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第十九話 食事

 アレナに連れられてその邸宅に入ったキャス達はそのまま揃って居間で待たされることになった。彼女はまず夕飯の用意をしてくるので暫く待っていて欲しいと告げ、実際に台所へと向かっていたのである。

 別室ではあるが椅子に腰掛けながら異能で視界を飛ばしていたキャスは、ミセリアと雑談しつつもその様子をきちんと観察していた。手慣れた様子で、特に奇抜な要素もない料理が仕上げられていく。人間の夫達と数百年も暮らしてきただけあると言うべきか、手際の良さが感じられる光景。

 邸宅に踏み入った際に広がっていた内部の様子も、ちょっと豪華な人里の家といった具合であり、彼女の服装やその料理と合わせて考えてみると、かなり人間である夫側に寄り添った生活を送っているようである。

 貴重な物資と引き換えに村へ男を要求し続ける一人暮らしの怪しい魔人。そこから予想されるような姿からは大分離れていた。それとも、ドライアドの文化というものは人間のそれと大差ないものなのだろうか。

 森の中で遭遇した意外な程の人間らしさと、整った住まい。何だか思い出されるものがある。

 それから待つこと暫し、彼女が運んできた食事は問題なく美味しい物で、現在は四人で食事をしている最中。

「どう? お口に合うかしら?」

 アレナがそう告げ、キャスはカナンに視線を向ける。

 彼は家の中に入ってから落ち着きなくあちこちに視線を彷徨わせていたものの、無口であった。

「……はい」

「良かったわ。お二人は、どうかしら?」

「とても美味しいです。……ドライアドの食文化って、意外と人間に近かったりするんですか?」

 折角なので、先程気になったことを問いかける。

「かなり違うわよ? まあ、私が生まれ育った集落についてしか言えないけど。今食べてるような料理は、ここで暮らすようになってからの努力の賜物ね。私の故郷の料理は、中々人間の口には合わないみたいで」

「そうなんですか」

「何度か作って食べてみてもらったこともあるのだけど、芳しい評価は得られなくて」

 そう言ってアレナは苦笑してみせた。

「こういった料理の作り方は、その……自力で?」

 率直にかつての旦那達の話をカナンの前でしてよいものか迷い、少し迂遠な問い方に。歴代の夫の中に料理上手な者でもいたのか訊きたかったのである。

「最初の人が、ある程度料理好きだったの。私といるために練習してくれたみたい。基本はその人に習ったかな。それから少しずつ、長い時間をかけて練習してきたつもりよ」

 「夫」などの直接的な表現は避けているように感じられたが、多少彼らとの話題に言及する程度は問題ない様子。

「私の方も最初は人間の食事に慣れるのに苦労したけど、今は平気。美味しく食べられるわ」

 そうすると、人間の方も彼女らドライアドの料理を平気で食べられるようになったりするのかもしれない。とはいえ、味覚の壁を乗り越えた努力は凄まじいものを感じさせられる。

「凄いですね」

「ドライアドだから、時間はたくさんあるの」

 ちょっとだけ、彼女に陰りのある笑みが浮かんだ。

「ね、訊いてもいい?」

 ここでミセリアが食事の手を止め声を上げる。何を尋ねるつもりだろうと思いつつ、キャスは食事を再開。

「何?」

「あたしドライアドってよく知らないから、教えて欲しいなって」

「ああ、それもそうよね」

 小首を傾げるミセリアと、納得したように頷いて答え始めるアレナ。

「魔人って呼ばれる人達のことは知っているかしら?」

「うん、それは知ってる。種族ごとに決まった魔法が使えて、皆とっても強いんだよね」

「まあ、強いかどうかは基準によるのだけど……、そうね。平均的な強さで言えば、人間よりはずっと強いのかしら」

 少しだけ考える様子を見せる。

「ドライアドも魔人の一種で、同族は多分、皆森の中で暮らしているんじゃないかしら。私も一度森の外に出てみたのだけれど、何だかおかしな息苦しさがずっと続いて、直ぐに森まで帰ったわ」

 多分、それは他種族には理解出来ない感覚なのだろう。森の中で生きる種族といえばエルフの存在が頭に浮かんでくるのだが、彼らも森を出ること自体に苦しみを感じたりするなどとは言っていなかった。エルフが森で人間から距離を置いて暮らしているはもっと別な理由による。

「森の中で、皆ばらばらに暮らしてる感じ?」

「……いいえ。同族だけで集落を作ってるの。私は、その場所に馴染めなくなって出てきたのだけどね。理由は訊かないで」

「分かった。でもさ、どうしてここで生活するようになったのかは訊いてもいい? どんなふうにして他の種族の旦那さんと二人っきりで生活するようになったのか、不思議。村の人達からお婿さんを差し出させてるんでしょ?」

 訳ありな雰囲気の強い話題に対し、随分率直に切り込んでいくのだなと思いつつ、興味があったので黙ってやり取りを見守っていく。

 アレナは目を見開いて不思議そうな表情をしていた。

「それは……少し、語弊があるんじゃないかな。別に、私の方から要求したわけじゃないのよ?」

「そうなの?」

 キャスとミセリアで揃って驚く。カナンも顔を上げて彼女に注目していた。

「どんなふうに伝わっているのかしら。言われてみれば、もう何百年も前の話で、村の人達だって何回も代替わりしているのだものね……。そういう誤解も出てくるのかしら」

 こちらの反応を見たアレナの様子はどこか感慨深げでさえある。

「そうね……。折角お客さんもいるのだし、偶には昔の思い出でも話してみようかしら」

「あたしも聞いてみたいなあ」

 ミセリアに視線を向けられ、口に物が入っていたキャスは黙って頷くことで同意。

「さっき話したみたいに、私もドライアドだから森を出て暮らすのは難しいのだけど、それでも元の集落は飛び出しちゃったものだから、居場所が見つからなくてあちこち彷徨うことになってね。種族柄、別に決まった場所や建物なんかはなくても暮らせるのだけど、一人は辛くて……。どこか良い場所でもないかなって、只管森の中を歩き回ったわ」

