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第二十五話 新しい旦那

「それでは……行ってきます」

「はい、いってらっしゃい」

 キャスとミセリアが水晶のある水辺を目指して出発するのを、そう言って見送る。北方に向かう人物を見送るのはかなり珍しい機会だ。

 あの辺りはこの周辺よりずっと危険な地域なのだが、ミセリアまで行かせてしまって本当に大丈夫なのだろうか。保護者であるキャスは問題ないと判断しているようだったし、本人からも強い調子でここでの留守番を拒否されてしまったので、あれ以上引き止めるわけにもいかなかった。

 どうしてあのように小さな子供を平然と危険な土地に連れ歩けるのか、その心境が分からない。もしかしたら、子供ながらに特殊な魔法の才能でもあるのかも。人間の能力の個体差は魔人にとって信じ難い程に激しいため、実は幼い身なりで魔物を倒せてしまう可能性もアレナには否定出来なかった。

 その背が小さくなっていくのを、カナンと二人で静かに見届ける。

 無事に帰ってくるかどうか。現地に辿り着くまでにかかる時間と戻ってくるための時間、それから水晶を集めるために必要となる時間、子供連れであることを加味しても日暮れ頃には帰ってこられるはず。彼らが順調に仕事をこなせれば。

 問題なく再び姿を見せてくることを祈りながら、アレナは小さくなった彼らの姿から視線を外した。

 代わりにその眼差しは傍らの少年へ。彼はまだ二人の背を見つめている。

「さて、どうしよっか」

 新しい婿と二人きりで過ごす時間だ。まずは何から始めるべきだろう。そう思案しながら声をかける。

 ぼんやりとキャス達の去った方角に視線を送っていたカナンの身に一気に緊張が走ったのが窺え、アレナは苦笑。

「やっぱり最初は家の案内よね。何にしても、これから暮らしていく場所なんだから」

「はい。宜しくお願いします」

「そんなに固くならないで」

「……はい」

 ついついカナンの様子を笑ってしまい、彼を俯かせてしまった。これは反省だ。

「折角外まで出てきたのだし、家の周りから案内するわ。行きましょ」

 少年を連れて花が咲いている場所へと歩き始める。

「どう、自慢の花壇なの。時間に余裕があれば、もうちょっと大きくしたいところなんだけどね」

「綺麗です。昨夜も、キャスさんと一緒に眺めさせてもらいました」

「あら、そうだったんだ」

 昨日、自分がミセリアと話し込んでいた時の話だろう。てっきりキャス一人で外に出ていたのだと思っていたが、違ったらしい。

「月明かりの下で見るのも良いものよね。この家の周りに魔物はいないはずだから、好きな時に眺めに出てきて大丈夫よ」

「そうなんですか?」

「長いこと私が住み着いている場所だから。最初のうちに頑張って魔物を狩ってたら、そのうちこの辺に近寄らなくなったの」

「……凄いです」

 驚きと感心の混ざったような声。

「それで、外で使う道具の幾つかはあそこの小屋に入ってるわ」

 話題を変えて、現在見えている家の傍らの小さな建物を指差す。屋外でしか使用しない物は大体あそこだ。

 話しながら近付いていって、その物置小屋の扉を開ける。

「多分、村で使ってる道具と大差ないとは思うけど、年季は入ってるから……。ちょっと古ぼけて見えちゃうかしら」

「村の道具もこんな感じでしたから、大丈夫です」

「よかった」

 拘りもないため、一度村から貰った道具は可能な限り長く使ってきた。そのため言葉通り、物置の中はかなり年季の入った庭仕事のための道具が並ぶ、年季の入った空間となっている。下手をすると村で使っている道具の方が断然状態が良かったなんて言われることもこれまでに経験済み。

「まあ、ここはそんなに面白い物もないから、次に行こっか。近くに昔使っていた家もあるから、そっちを見に行きましょ」

「もう一軒あるんですか?」

 驚いた様子で見上げてくる。

「ええ」

 そんな夫を連れ、そちらの家を目指して再び移動。今暮らしている家の周りからは木立に隠れて見えないのだが、意外と直ぐそこだ。

 西に向けて歩き、庭を抜けてちょっと木々の横を通り抜ければあっさりとその姿を確認出来た。

「あ、凄い」

 少し後ろを付いてきていたカナンがそのように反応するが、現在暮らしている家に比べると小ぢんまりした大きさだ。尤も、二人きりで暮らすのには丁度良い大きさでもある。

「今でもきちんと手入れしてあるから、いつでも使えるのよ」

「中には何かあるんですか?」

「ちょっとだけね。この家で暮らしていた頃の家具とか、本も少しだけ。偶には気分転換に昔の家で寛ぐのも悪くないの」

 カナンを伴って玄関を開き、実際に中を見せてやる。閑散とした雰囲気がありつつも最低限の家具は整っている状態。この場所に戻ってきて、ここで共に時を過ごした夫達との思い出に浸る日もあった。

