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エルフの少女に恋した少年は永遠の命を追い求めました  作者: 赤い酒瓶
第一章 森に染み入る獣の咆哮
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第七話 小冒険

「ドラゴンを探しに?」

 ジーンとの生活が始まって数日、ふと、彼がそんなことを言い出した。

「ああ、場所はここよりもさらに森の奥で、私も今までわざわざ倒しに行ったりなんてしたことはなかったんだ。そこまで行くと、日帰りできる距離じゃなくなるし、魔物の強さも、一人で相手にするには面倒になってくる。何よりも、実力的にドラゴンに一人で勝てるかどうか、不安もあったしね。でも君の実力を見る限り、二人でなら何とかなるんじゃないかなって思って。ちょっとした冒険だよ。君も男なら、一度はドラゴンを見てみたいって思うだろ」

 確かに、本当にドラゴンがいるのだとすればキャスも行ってみたくはある。

 ドラゴンは現在でも存在することは分かっているが、その強さや獰猛さ、何より翼を持ち空を飛ぶことから逃げることが難しく、往々にしてこちらが見つけたときには相手もこちらを発見して襲い掛かってくる。よって、もし彼らを見たいのであればそれに打ち勝てるほどの戦力、もしくは彼らを見つけた途端に殺される覚悟が必要となる。

 実際、ドラゴンを倒した者などそうはいないし、目撃して生き残った者も、どこかにはいるのだろうが、キャス自身は聞き及んだことはなかった。

 ただ、ドラゴンは単独で暮らし、縄張りからも出ないことから、近寄ろうとしなければ安全ではある。キャスも今までの旅の中でドラゴンが暮らしているといわれる地の話を聞いたことは数度あったが、いずれも近寄る者はいなかった。例外は、自身の力を過信した馬鹿だけだ。

 しかし気になるのは、この辺にドラゴンが住んでいる場所があるなど、彼には聞き覚えがなかったことだ。

「でも、ここに来るまでに寄った村でも、ドラゴンの話なんて聞かなかったけど」

 そう聞いてみる。

「あれ? 私がここに籠る前はそういうふうに言われていたし、まず間違いないはずなんだけど……。まあ、この辺自体立ち入る人も少ないし、かなり時間も経ってるから失伝しちゃったのかな」

 彼はそう言うが、キャスとしては人狼の住処としての話の影に埋もれて行ったのでは、と考えてしまう。直接言いはしないが、今となってはドラゴンより人狼の方が希少な存在だ。

「まあ、多分ドラゴンはいるとして、どうする?」

 再度問われて、キャスも考える。

 ドラゴンは確かに強く、近年では討伐された話も聞かない。自分一人では勝てないだろう。それに、ジーンの方は昔の知識なのか、ドラゴンの力量にある程度の当たりをつけているようだが、キャスとしては未知数としか言えない。

 しかし話に聞く彼の存在の姿を思い浮かべ、彼の好奇心や冒険心が強く刺激されるのも事実だ。話に出てきた彼らの姿は、とても力強く格好良さそうで、正直ジーンの言うとおり、男なら一度は憧れるだろう、というふうに考えていた。彼らが特殊なだけかもしれないが。

 結局、ジーンの二人ならいけそうという言に押されて、キャスも同意することにした。

「わかった。行ってみよう」

 こうして、男二人のちょっとした冒険が始まった。



 そんな理由でドラゴンの縄張りと目される場所を目指し、木の枝に日の光を遮られているために薄暗い森の奥深くへと二人は二日ほどかけて移動してきた。

 この森では奥へと行くに従い、木々はその大きさを増し、魔物たちも強力なものが住まうようになっている。現在の周囲の木の大きさは、最初に森に入った時に周囲にあったそれとは比較にならない。