 そこで一旦話を区切り、アレナが自分の分の料理を一口食べる。それから再び語り始めた。

「そのうちこの辺を通りかかって、その時に偶々魔物に襲われて死にそうになっている男の人を見つけたの。それを助けて、その人の住んでる村まで連れて行って、あの村との付き合いはそれ以来ね」

「どのくらい昔の話?」

「細かい年数は覚えていないのだけど……、五百年は超えてるはずよ」

 随分な歳月だと圧倒されかける。ただ、よくよく考えると自分が暮らしていた里にもそれ以上の齢の人物は当たり前に存在していた。ましてやエルフ以上の長寿を誇るドライアドの彼女にとって、果たしてそれはどの程度の重さを持った時間なのか。

 何より、自分だってこれからそれを悠に超える時間、生きる予定なのだと思い至った。

 五百年前の思い出話を若者に語って聞かせる光景を思い描くと、ちょっとばかり楽しみになってくる。

「それで、その男の人を助けて村に届けるまでに色々聞かされて、この先で採れるあの水晶、あれが当時でも結構な値段になるみたいだったのよ。だから、私がそれを村まで定期的に持ってくる代わりに、何かしら人里の物と交換してって持ちかけたの。これが今も続いている取引の始まり」

 最初は婿を差し出す決まりまではなかった。この点については村で聞いた話と一致する。

「それで、約束通り村まで水晶を届けてたんだけど、その度に私が助けた男の人が話しかけてきてくれて。あれは嬉しかったな……」

 正にうっとりといった具合の表情を見せられ、キャスは反射的に手元の料理へと視線を落とした。

 カナンの方はどういう気持ちで聞いているのだろう。「これが惚気話か」と思いつつ、一方でそんなことも考える。

「あ、じゃあ、その人が最初にここで暮らした人なんだ」

「そうなの」

 ミセリアが分かったとばかりに声を上げ、アレナが頷いた。

「自分から、私と一緒に森の中で暮らしたいって言ってくれたのよ。私は二つ返事で頷いて、それから今みたいに立派じゃないけど、ここに家を建てたり……、あの頃はとっても忙しかったわ。でも、楽しかった」

 それから暫しの沈黙。思い出の余韻に浸っているのか、それとも次の話を頭の中で整えているのか。視線を向けてもその内心は窺い知れない。

「それでも、あの人も人間だったからねぇ。一緒にいられる時間も短いの」

 ほんの一瞬、話し始める前にその視線がカナンに向いたのをキャスは見逃さなかった。その後は目を閉じ、夫との別離を示唆する。

 やはり、元から生きられる時間の異なる種族だと分かっていても、それで残される側の心の整理が軽くなるわけではないのだな。そんなことを思った。

「その後は、どうしたの?」

「十年くらい、この場所であの人のことを想いながら一人で過ごしたわ。村に水晶は運び続けてたけど」

「十年……」

「楽しい思い出があったからね。そのくらいは耐えられたの。でも、それ以上は一人でいるのも限界だった。だから、この場所を立ち去って、また新しい出会いを探そうって決心したのよ。あの人も、最期には私の好きなように生きなさいって言ってくれていたし」

 ミセリアはテーブルの上に視線を落としてアレナの言葉に何かしら考えている様子。

 十年間、愛した相手を偲んで暮らす。

 実際に想像してみると、キャス自身も何とも言えない気持ちだ。

「それで、その当時の村長さんにもう水晶は運んで来れないって伝えたら、随分慌てられてね。理由を訊かれて、一人でいるのが辛いって答えたら、今みたいな条件を持ちかけられたのよ。一緒に暮らす相手をこちらで見繕うから、その人が気に入ったらこれまで通り森に住んで、取引を続けてくれって」

 カナンがこの場所に連れてこられた発端とも言える、大昔に交わされた村とアレナの約束。それはこういった経緯によるものだったらしい。

 ちらりと少年の様子を窺ってみたが、この話を聞いてどう感じただろうか。

「抵抗とかなかった? どういう人が来るかも分からなかったんでしょ?」

「あったわよ? 知らない人と夫婦だなんてって、最初は戸惑ったりもしたし。でもほら、人間の社会だと、そういうのも珍しくないって知ってたから。お見合いって言うんだっけ? それに、気に入らなかったら追い返して構わないって話だったし、また当てもなくあちこち彷徨くくらいだったらって……。出来ればここで暮らしたかったしね」

「で、上手くいったんだ?」

「ええ。思いの外幸せだったわ。どの人ともね」

 そこまで話して、アレナがカナンの方へと微笑みかけた。微笑まれた方は困ったように視線をそらしてしまう。

「そっか……」

「感想を訊いてもいいかしら?」

「あたしにはよく分かんないかなぁ。今一、幸せな夫婦っていうのも想像つかないや」

「あら……」

「お父さん、酷い人だったし。恋愛とかも全然分かんない」

「……いつか、きっと分かるわよ」

「だといいんだけど」

 ミセリアが視線を食事の方に戻すと、アレナの視線はキャスの方へ。感想と言われても何と答えたものやら。

「……寿命の違う人達と生きるのって、どういう気持ちですか?」

 結局、出てきたのは感想ではなく質問だった。

「寂しいと思うこともあるけれど、楽しいこともたくさんあるわ。私の場合はね」

 それでも、アレナは朗らかに答えてくれた。

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