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第二十二話 待ち人

 普段からそうしているように、その日もアレナは家やその周りの手入れをして過ごしていた。特に今は一人暮らしの真っ最中。夫と暮らしている時期よりはやるべきことも少なく、水晶を採ってくる仕事も休み。最近は新しい男性を迎えるための準備にばかり時間を費やしている。

 とは言っても、常日頃から身の回りのことはきちんとやっているというのに加え、一人暮らしも一年くらい続いているとあって、そこまでやることがあるわけでもなし。最初の頃は家屋や家具の修繕なども行っていたが、現在は掃除と庭の手入れくらいしかすることがなかった。

「もう少し、増やそうかしら」

 丁度、花壇の花々に水をやり終えたアレナが周囲の景色を眺めて呟く。家の周りには樹木を伐採して作った広い空間。その一部に花を植えて育てているのだが、もう少しくらい花のために面積を割いてもよいのではないか。

 尤も、この考え自体は昔から抱いているもの。ただ、その拡張や維持にかかる手間を考えると中々踏み切れない。水晶採集の仕事すらない一人暮らしのうちは丁度良いのだが、夫のいる生活を送りながらとなると、今くらいで丁度良い。これ以上の時間と労力をかけるくらいならば旦那との時間を楽しみたかった。

 花畑の拡張は諦めて、彼女は先程までの作業のために出していた道具を片付ける。それから家の中へ。今日の作業はお仕舞いだ。

 すっかり馴染んだ玄関を潜り、居間の椅子に腰掛ける。

 この家自体やその内装、それから庭の景観に至るまで、全て夫である人間の男性達に合わせて共に作ってきたもので、決してドライアドの文化の中で育った自分にとって居心地の良い要素ばかりではない。それでも長い時間さえあれば落ち着いて過ごせるようになってくるものだった。

 することもなく室内をぼうっと眺めていると、ついこの部屋で過ごした夫との一時を思い出してしまう。この家を一緒に作っていた頃の様子や、或いはこの場所で夫の不器用な手料理を食べさせられた思い出、寄り添って過ごした夜の暖かさ。とある一人の夫との思い出だ。

 あれは三代前の夫の頃で、時間にすると、どのくらい昔だったか。

 彼女が亡き夫達のことを思い返す際、大抵の場合それはそのうちの誰か一人との記憶である。三代前と七代前の夫の思い出を同時に振り返るような機会は稀。

 この家ももう百五十年程の時を刻んできたのか。振り返るうちにそんなことを考える。人間もせめてそのくらいは生きてくれると嬉しいのだが。

 次の夫は、どのくらい一緒にいてくれるだろう。

 室内で一休みするつもりが、あっという間に感傷的な気分。一人きりで過ごしているとこういうことが起こりやすい気がしていた。

「もうちょっと外に出てようかしら……」

 日の出ているうちは陽射しに当たって過ごしていよう。そう決め込んで立ち上がる。

 玄関目指して移動しながら外でどのように時間を潰すか思案。花壇を眺めてぼうっとするのも悪くないが、気分を切り替えるならば散歩が良い。

 北の湖に続く道を夜通し歩いてみようか。最近は用がなかったため、暫くあの場に行っていない。もしくは村の方へ続く道を途中まで歩いて日暮れ前に帰ってくるか。

 村の方角へ歩いてみることを決め玄関を開けた。ひょっとしたら、途中でこちらに向かってくる新たな婿に出会えるかもしれない。そんな淡い期待を抱いての決断。

 すると出かけるまでもなく、扉を開いた先に人影が見えた。

「来た」

 思わず目を見開いて呟く。やっと来てくれた。そんな思いだった。

 ただ、次の瞬間にはその人影のおかしな点に気が付いて冷静に。

 人影は全部で三つ。これ自体は珍しいことではない。道中魔物が襲ってくることもあるし、婿となる男性がそれらと戦えるとも限らない。むしろ戦えないことの方が多く、そのため大抵の場合、最初は護衛を伴ってここにやって来る。

 ただし、そうであるならば人影は何れも大人のものとなるはずで、今見えている三つの人影のうち二つはどうにも子供のそれにしか見えなかった。こういった状況は初めてである。

 さて、どのような事情だろうか。もしかしたらこちらが期待しているような人物ではないのかもしれないし、或いは何か訳ありで、今回の相手が身内を連れてやって来たのかもしれない。

 正体を確認すべく、アレナはその人影の方へ向けて歩き出した。

 互いの距離が近くなってくると、当然その容姿もはっきり分かるようになってくる。穏やかそうな雰囲気を感じさせる、悪くない顔立ちの男だ。連れられている子供の方はどうやら少年と少女で、少年よりも少女の方が更に幼い様子。年齢から判断して、弟と妹というところだろうか。