「多分だけど、そろそろじゃないかな。ここで一旦休んでおこうか」

 何が根拠になっているのかはキャスには不明だが、ジーンの判断に従い彼同様、大樹の根元に背を預けて座る。

 見回せば、どの木も巨大なせいなのか、これからドラゴンという強大な存在と出会うことへの心もとなさがそう見せるのか、自分が小さくなったように感じる。

 そんな光景に、キャスは思うところがあった。

「なんだか、里にいた頃を思い出すかも」

 そんな言葉が口をついて出る。

「と、言うと?」

 ジーンが掘り下げてきた。キャスは記憶の中にある、姉との思い出を引っ張り出しながら答える。

「子供のころ、まだ能力に気付く前に、姉さんに連れられて里の外にある森の中を歩き回ったことがあったんだ。探検だ、って言われて」

 懐かしさがこみ上げる。子供時代の数少ない良い思い出だ。

「まあ、特に何かあったわけじゃないんだけど。一人で詰まらなそうにしていた僕を見かねた姉さんが、僕の手を引いて連れまわしてくれたのをよく覚えてるんだ」

「初恋の人との思い出ってわけだね。彼女の手の温もりを、今でも覚えている、と」

「……………………」

 茶化されて、睨む。図星だとは認めない。

「そんなに睨まないでよ。ところで、前に聞いた限りでは不老不死になったら、お姉さんに告白する、みたいに聞こえたけど、そのへんどうなの?」

 今度はそんなことを聞かれて、答えたくないと思いつつ言葉を返す。

「もし不老不死になれたとしての話だけど、そうするつもりだよ。とは言っても、いざ故郷に帰ってみたら、もう別な誰かと一緒になってるかも、っていう可能性だってあるんだけどね」

 実際、もう既にそうなっているんじゃないかと考えることはよくあった。

「それについては、その時になってみないとね。それに、振られる可能性だってあるわけだし。もしそうなったら、君はどうするんだい?」

 ここまで問われて、キャスはひょっとして、今自分は試されているのではと思い至る。すなわち、人狼の血を、不老不死を得た後のことについてどこまで考えているのか、力を与えてよい人間か見極めるという彼の側の目的の判断材料として、今の質問を向けられたのでは、と。

 しかしながら、彼の見る限りジーンにはそういう様子よりも、単なる興味本位といった色が強いように見える。やっぱり、歳のわりに俗っぽいようだ。

「そうだね、どうしようか」

 とりあえずまた旅を続ける、といった光景しか思い浮かばず、そんな気のない返事になってしまう。

「ところで気になってたんだけど、君も今まで旅をしてきたんだろう? 仲間はいないのかい?」

 キャスにとっては、またしても答えたくない質問だ。さながら、「友達いないの?」という問いに対して、「はい」と答える気分だ。

「旅を始めてから、結構早い段階で不老不死を目標に据えちゃったから。魔力がない上におかしな力を持ってて、しかも不老不死になりたい、とか言ったら面倒になりそうな気がして。それになんか、どうやって仲間を作ったらいいか、よく分かんなくて。結局里を出てから数年間、ずっと一人旅だよ」

 里でのけ者にされがちだったせいか、彼の対人能力は低く、他の人たちがどうやって仲間になっていったのか想像もつかなかった。そこに来て、彼の特異な事情も拍車をかける。目的を隠したままどこかの集団に加わっても、行動を制限されることになるからだ。かといって、不老不死が目的など、まともに取り合ってもらえるとも思えない。まず、変人か異常者扱いだろう。そのくらい、普通の人にとって不老不死とは胡散臭くて、遠いものだ。何より、命を預け合う仲間に、秘密を抱えたままなることも彼には受け入れられない。

