って適当な医者の下に出向くことになるよりはずっと良い。
「女性のお医者さんがいないか、探してもらえないかしら」
「えっ?」
不思議そうな声。
「前にも話したけど、どうしても男の人が信用出来ないし、苦手なの。本当に、凄く……。男のお医者さんも怖くて、だから、女性のお医者さんがいたらなって。そうしたら、大人しく診てもらうから」
我ながら情けないという気持ちになってきて、俯きながら説明する。魔物を相手にしても動じずに戦えるくせに、ただの男性が怖い。あまり他人に話したい内容ではなかった。
「そんなに苦手なのですか?」
流石にここまで強く男に対する苦手意識を抱いているとは思っていなかったと分かる反応。
「ええ……」
「分かりました。では、後でまた宿の人に確認してみます」
「ええ、お願い」
前にも自分の男性不信について話していたからか、ステラには納得した様子が見られた。彼女の理解を受けてフィリアも少し安心した気分に。
「ごめんなさい。余計な手間をかけさせてしまって」
「気にしないでください。ただ、もう少し早く相談してもらえたら嬉しかったです。心配してたんですよ?」
「……気を付けるわ」
事情を全部話し終え、女性の医者を探してもらえることが決まる。隠しておきたかった内心を打ち明けて気疲れを感じていたところに向けられた微笑みが、フィリアにはとても有り難く感じられた。