 他に家族のいない家の者が寄越されたのかもしれない。そう思い至るが、アレナとしては別にそれでも問題なかった。あの男と夫婦として暮らしながら二人の子供達の面倒を見、大きくなったら村へと送り出してやる。そういう時間も悪くない。子育ての経験などなかったが、だからこそ、夫婦でそれを擬似的にでも味わえるというのならばいっそ歓迎してもよいくらいだ。

「ようこそいらっしゃい。私はアレナ。あなたは?」

 男の前で立ち止まり、笑顔を心がけて名前を告げる。人間と接する際には笑顔というものが重要なのだと、ドライアドのアレナも流石に心得ていた。

「キャスといいます。後ろにいるのはカナンとミセリアです」

「これからよろしくね? ところで、どういう事情で子供が二人いるのかな。今までこういうのはなかったから」

「ああ、僕はただの護衛ですよ。ミセリアと一緒に村を通りかかった際に、彼をここまで送り届けるよう頼まれたんです」

 今回は珍しく戦える男がやって来たのかと思っていたら、凡その状況そのものはこれまでの場合と同じだったようである。珍しいのはただの子供と思ってしまうような年齢の相手が婿として送られてきたという点。

 それと、小さな女の子を連れた護衛役というのも珍しかった。

「あら……そうだったの。それじゃあ、あなたがこれから、私と一緒に暮らしてくれるんだ?」

 キャスと名乗った男が新しい婿ではないと知り、アレナはカナンという少年の方へと意識を切り替える。こちらが視線をそちらに向けただけで、間に立っていた相手は退いた。気の利く護衛だ。

 声をかけつつ少年との距離を詰め、姿勢を屈めて視線の高さを合わせる。

「えっと、…………そうです」

 相手は俯いたまま顔を上げようとせず、緊張しているのか、それとも悲しいことだが、この場に来たことに納得してくれていないのか、控え目な調子で返事。

 しかしながら、歳は違えど同じような様子で現れた男がこれまでにいなかったわけではない。そういった相手であっても上手くやって来た経験があった。少しずつ、じっくりと距離を詰めていけばよいのだ。

「そう、嬉しいわ。ありがとうね」

「は、はい」

「若いわね。何歳か、教えてもらえる?」

「十二です……」

 十二歳。外見からも分かっていたことであるが、これまでに前例がない程年若い夫。どうやら現在の村に相手となるような男がいないという話はそれなりに本当だったらしい。アレナにしてみれば不満を感じるような幼さでもなかったので、あくまでも村側の都合による主張に過ぎなかったが。

 子のいない彼女には子供が大人になっていく過程を見守った経験もなく、これからそんな時間を過ごせるのかと思えば小さな夫にも悪い気はしない。愛らしい容貌と大人しそうな雰囲気から、個人としての印象も良い部類だった。

「そっか。その歳で、私のところに来てくれたんだ。本当に、ありがとう。これから成長していくところを見守れるなんて幸せだわ」

 何にしろ、兎に角最初に、相手に対する好意をきちんと伝えておく。これもまた大切なことだ。

「キャスさん達も、彼を送ってくれてありがとう」

「いえ……」

 屈めていた姿勢を戻して正面から礼を告げると、キャスからは少し戸惑い気味の反応。初対面の人間が自分に対して見せる様子としては珍しくない。彼もまた、魔人に出会うということで身構えていた口なのだろう。

 一方で、ミセリアという少女からは観察するような視線を感じ続けていた。ある意味、三人の中では一番落ち着いて見える。

「ところで、随分歩いたわよね。疲れてない?」

「大丈夫です」

「体力があるのね。でも、一先ず家の中で休みましょうか。他に女の子も一緒に来ているのだし」

 強がりを指摘することなく家へと誘導する。カナンは強がっているようだったが、子供の足であの森をここまで歩いてきて、疲れていないわけがないだろう。いつまでも立ち話などせず、早めに休ませてやりたかった。

「キャスさん達も、今夜は是非泊まっていってください。そろそろ日も暮れるでしょうから」

 少年が頷いたのを受けて、今度は護衛の男の方に声をかける。

「いいんですか?」

「ええ。ご覧の通り広い家ですので、部屋は余っています。それに折角未来の夫を護衛して来てくださった方を夜の森に放り出したりなんてしたら、顔向け出来ない人達がたくさんいますから」

 実際、部屋も家具も余っていた。あの家を建てた際、当時の夫と二人、調子に乗って大きく造りすぎてしまったのだ。そして、どうせならばと碌に使う予定もない客室をしっかりと拵えておいた。建築中の楽しい日々を鮮明に覚えている。

「……では、お言葉に甘えさせてもらいます」

「ミセリアちゃんも、よろしくね?」

「はーい」

 最後にこれまで黙っていた少女に声を掛けると、堂々と気の抜けた返事。それがどうにも可笑しくて笑ってしまっても、彼女は涼しい顔をしている。

「じゃあ、行きましょうか」

 三人を引き連れ、アレナは自宅へ向けて歩き出した。

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