「そっか、私も人狼であることを隠したまま旅をしてた時期もあったけど、やっぱり秘密を明かして付き合えるような仲間はできなかったから、なんとなくは分かるよ」

 そんな答えが返ってきたが、意外さはなかった。いつまで経ってもそんな仲間ができなかったから、今の暮らしに落ち着いたのだろうと予想する。

「まあ、つまり何が聞きたかったかっていうとだ」

 ジーンが身を乗り出してくる。興味津々といった様子だ。

「今まで旅をしてきて、他にも好きな女性はいなかったのかい?」

 瞬間、色恋話になると本当に俗っぽいな、という言葉が出かかる。

「それは……、どうだろう?」

 そんな奴はいない、と言い切れれば良かったが、脳裏に赤毛の女性の姿が掠めて、回答から逃げる。しかし、俗世と異なる雰囲気を纏わせる容姿のわりに、存外に俗っぽい目の前の人狼を振り切ることは出来なかった。

 さらなる追撃がキャスを見舞う。

「やっぱりいるか。うん、男なら仕方ないね。どんな人だい? お姉さんの方も、どんな人か聞いてみたいな」

「ジーンって、見た目のわりに俗っぽいよね」

 ついに、その言葉を放ってしまう。

「ふふ、昔もよく言われたよ。それでどうなんだい?」

 意に介さずに、回答を促されてしまう。止めることは出来ないようだ。

「いるとは言ってないんだけどね……。姉さんの方は、なんというか、割とジーンに似てるかも。一見落ち着いて見えて、実はそれほどでもないとことか。色恋話も好きだったし」

 実際、キャスはジーンに対してそんな印象を抱いていた。彼の容姿が女性と見まがうほどであることも、そう思わせるのを助長しているのかもしれない。

「そっかそっか。じゃあ、私は君のお兄さん、といったところかな。で、旅先で好きになった女性の方は?」

 止められなければ、逃げることもできないようだ。しかも、お兄さんなどと、訳の分からないことを言い出した。

「しつこいな。…………、そっちは、なんていうか、言い辛いんだけど、ちょっと、お互いに境遇が似てて」

 なぜだか、姉の方よりも気恥ずかしい思いを彼は抱えていた。

「なるほど、自分と似た部分のある人を好きになるって、よくあるよね」

 知ったふうなことを言い出す。キャスとしては、もういい加減にしてほしい気分だ。

「それで、もうドラゴンの縄張りに近いって、どうしてそう思ったの?」

 先ほど気になったことを問う。ジーンの方も、ひとしきり質問して満足したのか、素直に答える。

「なんとなく、としか言えないかな。人狼として長い時間を過ごしたことで身についた感、ていうのが近いかも。やばそうな空気がするんだよね」

 どうやら自分には分からないものが根拠になっているようだということで自身を納得させ、ならばと敵方の縄張りに入った後のことについて問う。

「それで、縄張りに入って適当に歩いていけば、向こうからやって来るんだっけ?」

「ああ、向こうの方で私たちに気付いて、後は縄張り意識か何かでこっちを排除しに来るはずだよ」

 この辺については、キャスも知っていることの確認だ。

「それで、ドラゴンの使う魔法については、よく分かんないんだっけ?」

 今度も、事前に話したことの確認。

「うん、昔に聞いた話でも、火を吐いたり、風を起こしたり、とにかくいろいろな魔法が使えて、個体ごとにも違いがあるみたいだってことしか、私も知らないんだ」

「何が起こるか分からないっていうことで、臨機応変にやるしかないね」

「そうなるかな。今決められることはせいぜい、戦闘開始と同時に、私の魔法でお互いを強化するってことくらいさ」

 ジーンの魔法については、既に教えてもらっている。自分や相手の能力を全体的に強化できる、というものらしい。ただし、対象は生物のみ。彼がステラの結界を破れたのも、この魔法による強化のおかげらしい。実際のところ、あの状態ではまず、人狼化による強化、即ち身体能力の上昇、身体強化も含めた魔法能力、つまり一度にそれぞれに込められる魔力の量の増大、という恩恵がある。これにより、基になる人狼の肉体自体が強力であることに加え、さらに平時よりも強力な身体強化が加わり、さらに彼自身の魔法による強化も上乗せされ、尋常ならざる膂力を発揮した結果が、素手での結界破壊という光景につながったのだろう。人狼の能力と相性の良い魔法と言えなくもない。

