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第十六話 ドライアド

 ドライアドのアレナがその森に来ることになったそもそもの発端は、元いた場所から去らなければならなくなったこと。

 彼女は元々、森の奥深くにある同族達によって構成された集落で生を受け、そこで暮らしていた。成長し、一度は同族の夫がいたこともある。ところがとある事情から、集落で暮らし続けるのが難しくなってしまった。

 ある時、彼女に子を作る能力が欠けていると判明したのだ。そして、これはドライアドの中で暮らしていくには大きな問題だった。

 とても長命である反面、子宝に恵まれ難く、一生子を設けることが出来ないままな者も存在するが、代わりに一度出来た子供は皆で大切に育てていく。そういう文化のある種族なのだが、その反面、子供に対する執着の強い部分もあり、初めから子を作ることが出来ない体と分かってからはとても居心地の悪い思いをすることに。

 彼女の夫もそういった価値観を持っていたし、彼女自身もまた、同様の価値観を共有していたのだ。夫は酷く動揺していて、アレナにはその感情を肯定することしか出来なかった。

 子を作ることが出来ないまま今の場所へ留まることに苦痛を感じるようになって、やがて彼女は自ら集落を去ることを決める。中には気にせず集落に留まるべきだと助言する友人もいたが、現実的に現在の暮らしに耐えることは難しかった。周囲が時間はかかっても子を設け、育てている傍らで自分は何をしていればよいのか、悩み続けるのが辛かった。

 とはいえ、集落を出てからの放浪暮らしを経験している最中には、無理をしてでも同族の中に留まればよかったと幾度か考えた経験もある。魔人として生まれながらにそれなりの力は授かっている一方、ドライアドにとって森を離れた環境は苦しく、他種族との差異も大きい部類。身の置所を見つけるのが難しかった。

 結局、暫くの間は森の中を一人で彷徨う生活を送ることに。人間の里に下りてみたこともあったが、奇異の視線を向けられる機会は多く、何より森を離れることによる謎の息苦しさは辛かった。森の中に一人でいる方がまだしも楽だったのである。

 しかしながら、それで幸せというわけではない。孤独に苛まれるという別種な苦しさの方が幾分か過ごしやすかったというだけ。森の中、一人で暮らしていくということに孤独以外の不便は存在しなかったのが救いだろうか。

 転機が訪れたのはそんな生活を数年続けた後のこと。目的もなく木々の間を移動し続けていたある日、一人の人間が魔物に襲われて負傷している場面に遭遇する。

 魔物を片付けてその人間の男に何をしていたのか尋ねると、この先で手に入る水晶状の物体が良い値で売れるため、危険は承知で何とかして手に入れられないかとやって来たのだと説明。人間のことに詳しくなかったアレナは、普通の人間にはこの程度の場所でも危険となるのかと少々驚いた。

 負傷したその身体で魔物が彷徨く中を一人で帰らせるわけにもいかず、彼女は男を暮らしている村まで連れて行ってやることに。

 辿り着いた村でもやはり物珍しげな視線を浴びることになったが、それでも村の長と名乗った相手はこちらの行為に厚く感謝していたようだった。その人物と助けた男の会話を聞いているうちに、その水晶のような物は随分と彼らにとって価値のある物なのだと確認する。

 そこでアレナは村の人々に取引を持ちかけることにした。自分がそれを定期的に村まで届ける代わりに、彼らは人里の品を自分に提供する。そういった条件。交易のような形で他者への貢献と交流を確保し、それでいて生活は森の中で送ることが出来る。これならば今よりもきっと暮らしやすくなるはずだと考えたのだ。

 ところが、実際にその申し出が喜んで受け入れられ、村と交易しながら暮らすようになっても、期待した程孤独が和らぐことはなかった。生活の大半が森の中ということは大半の時間が孤独なままということで、偶に村まで足を運んだところで普通の住人達には遠巻きにされる。