「どうぞ、入って」

「……お邪魔します」

 彼なりに何か感じる雰囲気でもあったのか、向こうの家に初めて踏み入った際とはまた違った緊張感を漂わせて玄関を潜る。

 広々とした一室と、その奥には二階に続く階段。

「これからはこっちの家にも自由に遊びに入ってもらっていいからね」

「はい……」

 周囲を見回していたカナンが最初に興味を示して近寄ったのは本棚だった。

「本は好きかしら?」

「興味は……。ただ、あまり読む機会はありませんでした」

「向こうの家にはもっと沢山あるから、今後は好きなように読んで。……字は読める?」

「一応、大丈夫です」

「うん、よかった」

 昔はそうでもなかったが、年月を経ていくうちにあの村では子供に読み書きなどの基本的な教育を施すようになっていた。

 カナンは次に階段を目指し、二階へ。

「何もないでしょう?」

 二階に上がっていった彼へとそう声をかける。実際、机と椅子が一つある程度で、それ以外には何も置いていない。

「戻ろっか」

 一階に戻ってきたカナンにそう告げて昔の家を出る。次は現在の家の中を案内するつもりだ。

「あれは、何ですか?」

 二人で元の方向に歩き出し、途中でカナンが自分から質問。

「練習用の的。弓とか、魔法のね。魔法、使えたりする?」

「いえ、何かを攻撃出来るようなのは……」

「だったら、使うとしたら弓の練習ね。興味はある?」

「あります」

 はっきりとした答え。

「じゃあ、家の中に昔の弓がとってあるから、見に行こ」

「はい」

 弓に関しては前の夫の趣味でもあったので、比較的新しいのが残っている。

 大きな自宅の玄関を通って屋内に入り、彼がまだ足を踏み入れていない部分へと連れて行った。

「家の中の物も好きに使ってもらって大丈夫だけど、刃物とか、危ない物に触る時は一声かけて欲しいな」

「気をつけます。それにしても、大きい家ですよね。どうしてこんなに大きくしたんですか?」

「……あまり、理由はないのよ。新しい家を建ててみようと思ったら、調子に乗って大きく作り過ぎちゃっただけ」

 正確に言えば、ここまでの大きさを主張したのは当時の夫の方である。

 廊下を進み、左右からそれぞれの部屋の扉に挟まれた位置で立ち止まった。

「さて……、本と弓だったら、どっちから眺めたい?」

「弓が良いです」

「じゃあ、こっちね」

 案内しているうちにカナンの緊張が少しずつ抜けてきているのが先程から感じられていて、アレナも素直にその内心を微笑みとして表していく。

 右手側にあった扉を開き、彼を中に招き入れた。

 雑然と色々な物が仕舞い込まれている部屋で、その一角には弓を含めた武器の類が並んでいる。

 小さな夫の様子を窺えば、そちらの方向へすっかり視線を釘付けにされている様子だ。

「弓はこっちよ?」

 カナンが微妙にずれた方向へ進み始めたので声をかける。彼が自分を追い越して近付いていったのは別な物が置かれている場所。

「あの、これ…………触ってみてもいいですか?」

「ああ、成る程ね。いいけど、重いから気を付けて」

「はい……」

 弓より強烈に興味を惹かれた品があったようだ。他にも色々な武具が、それこそ魔道具まであるというのに、真っ先にカナンが飛びついて手にしたがったのは何の変哲もない一振りの剣。

 恐る恐る手に取り、その重さに一瞬戸惑う様子も見せながら、彼はゆっくりとその柄を握って鞘から引き抜いていく。

「剣、好きなのね」

「はい」

 あまりに熱心にその刀身を眺めているものだから、悪いと思いつつも小さな笑い声を出してしまった。

 そういえば、彼をここに送り届けたキャスも見たところ所持している武器は剣一本だったし、昨夜の話でカナンは彼の強さに感銘を受けているようだったと思い出す。ただの剣にここまで関心を寄せるのは、そうした要素も関係しているのだろうか。

「ほら、こっちが弓」

 カナンが満足して剣を鞘に納めるまで待って、それから弓も持たせてみる。興味深そうにしげしげと眺めてはいたが、先程のような静かな興奮は感じられない。やはり、弓より剣が好きなようである。

「上手に使えるようになっていきましょうね。私も、頼れる男の人って好きだわ」

「……頑張ります」

 冗談めかした台詞に対する静かな返事を受け取って、彼女は次の部屋の案内に移った。

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