 しかしこの魔法はやはり、今回のように、あるいは今回以上の集団での戦いで真価を発揮するものであろう。自分のみならず、仲間の能力も底上げして闘えれば、かなり有利なはずだ。本来人狼は眷属を作ることも考慮すれば、やはり相性は抜群ではあったのだろう。眷属がいないのは、単なるジーンの選択故だ。

 ともかく、作戦ともいえない内容を確認したことで、キャスはジーンに告げる。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

 ジーンも、それに応じる。

「ああ、長く生きたけど、ドラゴンを見るのは初めてだ。正直わくわくするよ」

 年甲斐のない話だけどね、と付け加えて笑うジーンだが、キャスもその気持ちはよくわかる。

 子供の頃に読んだ本、そこで物語の英雄と戦うその強大な姿に、自分もいつか見てみたい、この主人公のように、ドラゴンに勝って、英雄になるんだ、というのはこの世界の男の子なら、一度くらい夢想したことがあるだろう。

 英雄にはなれないが、子供のころに憧れた物語の主人公、それと死闘を演じたドラゴンをこれから実際にこの目で見て、そして挑むという状況に、二人とも命懸けであることを自覚しつつも楽しみであることを隠せない表情だ。

 そうして、歩き続けること暫し、ついにその時が訪れる。

「来たよ! 向こうだ」

 最初にジーンが気付き、声に従いキャスがそちらを見ると本当にドラゴンがこちらに向かってきていた。

 ここまで森の奥に入り込んできたことで、周りの木々の大きさも相当なものになっていて、それらの間隔も比例して大きくなっており、相当に開けていた。その空間を、ドラゴンは翼を広げ、悠々と飛んでいる。

 すぐにその巨体は彼らの前にたどり着き、地に降りて四つの足で立ち翼をたたむ。

 その姿は正に迫力。四つ足の力強さを感じさせる体躯で、翼を持っている。赤い眼に、金色の鱗をしていた。

 二人に緊張が走る。若いキャスはもちろん、見かけからは想像できないほどの年齢を持つはずのジーンをも戦慄させる力が、その姿から感じられた。

 ついに対面となった二人とドラゴン。姿かたちも迫力も、想像通りかそれ以上だ。

 だがすべてが想像通りでもないようだ。

 二人の脳裏には、遭遇するなり咆哮を上げて強烈な魔法を放ってくる姿があったが、相手は黙って敵意を瞳に乗せたまま、キャス達を睨んでいる。

 しかしそれを気にしてはいられず、二人とも腰から剣を抜いて構える。

 ジーンの魔法が発動し、自らの能力が強化されたのをキャスは感じ取る。

 そこで二人の準備が整ったのを見て取ったとでもいうのか、今になってドラゴンが咆哮を上げる。

 大地が震えるほどの咆哮に、びりびりとしたものを感じつつ戦いの開始を二人も悟る。

「いこう!」

 そう合図して、最初にジーンが魔力を身に流す身体強化を発動してから、敵の右側に回り込むように走り出し、こちらは異能で身体能力を底上げしたキャスが、反対側に回るように走り出す。それぞれの身体能力は二重に強化されており、かなりの速度だ。