 彼女が本当に満足のいく暮らしを手に入れたのはもう少し時間が経ってから。

 アレナが助けた男は他の村人と違い、彼女が村に訪れる度に喜々として話しかけてきた。寂しさに耐える暮らしを送っていた彼女にとってそれは救いで、会う度に距離が縮まっていく。

 やがて男はアレナに愛を囁くようになり、ついには森の中で一緒に暮らすこととなった。彼女にとっては二度目の夫婦生活だ。

 木々に囲まれ、村との僅かな交流以外は夫となった男と二人きりの生活。漸く他者との絆を得ることが出来たからか、或いは特に自身の気質と合致していたからか、それは彼女にとってこれまでにない程の幸せな暮らしであり、子を作れないこともいつしか気にならなくなっていた。

 だが、相手の男は普通の人間。数十年もすればそんな幸せにも終わりがやって来る。

 夫が息を引き取って、アレナはまた一人。

 それだけの月日が過ぎ去っても村との交易は続いており、独り身に戻ってからも十年程、水晶を届けながら暮らしていた。

 そのうちにまた、孤独に耐えられないという気持ちがやって来る。むしろ十年というのは彼女にとってよく耐えた方だろう。

 ある時、決心を固めて村の長に交易の終了を伝える。新しい居場所を見つけるための旅へ出るつもりだった。理由を問われ、孤独が辛いのだと凡その事情を伝えると、アレナも最早村の一員のようなものであり、そういった事情ならばこちらで新しい夫となる相手を探すので、もし良い相手が見つかったならばこのままあの場所に留まって取引を継続して欲しいという思いがけない申し出がなされる。

 村にとって、彼女のもたらす利益は手放し難いものとなっていたのだ。

 知らない相手と夫婦になるという話に戸惑うアレナへ、当時の村長は人間社会における見合いという文化を教えた。成る程、悠長に相手を選んでいる時間のない人間らしい発想だと納得した記憶がある。

 迷った末、彼女はその文化を体験してみることに。実際、人間社会はそれを含めて上手く回っているという。それに、このまま闇雲に旅立っても次の出会いがあり得るのかすら分からないのだし、同じ賭けならばこちらの方が良いという判断だった。

 実際に三人目の夫との生活が始まってみると、思いの外悪くないことが分かる。勿論、村長が本当に良い相手を見つけてきてくれたというのもあるのだろう。恋愛の末に結ばれた前の夫の時よりも問題を抱えることは多かったが、最終的には良い関係を築き上げて終わりの瞬間を迎えることが出来た。

 以降何百年も、同じことの繰り返し。村に夫の死を伝え、暫くの間を思い出に浸りながら過ごし、その後に新しい婿を求める。時には村の側から拒否を示されることもあったが、最早この環境を手放したくない彼女はその場合、対抗して水晶の提供を止めた。そうすると必ず村の意見が変わる。

 これまでのところ、出会って早々に突き返した相手を除き、嫌な関係で終わった夫はいない。

 そして今また、良い間柄を築き上げていた夫の生涯が終わりを迎えたところである。アレナの目の前に、ベッドの上で横たわった夫の身体。呼吸はしていない。

 生前何度もしたように彼の額を撫でて、それから彼女は天井を仰ぎ見る。

「さようなら」

 目を閉じそう呟いた。何度経験しても、愛する者が死ぬのは悲しいことだ。

 今回の夫も良い人だった。幸せな時間を過ごさせてもらったと思う。加えて今までにないくらい長い時間を一緒に過ごしてくれた。齢九十を超えても死ぬ前日まで元気にいてくれたのは本当に得難い幸せだ。

「暫くは一人ね」

 一人きりになった室内でそう独り言ちた。

 それから更に時間が経過。

 村に新しい夫を求める旨を伝えたのはそれから半年後だった。かなりの高齢になるまで一緒の時間を過ごせたからなのか、これまでになく早い立ち直り。

 しかし、村からは相手となる男がいないとの回答。それに対して水晶の供給を断つという形で返答をし、既に半年が経過している。

 経験上、村が折れるまではもう少しかかるだろうか。

 そんなことを考えながらアレナは森の中で一人、夫達との思い出を振り返って過ごしていた。

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