 それに対し、ドラゴンはまず一度その翼をはためかせた。同時に魔法が放たれたのか、ただ翼をはためかせたにしては異常なほどに強力な風が巻き起こる。

 だが、その風で吹き飛ばされたり、体勢を崩したりする程、二人の能力もジーンの魔法も弱くはなかった。構わず二人とも走り続ける。

 それを見た相手は、今度もいかにもドラゴンといった攻撃、キャスの方に向けて炎の息を吐き散らした。くらえば骨しか残らないような、高熱の紅蓮の炎がキャスに襲い掛かる。

 たまらず、走る速度を上げて距離を取る。高熱ではあるものの、射程はそれほどでもないのか、何とか逃げ切ることに成功する。

 しかし向こうは追撃することなく、今度はジーンの方を狙う。

 今度の攻撃も炎、ただし今度は球体をした炎がその凶悪な牙の並ぶ口から放たれる。対象まで到達する速度も、炎の息とは段違いである。

 目標が変わったのを好機と見て、一気にキャスが駆け寄る。火球は確かに速いが、ジーンなら回避に問題はないと判断している。

「くそっ!」

 しかし、その火球をジーンが躱すと、代わりに近くの地面に着弾して大きな爆発を引き起こした。思わず悪態がついて出る。

「ジーン!」

 とっさに彼の名を呼ぶも、爆炎による煙のせいで姿は見えない。異能を使えば煙の中も見通せるのだろうが、身体能力の強化に全力を注いでいる現在、そちらにまで割く余力はなかった。

 それでも足を止めず駆け続ける。二人の能力を鑑みると、遠距離では分が悪いのは明白だからだ。二人にある遠距離の攻撃手段は、せいぜいがキャスの念力で吹き飛ばすくらい。それもドラゴンの魔力を想像すると、とても通用しそうはない。それにその程度では、たとえ通用してもあれを倒すことは無理だろう。

 とはいえ、その間にドラゴンのすぐ傍までたどり着く。

「――――!」

 特に掛け声も上げず、相手の後ろ足めがけて全力で切り付ける。

 しかし振り下ろした刃は、その金色の鱗に阻まれて碌に傷をつけられない。

「ぐぅっ」

 ならばと今度はその剣の先端を突き刺そうとすると、その前に巨体が動いてキャスを弾き飛ばす。

 それなりの距離を飛ばされてすぐさま体制を整えるも、既にドラゴンはこちらの正面を向いており、先ほどジーンにも放った火球をキャスに向けて打ち出していた。その速度もやはり速く、火球自体は躱せても、爆風から逃れるほどの距離は稼げないことを悟る。

 その予想通り、キャスに当たることなく進んだ火球は地面に当たって爆発を引き起こす。

「熱っ」

 爆炎に煽られつつ、そう口にする。距離の問題で、吹き飛ばされるほどの圧はなかった。火球の熱自体も、先の炎の息ほどではないようだ。これならば、先ほどのジーンも無事であろうと予測できる。速度や爆風といったものにも魔力を割いている分、純粋に炎を吐きだす時のような高温は維持できないのであろうか。

 爆炎により巻き起こされた土煙の中にいると、その煙を引き裂いてドラゴンの巨体が現れる。今度は魔法ではなく、直接攻撃を仕掛けに来たようだ。

 前足の一本、そこに生えた鋭い爪がキャスを引き裂こうと迫りくるのを紙一重で回避する。直接首を伸ばして噛み付いてこなかったのは、目や口内への攻撃を警戒したのだろうか。だとしたら、さらに厄介だ。頭部への攻撃は、現状キャスが見出している数少ない突破口の一つだった。

 そんなことを考えながら躱した一撃だったが、彼はここで己の誤りに気付く。先ほど、魔法ではなく直接攻撃をしてきた、と判断した彼だったが、ことはそれほど甘くなかったようだ。

 自身を引き裂こうとした爪は確かに躱したが、その一撃が巻き起こした風圧、魔法によるそれに吹き飛ばされる。

「これは、厄介だな」

 起き上がりつつ、彼はそうぼやいた。翼を広げれば全方位への風圧、その身で一撃を繰り出せば、躱した相手をも吹き飛ばす風の奔流、口を開けば爆発を伴う火球が良い速度で飛んできて、息を吐き出せば灼熱の火炎放射。どうやらこのドラゴンの使う魔法は、効果範囲が広く、回避の面倒な類が多そうだ。

 どうしようかと考えていると、ようやく相棒が戻ってきたらしい。再びこちらに向かってこようとしていた敵の横合いから、彼が飛び掛かる。

「くらえ!」

 そう叫びつつ相手の目を狙って繰り出された一撃は、しかし直前に躱され、頭で受け止められて、その後は先ほどのキャス同様、爪の一撃を躱して風圧に飛ばされ、こちらにやって来る。

「かなりの強敵だね、どうする?」

 吹き飛んできたジーンが起き上がるのを見つつ、そう問いかける。分かっていた事とはいえ、相手の能力の高さを見知った今、何か良い手がないか問うてみる。

「やっぱり、目から剣を突っ込んでやるくらいしか、有効な攻撃にはならないんじゃないかな。さんざん炎を吐きだしてきたのを見ると、さすがに口に剣を突っ込んでやる気にはならないね。それにしても、いくら堅いとはいえ、頭で剣を受け止められるのは初めてだよ」

 返ってきたのは来たのは、キャスも考えていた手段の一つだった。

 まあ、妥当なのはそのくらいだろうと納得しつつ、なぜかドラゴンが攻撃してこないのをいいことに話を続ける。

「しかし、こっちの攻撃が通じないほどの防御力に、当たれば即死しそうなほどの攻撃、おまけにその攻撃範囲も広いものばかり。小手先の技なしの、まさしく王道的で圧倒的な強さって感じだね」

 さして余裕のある状況でもないはずなのに、そんな言葉をキャスが漏らす。彼が落ち着いていられるのは、魔物の蔓延る地を一人で旅してきた経験による胆力だろうか。実際、今ほどではないにしろ、危機的な状況は何度もあった。その相手が人間だったことも何度かある。

「ああ、流石はドラゴンってところかな」

 ジーンの方も、余裕のある受け答えだ。こちらは流石に何百年と生きているだけある、といったところか。

「それにしても、なんで攻撃してこないんだろうね」

 二人が話し始めてから、やり取りが終わるのを待っているかのごとく動かないドラゴンを見て、キャスはそう疑問を呈す。

「さて、どうしてだろうね。まさか騎士道精神とかでもないだろうし」

 そこまで話が進んで、もう充分だと思ったとでもいうのか、ドラゴンがまた咆哮を上げる。声は、戦いの再開、それを告げる合図となった。

「とにかく、私が注意を引くからその隙を突いてくれ!」

 慌ててジーンがそう告げ、走り出す。先ほどとは逆に左側へ回り込むように。

 ドラゴンはジーンの方を優先し、火炎の息を吐きつけるが、彼はそれを振り切って尚駆け続ける。

 そちらにつられて、ドラゴンの体の向きがキャスから完全に逸れた頃、こちらも走り出す。先ほどのジーン同様に横合いから攻撃を加えるためだ。

 しかしここで、ドラゴンが先ほどまでとはまた違った攻撃を見せた。自身とキャスの間に位置する地面に、その強靭な尻尾を叩き付けたのだ。

 途端、地面が深く大きく裂けて両者を隔てる。

 何とか走っていた勢いを殺し、現れた谷間に落ちる前に踏みとどまる。

「飛び越えられそうもない、か……」

 そうひとり呟く。幅や深さを考えると、自殺行為だ。かといって、回り込むにも時間がかかる規模でもある。

 どうしたものかと考え、結局は正面から、このドラゴンの魔法により作られた亀裂を超えることにする。ただし、跳び越えるのではなく、飛び越えるという方法で。

 今まで行っていた身体能力の底上げも中断し、現在出せる異能の出力をすべて一つに注ぎ込む。

 使うのは物を動かす力、念力だ。ただし、動かすのは自分自身であり、適当な物を浮かせるときとは勝手が違う。キャスは自身を浮かせるのを得意としていなかった。よって、多少遅めの速度で亀裂の上を飛び越える、飛んでいる最中に狙われないことを祈りながら。

 幸いなことにキャスに攻撃は飛んでこなかったが、それは同時に彼が飛んでいる間、すべての攻撃がジーンに集中していたことを意味する。

 キャスが亀裂の上を渡りきった丁度その時、ジーンが攻撃の余波を受けて吹き飛ばされる。かなりきつい一撃だったのか、剣もその手を離れ、吹き飛ぶ。

 吹き飛んだ剣が、キャスとドラゴンの間に落ちる。

 ドラゴンが、今度は貴様の番だ、といった様子でこちらに向き直る。剣の位置は、ちょうどその口の下辺りだ。

 それを見て、キャスは剣を正面に構えて立ち止まる。先ほどやめた身体能力の底上げは、まだ再開していない。

 しかし彼が動かないのは、何もそれが理由ではない。この状況をチャンスととらえたのだ。先ほど考えたもう一つの、この目の前の強敵に手傷を与える方法を行使するチャンスだ、と。

 ただし、それが使えるのは相手の次の選択が、今まで見せた魔法のうち炎の物だった場合だ。それ以外だった場合、例えば風に吹き飛ばされれば背後の亀裂に落ちるのみだ。ジーンが最初にかけた魔法はいまだに活きているが、そちらの強化だけでは踏みとどまれないだろう。

 そう考えながら、キャスは剣を構えたまま、異能の力を行使する。今度使うのは身体能力の底上げのためでも、念力でもない。目の前の光景の一瞬先の未来を予知する、彼が狙っているタイミングを逃さないために。

 果たして、ドラゴンの選んだ次の魔法は火球だった。ただし、いまだ魔法は放たれていない、キャスの予知にその光景が映ったのだ。

 映ると同時に、今度は念力の力を行使する。対象は、ジーンの手を離れ、今は地面に転がっている一振りの剣。それを瞬時に持ち上げる。

 その結果、火球はドラゴンの口元に現れると同時、剣に触れて爆発する、キャスの目論見通りに。

 今まで同様、火球の爆発により煙が立ち込め、中からドラゴンの苦悶の声が響く。

 それから幾らも経たないうちに、強風が巻き起こって煙が晴れる。

 先ほどの攻撃でも倒せず、さらなる攻撃が来たかとキャスが身構える。しかしながら、そうではなかったようだ。

 煙が晴れた後にはドラゴンの姿はなく、その姿は宙にあった。その大きな翼をはためかせ、飛び立ったところだ。

「え?」

 キャスは思わず、そんな声を上げる。相手の様子から判断すると、どうにも滞空したまま攻撃を、といった様子ではなかった。先の爆発で頭は血まみれで黄金の鱗は真っ赤に染まっており、とてもまともに戦えそうにない。地上との距離もどんどん開いていく。

 つまるところ、相手は逃げようとしていたのだ。そして、強く獰猛なことで知られるドラゴンが逃げるという可能性を全く考慮していなかったために、キャスはついそんな間の抜けた声を上げていた。

 そうはいっても、意外であるというだけであり、逃げられるならそれでも良いかと思い直す。ドラゴンを見て、戦って、勝利する、そんな物語のような当初の目的は既に達成されており、こんな森の奥で巨大な死体を手に入れたとしても、何にもならない。

 そのまま、ドラゴンは高い高いところにある木の枝葉の天井を突き破って去っていき、キャスはそれを見送る。

「行ったね」

 いつの間にか近寄っていたジーンがそう言う。

「大丈夫だとは思ってたけど、無事だったんだ。よかった」

 キャスはそう返す。

「年寄りは頑丈なんだよ」

 訳の分からない答えが返ってくる。歳を重ねているのは事実ではあろうが、呆けも始まっているのだろうか。

「逃げられたけど、良かったの? 僕は構わないけど……」

 自身は納得しているものの、ジーンの方はどう思っているのかとキャスは尋ねる。

「私も別に構わないよ。縄張りを捨てて逃げていった以上、こちらの勝利であることは確かだからね」

「そうだね」

 気にしない旨の答えが返ってきたので、安心して適当な返事を返す。

 それから二人は、物語の中でしか知らなかった強大な存在との激闘を終えた余韻にしばらく浸っていたのだった。


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